きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.9.27 栃木・和紙の里




2008.10.16(木)


 夕方から日本詩人クラブの「詩の学校」が
新宿区天神町の事務所で開催されました。講演は岡隆夫氏の「エミリィ・ディキンソンのマイクロコズムからミクロコズムへ」。原詩・翻訳を含めたユニークな講義を25名ほどの受講者が愉しみました。

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 講師はエミリィ・ディキンソン研究の第一人者として知られていますが、岡山県在住。今日のためにわざわざ上京していただきました。お話も上手いし、自家製の葡萄を持って来ていただくなど、ちょっと得がたい講義でしたね。懇親会も行き着けの中華料理店で楽しみました。ありがとうございました。




沢聖子氏詩集『三角橋』
21世紀詩人叢書・第U期33
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2008.10.25 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
 T
電灯 8       彼方へ 11      その日まで 16
三角橋 22      寒椿 26       閉じこめて 30
呼ぶ声 34      岐路 38       誘われて… 42
春一番 46      五月の雨 48
 U
その手 52      真昼の夢 60     ひと夏の… 68
夢のなかで 76    姫りんご 82     唄の兄さん 88
白い花 96
 V
瓜男 104
.      夢の男 108.     対 110
異物 112
あとがき 116




 三角橋

踏んばって ペダルを漕ぐ
傾斜四〇度ほどの
三角橋を 渡りきれば
母に奇蹟が起きると願かけて

橋の上まであと少しというところで
見えない何かに引張られるように
後退りする
仕方無く下りて
自転車を押す
(お母ちゃん ごめんね)

若者達が
立ち漕ぎをして追い越していく
私達おばさんだって
母だって
踏んばり斜めになりながら
前へ前へと
漕ぎ続けた時代があった
振り返ることなんてできない
風と対になったり 逆らったりして
ひたすら歩んだ
(お母ちゃん 年には勝てないねぇ)

走馬灯のように巡る原野で
―楽しいことなんかなかった
と泣く母
その一生を
幸せな時もあったと
塗り替えなくてはならない
思い出の小箱を開けては
黄や緑のハンカチを続々と出す
母の為なら
鳩だって出して見せる
手品師の私
(お母ちゃん 時間がないよ)

三角橋
あとどのくらい
往き来できるのだろうか
季節は 虫の音に変わった
闇へと
ブレーキをかけずに
一気に下りていく

 13年ぶりの第4詩集です。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈傾斜四〇度ほど〉というので驚きましたが、国道の最大斜度は30度ぐらい、一般道では37度ぐらいのようですから、ありえないことではないでしょう。ただし、その道は普通車では登るのが難しく、四輪駆動車でやっとだとネットには出ていました。実際、私もスキー場で体験していることですが、国内の上級者用のゲレンデでは35度が最大で、上から見ると絶壁に見えます。
 しかし、これは詩作品ですので、事実云々は問題ではなく、それほどキツイ坂だと認識すれば良いでしょう。

 紹介した作品は第4連が素晴らしいと思いました。特に〈母の為なら/鳩だって出して見せる〉というフレーズが佳いですね。〈その一生を/幸せな時もあったと/塗り替えなくてはならない〉と思う〈私〉の一途な気持ちが痛いほど伝わってきます。
 本詩集中の最後に置かれた
「異物」は、すでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて沢聖子詩の世界をご鑑賞ください。何かの賞を取ってもおかしくない好詩集です。




詩誌『梢』48号
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2008.10.20 東京都西東京市  300円
山岡和範氏方事務局・井上賢治氏発行

<目次>
「二〇〇八年・夏・断章」宮崎由紀…………2 「食糧難」山岡和範……………………………7
「先輩ふうちゃん」他1編 山田典子………9 「甘露煮」他1編 井上賢治…………………11
「あやつられる」他1編 上原幸三…………15 「伝えたい」北村愛子…………………………18
「とうがらしとんぼ」他6編 日高のぼる…21 「大津絵」藤田紀………………………………30
「幼年時代」他1編 牧葉りひろ……………33
山岡和範詩集「笑生ちゃん」感想……………37 「梢」47号感想紹介……………………………41
事務局だより……………………………………47  表紙 版画−水辺の木立 井上賢治




