きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.9.4 筑波山・ガマ石 |
2009.10.15(木)
今日は特に予定のない日。いただいた本を拝読していました。
このあとは、ある詩誌から依頼された原稿書きに入ります。さて、どんなものが出来るやら…。
○穂高夕子氏詩集『幼蝶』 |
2009.10.16
東京都杉並区 抒情文芸刊行会刊 2000円+税 |
<目次>
T・海
出発・8 投網・10 崖・12
ハマヒルガオ・16 幼蝶・20 立っているもの・22
U・季
くぬぎ公園・26 百日紅・30 エノコログサ・34
蝶道・38 蝉になる・40 月見草・44
V・旅
中棚荘・48 滝の方へ・50 白い島・52
受け取る・56 小樽・60
W・想
二枚の青い絵に 地動説・64 天動説・68
あなたはどこで・72 耳をすます・76 天敵・80
花のままで・82 許されていること・84
あとがき・89 カバー・口絵 安齋 洋
幼蝶
生まれてすぐに死んでしまった
小さな はまぐりの 白い貝殻
返す波にさらさらと
さらさらと運ばれていく
死んだ想いを殻に残し
幼い蛋白質は海に溶けてしまうので
水はいのちで満たされる
見えはしない
いのちといのちの絡まりの中で
海はまた豊かになる
渚に
寄せては返す母の腕
くり返し くり返し
小さないく百の幼蝶を
揺すっている
第1詩集のようです。ご出版おめでとうございます。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈生まれてすぐに死んでしまった/小さな はまぐりの 白い貝殻〉を〈小さないく百の幼蝶〉とした感性に敬服します。〈水はいのちで満たされる〉というフレーズも佳いですね。波を〈寄せては返す母の腕〉と喩えたところも見事だと思いました。
本詩集中の幾篇かはすでに拙HPで紹介しています。初出から大幅に改編したものを除く、「中棚荘」と「許されていること」にはハイパーリンクを張っておきました。合わせて穂高夕子詩の世界をご鑑賞ください。
○清岳こう氏詩集『風ふけば風』 |
2009.10.15 東京都千代田区 砂子屋書房刊 2500円+税 |
<目次>
T
哈王(ハルビンビール)で一杯の後 10 ちょっと出かけたら 11
二重扉の外では 12 旧・どろぼう市場で 13
俺も知っている 14 赤いペンキで 16
追われ逃れて 18 青雲カラオケ店の 20
見ざる聞かざる言わざる 22 街角で 24
振りかえると 25 西瓜の種をかむと 26
U
南京四十五度 28 夜の底に 29
鬼さんこちら 30 虫のいい話だが 31
中国の地図は鳳凰に似ています 32 クリスマスイブ 33
食事に招待 34 なるほど もっともだが 36
僕は優秀だから 30 とつぜん 40
羽根蹴り 42 四角い豆腐も 43
粟のお粥に菊の花茶を飲んで 44
V
そっとしておいて 46 大皿で 47
汽車に揺られて 48 鳥も飛ばぬ炎天下で 50
高速道路で 52 山椒がひりりときいて 56
桜は美しいか 58 地酒は 60
スピードハンター 61 嘘も方便 62
長距離バスを見送って 63 花園小学校 64
すみれの大地 66 アカシアの並木道をくぐると 68
W
パミール高原 70 峠をこえて 71
うっちゃらかしにして 72 昔話 74
徹底抗戦 76 おせっかいだが 78
国境を越えて 79 山紫水明の地で 80
キャンパスを出て 84 短い夏 86
仕事がおわり 87 太陽のもと 88
あとがき 90
装幀 倉本 修
汽車に揺られて
寝台列車の最上段から這いおりると見はらすかぎりの雪だった
汽笛を鳴らし雷鳴をくぐりあえぎあえぎ一夜をかけて山脈を越えたのだ
あわててタイツにズボンを二枚重ねセーターを引っ張りだす
昼すぎ とうもろこしの粒々の輝きが家々の屋根を壁を埋めてつづき
全身がだるくなり 半袖のTシャツ一枚でも汗がふきだす
いよいよ砂漠の端にふれたのだ
はるかかなたまで大空
はるかかなたまで草原
風ふけば風 さらに風 *
風ふけば あちこちに牛の背羊の背
婆さまが古い詩の一節をとなえ
爺さまが砂漠が太り始めていると眉をしかめる
夕暮れのプラットホームに立つと小石ばかりの町だ
少女とすれちがうと胸がふくよかに匂い
少年の太股は自信たっぷりにボールを蹴り
酒飲みの仙人物語だけで知られているこの町で
太陽に炒りあげられベッドから跳ねおき 少年達はプラットホームに立つだろう
少女達はお尻に硬く背中に痛い座席に座り 朝昼晩と列車に揺れゆられるだろう
巨大に太り もう大人たちの鞭では飼いならすことのできなくなった砂漠へ
かかとの高いヒール達は ジーンズの細い脚達は
ピザパイ・蛸やき・ハンバーガーあふれる砂漠へ乗りこんでゆくだろう
かつて
私が 私の親友が 私のあこがれの人が 私の嫌いだった人が
砂漠の住人になったように 砂漠から抜け出せなくなったように
*古詩「勅勒歌(ちょくろくのうた)」(『文選』)より 天蒼蒼 野茫茫 風吹草低 見牛羊 参照 清岳こう訳
