きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.4.28 富士・芝桜




2008.5.11(日)


 昨日の日本詩人クラブ総会のあとは、渋谷の「天空の月」で7人ほどで呑んで、3次会は新宿・歌舞伎町のスナック「ラピス」で朝まで呑んでいました。正確には、午前1時ごろまで呑んで歌って、朝7時ごろまでソファーで寝ていました、というところですけどね。
 本当は3次会のあとはさいたま市の詩友の家に泊まることになっていました。そんなわけで結局、そのお宅には泊まらずに午前10時過ぎに伺いました。お風呂を借りて昼食もご馳走になって、次に向ったのは「さいたま市民会館うらわ」です。埼玉詩人会主催の「2008年埼玉詩祭」に参加して来ました。日本詩人クラブが後援していますので、理事の私も招待されたというものです。

 埼玉詩祭の主は、第14回埼玉詩人賞の贈呈式です。先輩詩友の高橋次夫さんが詩集
『雪一尺』で受賞されましたので、これは何がなんでも行かなくちゃあなるまい、と思って駆けつけた次第です。どんな詩集かはハイパーリンクを張っておきましたのでご覧になってください。お薦めの詩集です。

 講演は漂白の詩人・高木護氏の「私の詩と人生」。知る人ぞ知る、現代の山頭火とも謂える詩人で、松永伍一・川崎洋・谷川雁などとも親しかったようです。私は詩誌『現代詩図鑑』などで作品を拝読していて、すっかりファンになってしまいました。

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 公の場所に顔を出すことが珍しい詩人ですから、拙HPで紹介できることは本当に幸運だと思います。現在81歳、とてもそうは見えませんでした。1946年の復員以来の10年あまりを野宿で過ごした体験を語ってくれましたが、生きること、詩を書くことの本質は何であるか、私にも多少理解できたように思いました。詩人は全てを捨てたところから本当のポエジーを掴むのかもしれません。

 佳い集まりでしたが、さすがに私は疲れて2次会には参加しませんでした。埼玉の皆さん、すみません。でも早めに、20時過ぎには帰宅できて、気力は充分です。次は体力を蓄えて参加させてもらって、トコトンつき合います。ありがとうございました!



『埼玉詩人会会報』63号
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2008.4.30 埼玉県児玉郡上里町
北畑光男氏編集責任・狩野敏也氏発行 非売品

<目次>
第14回埼玉詩人賞 高橋次夫詩集『雪一尺』に 1
現代詩サロン 北畑光男講演 朔風の詩人・高橋秀一郎 3
文学散歩 群馬詩人クラブとの交流会 5
シリーズ 埼玉の詩誌(2)
追悼 寄贈御礼 7
会員情報 理事会から 編集後記 8



 上述の埼玉詩祭で頂戴したものです。2頁に渡って第14回埼玉詩人賞について記載されていました。
 その他の記事でおもしろいなと思ったのは、「シリーズ 埼玉の詩誌(2)」です。今回はさいたま市内の詩誌に絞ったそうですが、14誌に上っています。やはり埼玉は詩の盛んな都市と云えそうです。



季刊詩誌『タルタ』5号
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2008.5.20 埼玉県坂戸市
タルタの会・千木貢氏発行 非売品

<目次>
小特集・峰岸了子特集『かあさん』
【作品抄】…2
【書評】峰岸了子詩集『かあさん』の記…伊林俊延…7

柳生じゅん子…水琴窟の記憶 14       千木 貢…失踪 16
峰岸了子…ぼくは 18            田中裕子…矢先スライス 20
エッセイ 伊藤眞理子…ふるさとの宝もの 23
現代詩のいま
米川 征…言葉/描写 26          柳生じゅん子…詩を読むよろこび 28
 *
峰岸了子…議論 32             田中裕子…鏡 36
伊藤眞理子…はたちの朝に 38        柳生じゅん子…夜の学舎 41
米川 征…訪問 44
詩論 千木 貢…現代詩のたくらみ 48



 水琴窟の記憶/柳生じゅん子

水は
どんな風に触れているのだろう

しずくが いくつもの
希いのこもった短冊になっているような
それを闇に閉じこめまいとして
風がなぞるたび
虹色の音階が きらめいてくる
隠れた喜こびの細部
もがれる狂気にも 感応して
音は散りばめられていく

けれど どこかにそれを受けとめる
やわらかな掌があるらしい
ときに 放りあげられては
言葉になる前の涼しい音声となって
ひびきあい 駆けのぼってくる

ひそかに
今から生まれてくる者たちが
目をさましている
少し前に逝った者たちは
ふり返っている

蚕が吐く糸のこそばゆさで
内耳をくすぐる
楽天の螺旋をすべる
わたしの骨を鳴らしにくる

 ご存知のように、「水琴窟」は水滴により琴のような音を発生させる仕掛けですが、その記憶≠辿ったところにこの詩の特徴があるように思います。「しずく」の記憶と謂ってよいかもしれません。「どこかにそれを受けとめる/やわらかな掌」というフレーズに作者の基本的なモノの見方を感じます。それが第4連に結実しているのでしょう。「今から生まれてくる者たち」ばかりではなく、「少し前に逝った者たち」への視線も忘れない、懐の深い作品だと思いました。



詩誌『アル』37号
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2008.4.30 横浜市港南区 西村富枝氏発行 450円

<目次>
●特集 記念日
三月三日…江知柿美…1           神が死んだ日…江知柿美…3
闇夜に…荒木三千代…5           記念日…阿部はるみ…7
みつめる…平田せつ子…9          食卓…西村富枝…13
家出…西村富枝…15
●短詩 春行きて…西村富枝…17
●エッセイ カモがいて…江知柿美…21
●詩篇
室温…江知柿美…23             純粋な贈り物…江知柿美…25
休日…西村富技…27
編集後記…平田・西村            表紙絵…江知柿美



 記念日/阿部はるみ

待っているとおなかがすく
季節の和え物など賞味しながら
隅のグループから明かるい笑い声があがる
ガラス窓の向こう紅梅白梅も
丁度見ごろだ
三日前に冗談を言っていたひとは
高圧の窯の中だいまは
幼い日のままごとのように
記念日に招かれた客たちは
時間の座布団に座らされて
することがない

煙突のけむりをふり返るいとまもなく
枯れ芝のあいだで
青白くふるえているよもぎを踏んで
次の場所へ

小さな棒切れのようなものが
沖へと流されてゆく
岸へ
何度も戻ってくる
岸へ
上がるかに見えてまた
流れに漂よってゆく
はぐらかすように
やがて大波に呑まれて――。
次の場所ってどこなのか
晩年とはいつの年なのか
あれは
棒切れだったか
義姉の使者だったか

 「特集 記念日」の中の1編です。この記念日≠ヘ、「三日前に冗談を言っていたひとは/高圧の窯の中だいまは」とあり、「煙突のけむり」とありますから、火葬場でのことと採ってよいでしょう。最終連の「小さな棒切れのようなものが/沖へと流されてゆく」というシーンは「義姉の使者」の象徴と受け止めました。「次の場所ってどこなのか/晩年とはいつの年なのか」というフレーズもおもしろい作品です。



   
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