 伝えたい/北村愛子

今では検診車が来て
簡単にレントゲン撮影も出来るが
敗戦後間もないその頃は
学校ではレントゲンはとらなかった
医師が聴診器で聴いて
ポンポンと指でたたいて診断した
中学二年に進学したばかりのわたしは
何度も聴診器を当てられた

母は工場を休んで
わたしを水道橋にある結核予防会に
つれていった
左肺が肺浸潤と診断され
学校は三ケ月ほど休んだ
その後は
午前中授業を受け
午後からは安静のため家に帰った
週一回は気胸という治療を受けるために
結核予防会に通った

母は
「お前に亡くなったお父さんの結核が感染して
いたんだねえ」
と言ってしょんぼりした
わたしも
「これじゃあ卒業できるかどうかわからない」
と暗い気持ちになった
「進学も出来ず 勤めにも行かれず
生きていても未来がない」
と絶望的になってもんもんとした

わたしの病気は軽いほうだったので
二年近くはかかったが完全になおった
あの時聴診器で病気を見つけてくれた
医師の素晴らしさをこの頃思うのである
あの時発見してくれたからこそ
わたしは父のように
手遅れで死ななくてすんだのだと
医師の名前も顔も思い出せないが
わたしの人生 苦労はしたが
生きていてよかったと
医師に伝えたい             二〇〇八・八・二四

 〈医師〉の役割を考えさせられる作品です。〈聴診器で病気を見つけてくれた/医師の素晴らしさ〉を私たちは感謝しても、当の〈名前も顔も思い出せない〉医師はとっくに忘れているでしょう。仮に出会えたとしても、おそらく、仕事だからと笑ってすませることでしょうね。そこに医師本来の素晴らしさを感じてしまいます。そんな医師たちが多くいたことを私たちは覚えています。そして、やはり〈生きていてよかったと/医師に伝えたい〉と思うのです。医師と患者の良好な関係というものを、現在の医療に接している私たちに、改めて思い起こさせる佳品だと思いました。




会報『「詩人の輪」通信』24号
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2008.10.17 東京都豊島区
九条の会・詩人の輪事務局発行 非売品

<目次>

崩れる道路/ゆきなかすみお          光の織物/澤田康男
蜘蛛の張り込み/川原よしひさ         祝辞/佐藤冨士子
やきいん/小長谷源治             あたらしい浦島のはなし/山岡和範
平和とは/磐城葦彦

共に広げよう「九条の会・詩人の輪」/小森香子  新しい事務局体制になりました
九条の会第3回集会国交流集会         カンパの訴え
輝け9条!詩人のつどい パート7




 崩れる道路/ゆきなかすみお

センベイのようなマスファルト。一〇センチもない。あっちこっち穴があいて
亀裂がはしって、ぼこぼこ。
自衛隊がイラクで造った道路。自衛隊が直接造ったものではないが、業者を募
って指名する、その監督。

学校の改修もやった。二年もたってないのにもう壁には蜘の巣みたいなヒビが
はいって、天井は剥がれて落ちてくる。

手抜き工事の見本市。

イラクの通常より三割も四割も高い工事費に業者が群がってワイロが横行。
毒茸のような腐敗の温床にもなった。

自衛隊が自らやったのは、河の水を浄化して飲料水にする作業。
濾しても濾しても濁り水。飲めたもんやない。
仕方なしに町から水道を汲んできて給水車で配ってまわった。

なにしてるんや! 復興支援?
何百億か何千億か、税金ばらまいただけやないか!

ほれほれ、また路肩が崩れて砂利が流れでて、
空洞になったアスファルトが揺れている。

 詩作品ですから技術的なことを書いてもしょうがないんですが、〈センベイのようなマスファルト。一〇センチもない〉とありますので、どのくらい薄いのか調べてみました。道路工事会社のHPによると、薄くても30cm、厚いと60cmになるようです。それに対して10cmも無いだろうというのですから、いかに〈手抜き工事〉であるかが分かります。その原因は〈ワイロが横行〉したことと明快です。〈復興支援〉に名を借りた海外派兵で目的だったわけですから、〈センベイのようなマスファルト〉であろうが〈天井は剥がれて落ちて〉こようが構わないという図式が見えてきますね。具体的な数字で派兵の本質を突いた佳品だと思いました。



   
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