日本語教師として数年を過ごした中国での作品を集めた詩集です。タイトルポエムの「風ふけば風」という詩はありませんが、紹介した作品の第3連から採っていると思われます。それにしても、朝は〈あわててタイツにズボンを二枚重ねセーターを引っ張りだす〉ほどだったのに、昼には〈半袖のTシャツ一枚でも汗がふきだす〉という中国の過酷な気候に思いを馳せずにはいられません。〈巨大に太り もう大人たちの鞭では飼いならすことのできなくなった砂漠へ〉というフレーズからは、地球温暖化で砂漠化が進む危惧を感じました。
○詩とエッセイ『焔』83号 |
2009.10.10
横浜市西区 福田正夫詩の会発行 1000円 |
<目次>
詩
ぼく自身の… 保坂登志子 4 豊見城の海軍壕跡にて/楚雄の子供たち 工藤 茂 6
うちむらゆうさく 新井翠翹 8 夏の日 金子秀夫 10
チロに/根府川の海 濱本久子 12 人生の到達点に近づいた父 上林忠夫 14
天からの恵み 伊東二美江 15 逸話 長谷川忍 16
障害のある少女 地 隆 17 雲の上の人 阿部忠俊 18
立ち止まれ 平出鏡子 19 真っ青な空 福田美鈴 20
第U部 遍歴 繁栄の都市 古田豊治 22 気がついたら 山崎豊彦 25
ふたたびこころよ 瀬戸口宣司 26 人間をやめよ 亀川省吾 27
男の背中 植木肖太郎 28 乗り損ねた船/品川・大井・大森/八ヶ岳 黒田佳子 30
〈連載〉友の書翰 許 育誠 34 錦連回憶録 第一草 生い立ち・その1 錦 連 38
〈追悼〉福田先生 林丕沙子 45 「神川正彦先生を偲ぶ会」に出席して 金子秀夫 47
〈紹介〉北原隆太郎氏の著書 福田美鈴 49
〈報告〉「石垣りん文学記念室」について 小長谷源治 51
〈書評〉『濱本久子詩集 敦煌のカラス』について 小関一彰 52
浅見洋子詩集『水俣のこころ』 金井雄二 56
誠実な生の軌跡 布野栄一著『詩による自叙の書』 大和田茂 59
詩誌紹介 長谷川忍 63
詩集紹介 金子秀夫 66 編集後記
表紙 福田達夫 目次カット・カット 湯沢悦木
男の背中/植木肖太郎
子供は父親の背中を見て育つというのは
昔のこと
疲れ果ててヒョロヒョロになって帰ってくる親
いやなことがあってぐでんぐでんになって酔いつぶれる親
昼間の会社や工場などの苛烈な勤務では
子供は親の真の姿は見えない
男の背中は
悲しい背中か
がんばる背中だ
亡き南川さんの背中は
自信のある大学教授
大きな背中が揺れて頼もしい詩人の姿があった
絹川早苗さんは 渓流釣りの好きな彼の
衣紋掛けのような幅広い背中を懐かしむ
吉田和古さんは 家族とともにいることを選んだ
父の痩せた背中に 思いを抱く
僕はがんばる背中を見て
いつも歩みを強めることがある
そのひとつが原田君の背中だ
クリーニング屋の彼の背中はいつもアイロン台に向かう
力を入れている背中に働いている意気込みを感じ
自分も がんばろうと思う
前から来る人はすれ違うと別れるが
前を歩いている人の背中は 暫くは自分と一緒だ
僕の後ろから来る人に
自信のない背中を見せたくない
僕はいつも真っ直ぐ歩く
ときには虚勢 ときには生きている元気 意地の背中だ
男の背中は みんなの背中だ
そんな気がする
絹川早苗さん・詩集「林の中のメジロ籠」
吉田和古さん・「流」詩誌・NO31より
たしかに〈子供は父親の背中を見て育つというのは/昔のこと〉になってしまいました。しかし背中が無くなってしまったわけではありません。〈亡き南川さんの背中〉、〈渓流釣りの好きな彼の/衣紋掛けのような幅広い背中〉、〈父の痩せた背中〉とともに〈働いている意気込みを感じ〉る〈力を入れている背中〉があります。そして〈僕〉の〈ときには虚勢 ときには生きている元気 意地の背中〉。背中は相変わらず雄弁にその人を語っているようです。最終連の〈男の背中は みんなの背中だ〉というフレーズも見事だと思いました。
○詩誌『さよん・V』6号 |
2009.10.10
神奈川県高座郡寒川町 冨田氏方事務局・さよんの会発行 500円 |
<目次>
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詩 冨田民人 大都会…16 発見川…18 風虫…20
近況・雑記…24
愛は/全美恵
愛は 信じることではなく
信じている と
ささやくこと
愛する人に
信じている と
告げることだ
信じることはむずかしい
そして、それ以上に
信じている と
告げることがむずかしい
愛は … 。
〈愛は 信じることではなく/信じている と〉〈告げることだ〉というこの作品は、思うだけではダメだ行動せよ、と言っているのかもしれません。それは確かに〈むずかしい〉ことですね。思うだけならた易いことですけど、そう〈ささやく〉ためには相当の覚悟がいる、と日本の古いおぢさんは考えるのです。イタリア男のように会う女性ごとに“愛している”と言うのは、それはそれで良いことなのかもしれませんが…。久しぶりに〈愛〉について考えされられました。