きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.2.26 河津町・河津桜 |
2008.3.15(土)
所用で富士市に行ったついでにディアナ号の錨を見てきました。高校日本史にも出てくるようですから、幕末の通商交渉のため下田港にやって来たロシア軍艦ディアナ号が安政東海地震で大破して、修理のため戸田港に向う途中で沈没したのはご存知かと思います。以前、戸田の博物館でディアナ号の錨を見ましたが、もう一本が富士市にあると記されていましたから、いずれ見ておきたいと思っていた次第です。
その写真がこれです。全長4.2m、重量約3t。当たり前ですが、戸田のものとそっくりです(^^; 120年ぶりに引き揚げられて、それからさらに30年。150年も前の錨かと思うと、改めて日本の近代史に思いを馳せてしまいますね。機会がありましたら戸田の錨ともどもご覧になってみてください。
○池田瑛子氏詩集『縄文の櫛』 |
2008.3.15 東京都新宿区 文芸社刊 1200円+税 |
<目次>
詩集『母の家』より 2001
T
母の家 T 8 母の家 U 12 寄り回り波 16
母の手鏡 18 お琴さん 20 大欅の樹に 24
誕生 28 階段 32 たなばた 34
電話 36
U
鴎 40 蓮 42 隅田の花火 44
秋 48 九月 T 50 九月 U 52
あけび 54 あざみ 58 晩秋のみくりが池 60
V
博物館で 62 縄文の櫛 64 縄文の弓 68
幻の舟 72
未刊詩篇
縁側 74 鬼灯 78 「(ベイ)さん 82
山の文化館で 84 名前 88 桜の木も 90
古代のハープ 94 ヒエログリフ 98 黄薔薇「螢川」に 102
夏目坂 106 青い炎 108
詩集『風の祈り』より 1963
黄昏 110 螢 112
落葉 114
詩集『砂の花』より 1971
鈴 116
見えない思惟の稜線をのぼって…… 118
春の雪 120
詩集『遠い夏』より 1979
島 T 122 島 U 124
ざくろ 126
秋の椅子 128 海の夜明け 130
風の盆 132
詩集『嘆きの橋』より 1986
丘 134 凍る夜 136
日没 138
祈り 140 霰 142
桜 144
萌える緑に 146 すずらん 148
母に 150
秋の手紙 152 秋の箪笥 154
新年の食卓 156
詩集『思惟の稜線』より 1995
未刊詩篇
声 158 海 160
縄文の櫛
縄文晩期の赤漆塗りの竪櫛が出土した
目を凝らしても 歯はみえなかった
展示ケースの中のシャーレに
少し欠けた半月型の朱い櫛
温かい手ざわりをただよわせ
二千五百年前の茜色を典雅に粧っていた
横五・五センチ、縦四・二センチ、厚さ〇・八センチ、歯と横部分
が欠損している。櫛の歯を二枚の横材で挟み糸のようなもので固定
する「結歯(けっし)式」で赤漆を使い着色、接着してあるという。
三倍に拡大された写真と]線写真も展示されていて
棟(握り手)部分に残った歯が
うす青い月光のように八本映っていた
錺(かざり)職人もいたのかもしれない
人間の手になる精緻なものが
世紀をこえて心に語りかけてくる
肩に手をかけるようにして
婚礼の日 状(けつじょう)耳飾りをつけた媛(ひめ)の
豊かな黒髪を飾った朱い櫛
胸もとにきらめいていた翡翠の勾玉や丸玉の首飾り
花嫁の母の願いをこめてしのばせられた縄文ヴィーナス*
豊穣の祈り 感謝の祀りにも着けられたのであろう
夜 瞼を閉じると
昼間みた縄文の櫛の]線写真が
幻燈のようにともった
夜が更けたら
櫛は帰ってゆくのではないか
畏れを忘れ 傷ついた現世から
谷間を いっさんに
縄文の村へ
* 石に女性像を彫り込んだ線刻礫(せんこくれき)。
