きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.9.4 筑波山・ガマ石




2009.10.13(火)


  その2

 「鉄道資料本展」のあとは、そのまま国府津駅から東海道線に乗って東京駅に向かいました。久しぶりに東京駅からは日本橋兜町の日本ペンクラブ会館まで、暑いほどの陽射しの中を歩きました。

 第9回の「国際ペン東京大会2010」は、阿刀田会長、浅田次郎専務理事が欠席でしたが、高橋千劔破・西木正明・松本侑子・吉岡忍の常務理事を始めとして30人ほどが集まりました。ポスターの2案が提示され、東京大会専用の会員向けチラシ「グリーンページ」の見本も配布されました。
 今回は大会の参加方法にかなりの時間を費やしました。フォーラムやセミナー、展示はすべて無料ですが、歓迎パーティーや送別会など会食がつくものは有料となります。その徴収方法をどうするか…。毎回いただくのか、通し券のようなものを発行するのか…。これはまだ決まりません。次回以降も議論になると思います。
 それ以外に東京大会用の寄付金を会員から募ることになりましたので、こちらはよろしくお願いいたします。

 私は9月18日に開催された第2回の詩部会での決定事項を報告しました。版型はA4縦とし、一人見開き2頁。片側に日本語、もう片側に英語または仏語の翻訳。日本語の詩は縦書きでも横書きでも構わず、基本的には参加者の自由と報告しましたら、あちこちから「えっ!自由なの!?」という声が上がりました。「はい、そうです。版型は決めますけど、あとは自由です」と答えましたけど、たしかに小説やエッセイの散文では考えられないことですね。400字詰め原稿用紙××枚、と言えば済む世界ですから。詩は横書きもあれば縦書きもある、場合によっては斜めにも書くという世界。これは規制できないし、規制したらおかしなものになります。英仏語は横書きにしますけど、日本語は何でもありが現状で、その日本の現状を反映させたアンソロジーになるでしょう。どんなものになるか、正直なところ心配もありますが、楽しみでもあることは事実です。会員の皆さまの積極的なご参加をお待ちしています。




こやま峰子氏詩画集『地雷のあしあと』
−ボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたちの叫び−
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2004.5.10第2刷 東京都千代田区 小学館刊 1600円+税

<目次>
世界じゅうの人々が笑顔でくらせるように願って―4
1 戦争が始まった――――――――――――――6
2 地雷にかこまれて―――――――――――――14
3 地雷が爆発する――――――――――――――28
4 けがをした友だち―――――――――――――40
5 地雷に気をつけて―――――――――――――50
6 平和への祈り―――――――――――――――62
戦争が終わっても子どもたちを苦しめる地雷―――68
戦争も地雷も人間がつくりだし、人間を苦しめる―70

表紙絵:アミラ・ポジェギッチ 
AMIRA POZEGIC 14歳
裏表紙絵:マリナ・ラブリッチ 
MARINA RAVLIC 13歳
扉絵:スティエパン・ラコ 
STJEPAN RAKO 13歳




 世界じゅうの人々が笑顔でくらせるように願って

1999年8月、日本赤十字社の協力で、ボスニア・ヘルツェゴビナに向かいました。はじめて訪れたサラエボ、ツヅラ、バニャルカなどで多くの子どもたちや青年、町の人々に会いました。1992年から始まった戦いのおりの体験を聞きました。そのとき、撒かれた地雷でけがをした青年たちの話をわすれることができません。戦争への憎悪が今もくすぶりつづけています。
 地雷に対する子どもたちの正直な気持ちがあらわれている、たくさんの絵に出会いました。どの絵からも、子どもたちの悲鳴が聞こえます。悲しい叫びをすくいあげ、噛みしめ、子どもたちの話をつなぎあわせ、創作し、文をつづり、ボスニア・ヘルツェゴビナの子どもたちの絵に、平和の願いをこめたことばを添わせていただきました。
 21世紀は、子どもたちが、なみだを流すことなくすごせますように。 こやま峰子

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 1992年から3年半に渡って民族紛争が続いたボスニア・ヘルツェゴビナ。その際に埋められた地雷がまだ75万個とも100万個とも言われる数が残っています。その地雷に傷つき、死亡する子どもたち。1997年に赤十字国際委員会が現地で募集した子どもたちの絵、約70点が収録されていて、その絵にこやま峰子さんが詩をつけたという詩画集です。
 ここでは著作権を考慮して絵も詩も出しませんが、こやまさんの巻頭の言葉を紹介してみました。多くの人に読んでもらいたい詩画集です。

 なお、原本には目次も含めてルビが振られていますが割愛しました。また、表紙などの絵を描いた子どもたちの名前の、ZとCには発音記号(で良いと思います)が付いていますが、これも表現できないので割愛してあります。ご了承ください。




長嶋南子氏詩集『猫笑う』
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2009.9.28 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税

<目次>
小判草 10
冬至 12        いちじく 16      もやしを炒めていると 18
産み月 22       散歩 24        猫じゃらし 26
ホータイ 30      階段 32        糸みみず 34
スカート 36      菊人形 38       箸 40
鳩時計 42       かいまき 44      浴衣 46
ねこ 48        くじら尺 52      マッチ 54
かさぶた 56      ところてん 58     指 60
出かけています 62   どくだみ 64      除草 66
さくりゃく 68     タガ 70        皿 72
天気予報 74      ニャン吉の場合 78   冷蔵庫 82
袋 84         新聞紙 86
あとがき 89




