きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.11.3 足柄峠より箱根・大涌谷を臨んで




2009.11.6(金)


  その1

 メタボ対策で、今日は高尾山に行ってきました。一番楽な、ケーブルカーを使って薬王院経由で山頂を目指しましたが、本当に楽なコースで、階段で汗をかいた程度。よく整備された登山道には乳母車の母子、集団の幼稚園生、腰の曲ったお婆さんも杖を突きながら登っていましたので、メタボ対策にはほど遠かったです。

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 写真は山頂の賑わい。上野公園ではないかと錯覚するほどでした。都民の森ですから、それだけ親しまれているということなのでしょう。帰りは吊り橋経由の樹間の道を下りました。こちらはハイキングコースらしい雰囲気。その後はリフトで下って帰宅しました。
 今回は初めてということもあって楽なコースを選びましたが、マジメに登ろうとすると結構きついコースもあるようです。いずれそんなコースにも挑戦してみたいです。




新・日本現代詩文庫71『岡隆夫詩集』
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2009.10.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税

<目次>
詩集
『銀葉アカシア』(一九六八年)抄
蟹の影・10
詩集
『アンチ・デモクラシー』(一九七〇年)抄
アンチ・デモクラシー・11
詩集
『追う』(一九七五年)抄
瀕死のダリア・17                まんねんろうの花・19
パパメイアン・25
詩集
『病める水仙』(一九七八年)抄
虹はゆがんで溶けている・26           ひょいと・27
おばの手・27
詩集
『バラの花を数えはじめて』(一九八三年)抄
ぼくらは一つキーを埋めあった・29        トビウオ・30
瀕死のこねこ・30                どこをさまようぼくらのうさぎ・33
ぼくの白髪・36                 母は深く耕した・36
詩集
『蒸気と化し雲と化して』(一九八四年)抄
蒸気と化し雲と化して・38            キュー・ガーデンのバラ・40
生とは・42                   隼人瓜・43
詩集
『アマシをくらう』(一九八七年)抄
アマシをくらう・45               <死ぬ死ぬ>・46
書誌学者・47                  栴檀のある運動場・47
ポッカリとあいて・48
詩集
『岡隆夫詩集』(一九九〇年)抄
笹山を刈る・50                 又串の井堰・51
詩集
『岡隆夫の資産』(一九九三年)抄
秋の石庭・53                  スイカ三昧・54
嵐・55                     霊の館・56
今こそ歌え−ヴィラネル風に−・58        ぶら下げられたヘルメット・59
詩集
『身づくろい』(一九九六年)抄
身づくろい・60                 ラッキョーの風・62
井戸替え・64                  毛虫・66
リンゴを造る・67                風を集めて・68
<人に迷惑かけないよう>・68           位牌・69
岡野という先生・70               置いてきぼりにされて・71
詩集
『ひそやかにしゃがみ』(一九九九年)抄
ひそやかにしゃがみ・72             虫たちの闖入・75
くちなわ・76                  レモンの花・77
病院の風呂・78
詩集
『麦をまく』(二〇〇四年)抄
さわさわとそよぎ・79              死租・81
ゴマとブドウ・82                小皿・83
頽れる・84                   まぶりかけ・85
詩集
『ぶどう園崩落』(二〇〇五年)抄
サンテミリヨン・86               ノアの酒づくり・87
晴れの国おかやま・88              ワイン・パーティ・88
シェラ・ネバダ−カリフォルニア−・89      シェラ・ネバダ−スペイン−・90
峠の小園・91                  ぶどうを干す・92
臙脂のレーズン・92               巨峰の末期・93
棚がたおれ・94                 恐うてかった・94
園は森にきえ・95                九泉のくらし・96
青ぐろい血・96                 捨てる神あれば・97
ぶどうの花・98
詩集
『二億年のイネ』(二〇〇七年)抄
農薬一発イネグリーン・99            万全のコメ・100
稲泣き・102
.                  仰山出来りゃぁ・106
葦間のイネ・108
.                天山・112
二億年のイネ・113
.               久米・116
いんぎょうちんぎょう・118
.           かおり米カバシコ・119
イタリアのコメ・121
.              指がとび・124
やつまただんご・126
エッセイ
韓・中・日 詩人会議での感動のひととき     岡山の詩人三沢浩二・133
−第三次東北アジア詩人会議ソウル二〇〇八−・130 大漢詩人阿藤伯海の現代詩・138
今どき工業団地造成とは・141
解説
石原武 詩のアカデミズムから農の言葉へ――岡隆夫の実験・150
瀬崎祐 詩人・岡隆夫のいくつかの顔・155
年譜・160




