きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2008.4.28 富士・芝桜 |
2008.5.12(月)
その1
日本ペンクラブの電子文藝館委員会に出席してきました。今日のトピックスは
BUNGEIKAN.jp のドメインが取れたことです。私は知らなかったのですが、bungeikan.jp
という小文字表記も併せて使えるのですね。その活用方法の話になりました。すぐに切り替えることはできませんが、近い将来の電子文藝館はそちらに移ります。
昨年4月から今年3月までの掲載作品数も報告されました。40作品だったそうです。今までは年に100作品ほどですから、これはまったく少ない。秦委員長から3代目の委員長になっていますし、現職の委員長ということもあり、業者さんの撤退に伴う処理に追われた結果でもありますから、まあ、致し方ないことではあります。私たち委員が積極的に作品を開拓しなかった面もあるわけで、私も反省させられました。これからの1年は元に戻すべく頑張りますので、会員の皆さんもどうぞ積極的に作品をお寄せください。
○モリグチタカミ氏詩集 ベル2『ベル鳴り』 |
2008.5.1 大阪市北区 竹林館刊 1500円+税 |
<目次>
T
1‥鳥 10 2‥花 14
3‥瀬戸内の一景 16 4‥離郷 18
5‥おまわりさん 20 6‥木魚 24
7‥むかしはえらくて・・・ 28 8‥記憶 30
U
9‥気になっているあなたへ 34 10‥柔らかい力 38
11‥反照 40 12‥それさえいつも 44
13‥若い日 T 46 14‥求むべき何ものをぞ ただ問うのみは 48
V
15‥こま犬 52 16‥足音 56
17‥階段 58 18‥煙のあとさき 60
19‥あおとみどり 64 20‥ベル鳴り 66
21‥雲の時間 68 22‥若い日 U 70
23‥モチつき 72 24‥廃業−水車営業衰亡記− 76
25‥窓 82
あとがき 87
ベル鳴り
人が来て
戸が開く
ベルが鳴る
用件を聞く
おぼえておく
それだけのこと
子どもだから
るすばんの
ベル鳴り
5年ぶりの第2詩集のようです。第1詩集には「ベル1」という冠詞が付けられているようで、今回は「ベル2」となっていました。そのタイトルポエムを紹介してみましが、「子ども」の「るすばん」で出来る範囲のことを言っているのだと思います。
本詩集中の「木魚」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせてモリグチタカミ詩をお楽しみください。
○詩と評論『惟』2号 |
2008.5.5 神戸市須磨区 紫野京子氏編集・月草舎発行 非売品 |
<目次>
<詩> 紫野京子 雨の日 1 月夜に 4 空の果てに 6
<エッセイ>紫野京子 聖フランチェスコと青いユダ 9
<詩> 古田嘉彦 桜 12
雨宮テイコ 夜と時のかなたから 14 五月 16
<評論> 紫野京子 風の起こる処 20 la
petite pensee 32
月夜に/紫野京子
満月の夜に
あなたはどこかの軒端に
嬰児として生まれるだろう
月夜に舟を浮かべて
その赤子を探すために
漕ぎ出そう
この宙(そら)の果ての
どこか遠くで
あなたは再び生きている
そんな空想に縋って
あなたの不在に耐えている
ひとり遺されて 老いてゆく私に
みどりごの微笑みは眩しい
明け遣らぬ空の下
小鳥たちが囀りだす
昨年10月に創刊された新しい詩誌『惟』も2号を迎えることができました。年2回ぐらいの発行になるのでしょうか、今後も楽しみです。
第2号の作品は「月夜に」を紹介してみましたが、この「あなたの不在」とは、神の不在のように思えてなりません。「赤子」が神なではないでしょうか。作者の意図とは外れるかもしれませんが、私はそのように読み取りました。
○詩誌『どぅるかまら』4号 |
2008.5.10 岡山県倉敷市 瀬崎祐氏発行 500円 |
<目次>
郡 宏暢 …犬の日 2 タケイリエ…悪魔 4
タケイリエ…耳 5 水口京子 …少女 6
坂本法子 …老夫婦の生活 8 川井豊子 …ナコイカッツイ 10
蒼わたる …赤富士 12 長谷川和美…松籟 14
沖長ルミ子…光る川 16 秋山基夫 …文明批評または農耕ユートピア※※ 18
山田輝久子…過客の孤影※※ 21
境 節 …音がして 22
境 節 …風のかたち 23 河邉由紀恵…妹の物語 24
山田輝久子…なみだ雲 26 北岡武司 …宇宙の子−その一 28
北岡武司 …宇宙の子−その二 28 北岡武司 …さやか さやか 29
斎藤恵子 …機織 30 田中澄子 …ヒロ子さんと 32
岡 隆夫 …アリンゴの行列 34
岡 隆夫 …マスカット・オブ・アレキサンドリアを植える 35
岡 隆夫 …夏果 36 秋山基夫 …贈与 37
瀬崎 祐 …湧水 38
※エッセイ ※※書評
湧水/瀬崎 祐
わたしは転ばないように斜面を降りてきた
わたしを追いかけてくるものがあるような ないような
こんな砂丘の片隅で水が湧くとは知らなかった
湧水 その底で砂粒がふるえている
湧いてくるものの冷たさにふるえている
それは今日まで地底に伏せていた年月の冷たさだ
砂がふるえるとき わたしのなかでもふるえるものがある
見えなかった場所から湧いてくるものにおもわず呼応している
埋めようとされてなお拒みつづけるものを
衣服から飾りをとりのぞくようにむしっていった
いつしかわたしは風をとおす薄衣だけになっていた
だからまわり道をしている
ふるえる時間はどのように埋めればよいのか
ふるえる時間の流れが少しずつ溢れてくる
この場所は風が強くて日差しを遮るものもない
水に触れることはためらわれる
この辺境の地でついに終わる決意をすることができないから
わたしの中にある湧水の噴出場所を
だれかに見つけて欲しい だれかに呼ばれて欲しい
短い休日をどれだけのまわり道で埋めればたどりついたことになるのか
それから 海
そこでこの地は果てる
わたしの中で反転した道は空へつづく
亡くなった者たちも連れて砂の下の道筋をたどる
海をわたる船が夜明けまで砂丘をめざすように
年月をたどって 湧いてくるものをたどって
一瞬、安部公房の「砂の女」を思い出しましたが、「こんな砂丘の片隅で水が湧く」という場面ですからちょっと違います。しかし、その根底にある「水に触れることはためらわれ」ながら、求めているものは同じようなもののように思います。そして「わたしの中にある湧水の噴出場所を/だれかに見つけて欲しい だれかに呼ばれて欲しい」というフレーズが「海をわたる船が夜明けまで砂丘をめざすように/年月をたどって 湧いてくるものをたどって」という最終部につながるようにも思うのです。砂と水とのイメージに魅了された作品です。
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