 
タガ

きのうはあわてて
左右ちがう靴をはいて出て
数字はいつも写しまちがえて
会計のタカガイさんにめいわくをかけて

うそはよくついて
盗んできたもの多数 菓子 靴下 書類 本 夫
食べすぎては高脂血症
つまらないことできょうだいげんかをして
もっと身をよじるようなことをしたかったな

退職した
どこで何をしてもいいのだから
勤め人とちがうことをしなければ
もっと大きなことをしなければ
それなのにひとりの昼間ボソボソご飯を食べている
こうなったら自動車にでも轢かれたほうがいいのではないか
わたしの破片がばらばら
ふるさとの佐野桶店のおじさんまだ生きているか
きっちりタガを締めなおしてもらいたいのだが
おじさん わたしは
店先でいつも遊んでいためがねをかけた女の子ですよ

 私も数年前に〈退職した〉ので、〈ひとりの昼間ボソボソご飯を食べている〉状態です。もっとも、それは週に半分で、あとは〈どこで何をしてもいい〉状態で飛び歩いています。〈こうなったら自動車にでも轢かれたほうがいいのではないか〉とまでは思いませんけど、まあ、分かるような気もしますね。やっぱりどこかで〈きっちりタガを締めなおしてもら〉わないといけないのかもしれません。

 本詩集中の
「浴衣」「かさぶた」「さくりゃく」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて長嶋南子詩の世界をお楽しみください。




鈴木孝氏詩集『詩 作品集』
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2009.10.10 愛知県高浜市 P&T出版企画刊
9800円

<目次>
詩集
『まつわり』燔書房 一九五七年 20歳
みちゆき −とみ子の手紙から− 12
.      プシュケとアモール −ジェラルドの画より− 18
夜と 別れと そして 22
.           ローレライ 28
真珠 36
.                   少女よ 42
哀歌 50
.                   独白 56
はまゆうのうた 62
詩集
『nadaの乳房』ユリイカ 1960年 23歳
乳房の中の季節と鞭と
夜に 80
.                   問うは悲しい 83
恋 おまえ 89
.                ぼくたちは何を語っていたのか 94
つめたさ 98
.                 乳房の寝室の中で 101
よんでいるぼくの影が…… 104         訣別 107
悲しみ 110                  ちいさな標的 113
星はぼくの皮膚のうらで輝く 117        生きる 121
乳房の中の不安と祈りと
天国は労働者の葡萄園 128           よろこびよ おいで 131
牧童 133                   一枚の金 135
流浪 138                   おまえの 141
よびあったぼくたちのうた 143         農夫 146
顔役 150                   讃美歌 153
詩集
『あるのうた』青土社 一九七一年 34歳
序にかえて 172    1 174
.        2 193        3 197
4 201        5 202
.        6 206        7 209
8 217        9 227
.        あとがきにかえて 262
詩集
『泥の光』思潮社 二〇〇〇年 63歳
 T
1・さあ、光を喰いに行くのだ。二八〇      2・すべての言葉を失った四十五歳の時の病… 二九三
3・一九七二年、二度目のフランス、 三〇七
 U
1・そうかい…死肉の泥にくるまれた俺の髑髏よ… 三二〇
2・母よ、俺にはあなたの思い出は旧家のお嬢さんぶった素振りしかない。 三三三
3・父よ、ある日、あなたは駐留軍のお古だと言って、 三四五
4・終戦後しばらくして消防局を退職し、 三五五
5・学校では泥であった俺だが、 三六七     6・そしてハクよ… 三七七
 V
1・女よ、紫陽花は光を探し 三八八       2・女よ、おまえの眠りの中で 三九八
3・女よ、輝き燃え墜ちていくあの光は… 四〇六 4・女よ、ただ待つだけだ… 四一四
 W
1・俺が歩く夜は長い。 四二八         2・女を抱いた 四四三
3・顰蹙なんてかえばかうほど光栄だ… 四五四  4・いま季節が舞い上っていく声が聞える… 四六八
 V
1・黄砂が吹く… 四八二            2・長い夜を歩く俺よ、 四九四
   Y
.・あ〜 俺の悪血の泥よ 五一〇





 
おまえの
  ――椅 子――

椅子は砂浜にすてられていた
かみしめた砂のからさに
椅子はいつも大地のように動かなかった

おまえの椅子 たしかにおまえの椅子
はしりだしたおまえの影
その足跡はおまえが一番よく知っているはずなのに
たしかにすりかえられた時があった
おまえの乳房はもうおまえのものでなく
よろこんでとび去っていったひなどりのように
おまえの血をすすり
おまえの骨をかむ季節があった
だが その中でおまえの椅子はじっとたえた
月明りにぬれた砂丘の純愛を
おしよせてくだけ散る波のつらさを
そして 朽ちていくおのれの脚のいたみを

     *

たそがれの頃
おまえの心に一本の木がはえ
幾重にもめぐらされた根のしつようさに
おまえの土くれだった骨骨や
おまえの枯れた千の乳房が
もはや燃えつきそうなかがり火のあおりのように
あえぎもだえるとき
すてられた椅子は
おまえをはなれながらもおまえの脚になる

 1957年の第1詩集から2000年の第4詩集までを収録した、全集とも呼ぶべき作品集です。ここでは1960年、23歳のときの詩集
『nadaの乳房』から「椅子」を紹介してみました。若々しさの中にも〈すてられた椅子は/おまえをはなれながらもおまえの脚になる〉というようなフレーズに見られる通り、視点の確かさを感じます。
 第4詩集
『泥の光』はすでに拙HPで紹介しています。U-1「そうかい…死肉の泥にくるまれた俺の髑髏よ…」は冒頭の部分だけですが転載させていただいております。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて鈴木孝詩の世界をご鑑賞ください。






   
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