 
ひょいと

ひょいと乗るギャラン・シグマ
ひょいと換えたギャラン・ラムダ
だがアラブの王様がおっしゃるだろう
<そろそろ自転車になさったら>

ひょいとはいた八千円の靴
ひもも切れ底もすりきれ 磨いても
かつてのようには光らない そんな時に限り
<奴 沖縄にでもとばすか>
.と上司のささやき

なにげなく吸うては吐く肺
どんなゴムよりよく伸縮する心筋
しかし心臓もぼやくだろう
<疲れたね きみ一服するか>

ひょいと乗った〈生〉のバス 銘々ボタンを押し
自分のバスストップに降りてゆく
ぼくはいつぼくのボタンを押せばいいのか
いやワンマンが促してくれよう〈終点ですよ〉
               一九七七・七・五

 本詩集は第3詩集
『銀葉アカシア』から最新詩集『二億年のイネ』までの抄録です。ここでは第6詩集から「ひょいと」を紹介してみました。1978年当時ですから、オイル・ショック直後の作品と云えるでしょう。〈ギャラン〉は三菱自動車のギャランだと思います。〈沖縄〉は1972年に本土復帰していますから、その歴史的な背景も見ておく必要があるでしょう。〈ひょいと乗〉ったり、〈ひょいとはいた〉りすることと〈ぼくはいつぼくのボタンを押せばいいのか〉という〈生〉の有限とが絡み合った、岡隆夫詩らしい作品だと思いました。
 なお、本詩集中の
「二億年のイネ」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて岡隆夫詩の世界をお楽しみください。




詩誌Parabole10号
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2009.11.1 東京都杉並区 勝野郁子氏発行 非売品

<目次>
(いち)/勝野郁子
暑熱の雲と……(2)/勝野郁子
MarcheIkuko Katsuno




 
いち
 
市/勝野郁子

遠い日の
せともの市のように
T字路の上に 立つ

雨だれになって
落ちて行く 乳歯

きのう  
うたげ
ささやかな宴
セルフポートレートが
掲げる 斜めの 剣

そこひになる
あしたの 芽
目頭にくもる 蛾の
こなごな

 〈遠い日〉とあって、〈乳歯〉とありますから、子どもの頃のことと採ってよいかと思います。〈ささやかな宴〉は小学校入学当時のことでしょうか。最終連の〈目頭にくもる 蛾の/こなごな〉は蚊飛症のことかもしれません。子どもの頃から現在までを一気に描いた作品ではないかと思いました。その象徴が〈市〉であるのかなと思った作品です。




詩誌『豆の木』8号
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2009.11.1 埼玉県北葛飾郡栗橋町
石島俊江氏方事務局 非売品

<目次>

蛙          秋山 公哉 2      どこかで花が     村田 寿子 4
影          松下美恵子 6      夜に         里見 静江 8
はるかな道      石島 俊江 10      昌徳宮の庭で     塩田 禎子 12
中村傳一さん追悼   秋山 公哉 14                 村田 寿子 15
ティールーム
ラジオで聴く日本歌曲 塩田 禎子 16      ある一日       石島 俊江 17
たかが蝉ですが    秋山 公哉 18      深まりゆく秋に    村田 寿子 19
家族の在り方     里見 静江 20      社会の変動の時期に  松下美恵子 21
           同人名簿  21
           編集後記  22              表紙 松下美恵子




 
蛙/秋山公哉

夜の淵を雨が渡っていく
桜の下には一匹の蛙
葉を伝って落ちる滴が
蛙の顔をきわどく濡らしている

表の庭では
土の中から生まれ出た赤児が
雨の下で眠っている

蛙は本当は雨が嫌いだ
月に照らされた
紫陽花の丸い花の下で
目をつむっているのが好きなのだ

庭の赤児は眼を覚まさない
赤児に誰か傘を

夜の淵に雨が沈んでいく
桜の葉は重たくて
杖ごと深く垂れているので
蛙は目をつむれない

赤児に誰か目覚ましを

蛙は桜の下を出て
天に向けて鳴かなければならない
一匹の蛙は
一夜の雨と対峙する

 〈夜の淵を雨が渡っていく〉という第1連の第1行から惹きつけられる作品ですが、〈蛙は本当は雨が嫌いだ〉というフレーズには意表を突かれました。〈土の中から生まれ出た赤児〉はおたまじゃくしでよいでしょう。その〈赤児に誰か傘を〉、〈赤児に誰か目覚ましを〉というフレーズがおもしろいです。最終連の〈一匹の蛙は/一夜の雨と対峙する〉のは蛙の本質なのかもしれません。






   
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