きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.9.4 筑波山・ガマ石 |
2009.10.14(水)
山形県のある詩人から丁寧な来信がありました。冒頭に、お前に詩集を送ったけど封筒に名前を間違えて書いてしまった、ゴメン、と。村山が村上になるようなことはよくあることなので、そんなことでわざわざと思いましたら、続きがありました。それはそれとして俺の名前が間違っているから訂正するように、とあったのです。
あれれ?と思って調べたら確かに間違っていました。拙HPでは、詩集をいただいた場合は4ヵ所にお名前が入ります。トップページと該当の日記の部分、月別の索引部分、そして著者別の索引部分です。もちろんすぐに訂正版をアップしましたけど、4ヵ所すべてが間違っていたことに我ながら驚いています。最初に思い込んだら、何度か機会があったにも関わらず修正が効かなかったのです。4ヵ所もあればどこかで気づくはずなのに、このていたらく。そういうミスを犯すのだと肝に銘じました。ご迷惑をお掛けして誠に申し訳ありませんでした。
ときどき以前の日記や作品を読み返してみると、誤字・脱字がゴロゴロ出てきます。その度に訂正していますけど、皆さまもお気づきになりましたら、どうぞ教えてください。日記の部分はまあ愛嬌としても、文芸作品はミスを減らしたいと思っています。よろしくお願いいたします。
○入田一慧氏詩集『生命播種』 エリア・ポエジア叢書2 |
2009.9.30
東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1800円+税 |
<目次>
トマト 6 瓶詰め 8 穴T ドーナツ 12
穴U 笑壺(えつぼ) 16 穴V アーチする手足 20 泡粒 22
四つの湯船−芦野温泉にて 26 この手 30
古傷 34 化粧 36 心の唇T 40
心の唇U 42 蚯蚓 44 蚯蚓の意志 46
透明な水 48 夢百合草 52 白昼夢 54
儚さの中で 56 開かない窓 60 緑の柩 64
空間を歩く 68 迷蝶(めいちょう) 72 キャベツ 78
夜中の呪縛 80 決意 84 スパイス 88
あとがき 90
瓶詰め
力がないのか
要領が悪いのか
瓶詰めの蓋を開けられないことが多い
時間が有るときなら
ゴムパッドを使って試みるか
蓋をとんとんとたたいてから
お湯で温めて開けようかと思うけど
今すぐ食べたいとなると
そんな悠長なことはしていられない
さっと瓶を差し出すと
心得たもので
母は唇を尖らせながら
大抵開けてくれる
こういうことは
父より母の方が頼もしい
老婆の母に繰り言を日毎聞かされるから
ボケたのかと嫌気がさして
言葉の折檻を浴びせる娘も
そんなときばかりは素直な子供になる
ニューエイジの本を読めば
私たちは生まれてくる前に
綿密な人生の設計図を作るのだという
それは信じたい
大いなる存在に生かされているとも思う
私の設計図の全貌が分かるのは
魂が肉体を離れてからになるのだろう
立てた計画を忘れてから生まれてきたというから
推測しても仕方がない
もしかしたら
瓶詰め食品を恨めしく眺めることが辛くなって
結婚を決意すると計画してきたかもしれない
悠然と構えているわけにはいかない
明日には瓶詰め食品が
思うように食べられなくなるかもしれないのだから
瓶に詰めた「結婚すること」を
白日の下にさらせば解決できることなのだが
5年ぶりの第2詩集です。紹介した詩は〈私たちは生まれてくる前に/綿密な人生の設計図を作るのだという〉フレーズがおもしろいと思いましたけど、それ以上に〈立てた計画を忘れてから生まれてきた〉が佳いですね。詩人とはたぶん、そういう人種なのでしょう。最終連の〈瓶に詰めた「結婚すること」を/白日の下にさらせば解決できることなのだが〉というフレーズもよく効いていると思いました。
本詩集中の「白昼夢」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきました。合わせて入田一慧詩の世界をご鑑賞ください。
○一枚誌『表象』創刊号 |
2009.4.1 山形県鶴岡市 万里小路譲氏発行 非売品 |
<目次>
詩 まがり角/房内はるみ
評論「りんご 小池昌代」/万里小路譲
詩 新年――スヌーピーの・信念・夢の日/万里小路
486 Emily Dickinson(c.1862)/万里小路譲訳
旅と一輪挿し/房内はるみ
まがり角/房内はるみ
春になると
いくつものまがり角が 現れては消える
桜吹雪の角をまがれば
小学校の正門
夕暮れのK商店の角をまがれば
母の顔
住みなれた町の もう何十回も通った角なのに
まがるということは いつでも新鮮だ
そこに思わぬ人がいたり
ふとした出来事が待っていたりする
まがった角も まがらなかった角もある
まがるたびに 生まれ変わってきたようにも思う
家の近くにある 家主のいない 泰山木の木のある家
陽が落ちても その家だけは残照を溜めている
あの家の角をまがったことはない
だから今も まがった先にゆらめいているものを知らない
それでも いつかはあの角をまがって入っていかなければならないだろう
あの家の裏側にある 果てしなく深い世界へと
50号で終刊となった一枚誌『てん』の後継誌という位置づけのようです。ここでは創刊号巻頭の「まがり角」を紹介してみました。〈まがるということは いつでも新鮮だ〉というフレーズに“新鮮”さを感じます。〈あの家の裏側にある 果てしなく深い世界〉はもちろん死の世界。〈まがり角〉は新鮮さと死が同居しているものなのかもしれないと思いました。
『表象』誌の今後のご発展を祈念しています。
○一枚誌『表象』2号 |
2009.9.14 山形県鶴岡市 万里小路譲氏発行 非売品 |
<目次>
詩 光の部屋/房内はるみ
評論「夏の思い出・昼寝 丸山全友」/万里小路譲
評論「ほぐす 吉野弘」/万里小路譲
詩 新年――スヌーピーの・信念・夢の日/万里小路
1147 Emily Dickinson(c.1869)/万里小路譲訳
再訪/房内はるみ
1147 Emi1y Dickinson (c.1869)
After a hundred yeats
Nobody knows the Place
Agony that enacted there
Motionless as Peace
Weeds triumphant ranged
Strangers strolled and spelled
At the lone Orthography
Of the Elder Dead
Winds of Summer Fields
Recollect the way ――
Irstinct picking up the Key
Dropped by memory ――
万里小路譲訳
百年を経たあとには
だれもその場所を知らない
そこで演じられた苦悶も
平和のように静か
雑草が誇らしげにはびこり
見知らぬ人たちがやってきて
ずっとむかし死んだひとの
さびしい綴り字を判読する
夏の野を吹く風だけが
その道を回想する
記憶が落とした鍵を
本能が拾いあげて
エミリー・ディキンスンの訳詩は創刊号から続いています。特に題はないようですが「1147」が作品番号なのでしょうか。万里小路さんが翻訳、房内さんが解説という形になっています。従って房内さんの「再訪」は「1147」についての解説と採ってよいでしょう。ディキンスンの繊細な感覚が翻訳と解説で甦りました。