古くは1963年の詩集『風の祈り』から2001年の詩集『母の家』までの中より抜粋された選詩集ですが、ここでは表題作を紹介してみました。2001年の詩集『母の家』に収められていたものです。「縄文晩期の赤漆塗りの竪櫛」に寄せる現代人の著者が、女性が使う櫛という共通項で繋がっていくのがよく読み取れます。しかし著者の側だけに一方的に引き寄せているわけではありません。「夜が更けたら/櫛は帰ってゆくのではないか/畏れを忘れ 傷ついた現世から」「縄文の村へ」と、あくまでも「縄文の櫛」に立った視線が見事です。
本詩集中の「夏目坂」「黄昏」はすでに拙HPで紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて池田瑛子詩の世界をお楽しみください。
○詩とエッセイ『異神』101号 |
2008.3.10 福岡市中央区 各務章氏発行 500円 |
<目次>
「小詩集」
田中圭介
林檎の地球 1
各務 章
帰り道 6 秋 8
田中裕子
靴の店 9 変質 11
麻田春太
竹林 15 渋柿 16 補給 17
小澤清實
イチメンノナノハナ 19 禁煙 21 人喰い 23
金子秀俊
道 24 秋日より 26 病棟で 27
「エッセイ」(一)九州派」の活動 各務 章 29
「エッセイ」(二)黒田達也さんの思い出 各務 章 33
「編集後記」各務 章 35
禁煙/小澤清實
本気になれば禁煙なんて簡単です
たばこさえ吸わなきゃいいのですから
明日からでもできます
それだけでいいのですか
地球温暖化や大気汚染 自動車公害はどうですか
いまこの瞬間にも交通事故で大勢の人が死んでいます
くるまに乗らず作らず売らず買わなければ解決です
それ以外の解決策がありますか
昨夜アフリカの内乱と少年兵のテレビを見ました
世界が隈なく平和になって
アフリカ人も私達と同じ寿命になれば
人口は爆発的に増えて
民主主義が頭数の勝負なら
日本は早晩アフリカに支配されましょう
アフリカ人相手に今から子作り競争しますか
それともクローン人間やロボット量産して対抗しますか
ロボットにはあらゆる微妙な条件にも正確に反応する
人工頭脳を組み込みますから
鈍感な現代真人類よりましかも知れません
私があしたから本気に禁煙してもほんとにだいじょうぶですか
禁煙・嫌煙の風潮の中で、肩身の狭い思いをしている私にはとても考えさせられた作品です。「本気になれば禁煙なんて簡単です/たばこさえ吸わなきゃいいのですから」と簡単に言えないことを棚に挙げて、そうそう「それだけでいいのですか」と思いますね。この作品を読むと、大きな問題はそのままにして、攻めやすいところから攻めているだけという行政の姿が見えてきます。禁煙運動も結構、でも「私があしたから本気に禁煙してもほんとにだいじょうぶですか」と言いたいですね。次は肥満を撲滅しましょう、その次は飲酒、と、いつまで経っても「地球温暖化や大気汚染 自動車公害」には行かないでしょう。それらの本質的な問題のガス抜きとして禁煙・嫌煙運動はあるように思います。それを知らせてくれた作品と受け止めました。
○詩誌『スーハ!』3号 |
2008.3.15
横浜市旭区 600円 中島悦子氏方・よこしおんクラブ発行 |
<目次>
詩篇
大澤 武 脇往還を 梓巫女の行く 04
香村あん He told me about his life 27
佐藤 恵 透影(すきかげ)まどか 12
中島悦子 石蒜の左右 22
野木京子 どの人の下にも 02
八潮れん ビリティスと首 14
よこしおんクラブ Essay,Essence,Critique
大澤 武 たすきの重さ 19
野木京子 西日の思い出 20
香村あん 十一月のメモより 30
中島悦子 魚半の魚 30
八潮れん レオノール・フィニの白ふくろう 32
佐藤 恵 フレア 34
編集後記 佐藤 恵
たすきの重さ/大澤 武
お正月の二日、三日とテレビにかじりつく番組に、箱根駅伝中継がある。「ひたすら走るのを見て、なぜ面白いのか」と問いかけられて、「だけど、面白い」としか答えられなかった。今年は三チームがたすきをつなげなくて勝敗から脱落した。たすきをつないでも、その直後に、ほとんどのランナーが走路上に倒れこむ。
剣道、柔道、相撲は、礼に始まり礼で終える。これが日本のスポーツである。いや、野球でもサッカーでも団体スポーツは、全てそうなのかもしれない。駅伝はカメラで全国放映されている。沿道での観戦者も多い。寒さを忘れて応援したサポーターの、眼前に倒れ込む。
たすきの受け渡しはなにもスポーツに限らない。ヒトは猿からたすきを受けた。すべての動植物は真核細胞生物であるが、その真核細胞は二十億年前に細菌、古細菌からたすきを受けた。この細菌は四十億年ほど前に出現しているが、出現以来殆ど進化してはいないという。
外膜の呼吸によってエネルギーを生成する細菌。外膜の表面積は直径の二乗に比例するのに対して、体重は直径の三乗に比例する。一ミクロンの細菌が二ミクロンに大きくなると、単位体重当りの生成エネルギーは半分に下がってしまう、大きくなればなるほど栄養不足になる、息苦しくなってしまう。この幾何学的な制約が、大型化できない理由だという。
本号に書いた作品に、真核生物である光合成生物を少し登場させた。この生物の体内にある葉緑体もミトコンドリアも、もとは自由に生活していた細菌で、取り込まれたのか、寄生したのか、共生したものである。真核生物である私たちは、仲間である新潟のこしひかりを、神戸の牛を、食べたいだけ捕食することで、細菌のような皮膚呼吸ではなく捕食することで、それだけ体内のエネルギー生産細胞であるミトコンドリアの数を増やすことで、複雑化や大型化(進化)を遂げてきた。
話は戻って、細菌はいつもお腹をすかせていて、大腸菌は食料さえあれば二十分で一回の細胞分裂が出来る。大腸菌の体重は一兆分の一グラムだが、二十分毎に一回、一日七十二回の分裂が出来れば、大腸菌の集団質量は二日以内に地球の質量を超える。ヒトの人口爆発など彼らの増殖能力の足元にも及ばない。しかし、そうはならない。大食漢への食料補給が続かないこともあるが、DNAの複製に倍の四十分かかるという。複製にもっとも時間とエネルギーを費やす細菌たちの生存競争では、複製の速さ、言い換えれば、ゲノムの小さい方が勝つ。生存競争上、複雑化はできないのだ。四十億年間、細菌が大型化も複雑化もしていない訳の一つはここにある。
自然選択は複雑さより単純さを選ぶ。自然選択で神に近づいて行ける進化(複雑化)はない。約二十キロの与えられた距離、与えられた地形を走り抜くことに全エネルギーを集中させ営々と単純に消化し切って走路上で休息に入る。大先祖、細菌の生き方が、遠い子孫のヒトに刷り込まれているのかも知れない。いや、共に走り抜いた体内の祖先からの、監督指令だったのかもしれない。
--------------------
今号は詩ではなく、おもしろいエッセイがありましたのでそれを紹介してみました。「大型化できない理由」、「四十億年間、細菌が大型化も複雑化もしていない訳」などに納得させられてしまいます。それを「箱根駅伝」という観点から展開した論法も見事としか言いようがありません。「仲間である新潟のこしひかりを、神戸の牛を、食べたいだけ捕食することで」「複雑化や大型化(進化)を遂げてきた」私たち人間の業も、少しは判ってきたように思います。しかし、ある面では「体内の祖先からの、監督指令」を制御する必要があるのかもしれませんね。そんなことを考えさせられました。
← 前の頁 次の頁 →
(3月の部屋へ戻る)