きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2009.12.7 神奈川県湯河原町・幕山




2010.1.7(木)


 午後から故・遠丸立さんの弔問に行ってきました。4日に親族のみで葬儀を行ったそうで、ご自宅には遺骨があるのみ。位牌もない、遠丸さんらしい簡素な佇まいでした。遺影は、2006年4月に開催された貞松瑩子さんのコンサートで挨拶していたもので、私が撮っていました。

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 文芸評論家として『吉本隆明論』『埴谷雄高論』など多くの著作を遺して名を成し、、優れたご子息、ご令嬢を遺し、立派な人生だったと思います。最期は骨のみになるという潔さ。まだまだ多くを学びたかったのに、残念です。ご冥福をお祈りいたします。




方向感覚叢書(2)『遠丸立詩集』
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1997.5.30 東京都調布市
方向感覚出版刊・武蔵野書房発売 1800円+税

<目次> 絵・進ありこ
詩集〈遠丸立詩集〉から
雨の降る夜の独白 6            死者もまた夢をみる 13
どこから? 16               生と死とねむり 18
まえへ 19                 ひとは一生にいちどいい字を書く 20
どんでんがえしの光景 22          喋りあうにんげん 24
駆ける 25                 動物的な夜 26
食べられないパンを作ったパン屋さん 28   小図形と大図形 30
新宿風景 31
詩集〈世界がうつくしく見えない〉から
明日 35                  信濃追分で 37
夏至から冬至へ 39             九月 41
ある一日 42                無知 45
原示 46                  ロケットのかたちをした 47
いらだつ 49                三十年目の敗戦記念日に 51
鳥たちのあげる叫びは 55          地方ことば崇拝 57
詩人 60                  詩 61
詩集〈海の記憶〉から
あっというまにかたわらを駆けぬけて 63   声 67
奇蹟 68                  醜悪の華 69
黄緑色の痰 70               共生 73
ひとつの親愛 75              きょう 新宿で 76
破裂するあの声 77             博物館で 78
燈火遠望 80                願望のかたまり 81
どうして彼に詩が書けるか 83        十行詩 84
なぜ 85
詩集〈兆 ちょう または きざし〉から
兆 87                   いちまいの丸首シャツ 111
ボクたち 112
.               便意 113
わらう女 114
.               白髪 そして脱藩 118
七月のある午後 119
.            光へ 120
ありつづけることを 121
.          追悼 土方巽 123
遠丸立略年譜 124
詩についての想い――「あとがき」に代えて―― 129




 
十行詩

大学ノートか手帖の切れ端し
そこに遺されたことばの反吐
「発表」なんぞかんがえてもみず
いや 書きびと自身「詩を書いている」なんて
余裕すらもてぬ吐瀉のごときもの
そこに詩の宝石がある
(ほんとうだよ)
「わたしは詩人」だなんて
夢にも思いつかぬまま詩を吐いているひと
どこかにきっといるよ そんな詩人

 上述の弔問の際に形見分けとして頂戴しました。この詩集の中では「遠丸立略年譜」が非常に重要だと思います。あまり知られていない遠丸さんの出自が詳しく述べられていて、今後の遠丸立研究には第1級の資料となるでしょう。
 紹介した詩は1982年に砂子屋書房から刊行した第3詩集『海の記憶』に収められているようです。この詩に関連して〈詩についての想い――「あとがき」に代えて――〉で重要なことが書かれていますから、それも合わせて紹介しておきます。

 <詩は吐くもの、吐瀉するものだ。作詩の根本
(ねもと)を探っていくと、しょぼくれた、鬱積した、ヘルプレスネスの、生理的に切羽つまった、錯乱にちかい、どうしていいか皆目解らぬ、それでいてすべてを一気に押し流す激流到来の、瞬間が母胎だと解る。詩はパフォーマンスじゃない。生理的心理的吐瀉が、パフォーマンスであるわけがない。
 これを端的に表出した拙詩がある。本書に入れた「十行詩」だ。再度ここに書き留めておこう。「大学ノートか手帖の切れ端し/そこに遺されたことばの反吐/〈発表〉なんぞかんがえてもみず/いや 書きびと自身〈詩を書いている〉なんて/余裕すらもてぬ吐瀉のごときもの/そこに詩の宝石がある/(ほんとうだよ)/「わたしは詩人」だなんて/夢にも思いつかぬまま詩を吐いているひと/どこかにきっといるよ そんな詩人」
 詩のうまれる瞬間を私はこのような情景に見る。ふつふつと溢れてくる思いを抑えることができず、ノートかメモ帖をひきちぎり、一気呵成に書きなぐる、そんな、背中をどんと押されるような、天上に馳せのぼるような、独りぼっちの、夢中で、熱い、行為から「詩の宝石」はうまれる。こんな詩観が当世風でないことは、私自身百も二百も承知している。が、詩を吐く行為に身を浸すかぎり、私の詩観は将来とても揺ぎそうにない。
 そうはいっても、これは詩の成る基底に私なりの光を当ててみただけで、詩がすべてそうあらねばならないなどと主張しているわけではない。もっと穏和な、平穏な、ユーモラスな、たのしく優しい、暖い心の、また逆に刃物のようにするどい、玲瓏たる、機知に富んだ、詩だって、詩として十分成立する。あることばの連なりを読んで、一般読者の心が何らかの意味で「刺される」「打ち倒される」「洗われる」「陶酔をおぼえる」としたら、それはことばのもつ価値によるので、つまり詩である。詩の力によるのだ。
 詩は魔物だ。それは無限の多面体だ。かりに数十万の人がいまの日本で作詩にたずさわっているとすれば、数十万の詩観があるわけだ。一人一人の詩観はそれぞれ異なっているはず。冒頭で述べたのは、私の主観的詩観であるにすぎない。
 自分の詩のレベルを自分で冷静に評価できる書き手でありたい。垂れ流しっぱなしのことばの羅列をゆめ「詩」などと錯覚するなかれ。これは私の自戒。>

 たしかに〈こんな詩観が当世風でない〉かもしれませんが、ここには詩の本来の原理が書かれていて、作品「十行詩」はその具現だろうと思います。その上で〈もっと穏和な、平穏な、ユーモラスな、たのしく優しい、暖い心の、また逆に刃物のようにするどい、玲瓏たる、機知に富んだ、詩〉があるのでしょう。決して逆ではない、とも思います。〈「わたしは詩人」だなんて/夢にも思いつかぬまま詩を吐いているひと〉が、実は遠丸立という人間だったのだろうと思いました。




入谷寿一氏詩集『水の樹』
エリア・ポエジア叢書(8)
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2009.12.25 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊
1800円+税

<目次>
血の沼
鵡川の女船頭 8   血の沼 12      チカエップ川 16
十勝川 20      鯉とカケス 24    父の水 28
貧しき川の流れ 30
列島氾濫
列島氾濫 34     洪水 38       凍裂の大地 42
放水 46       土管の中で 48    黄色い河 52
源流
源流 58       美笛の滝 62     夏を採る 66
夏 勇払原野 68   鰯雲 70       ニセコ大沼 72
消えた雪跡 76    ダイヤモンド・ダスト 80
回帰
海亀 84
あとがき 90     表紙・カット 坂井伸一




 
源流

霧の衣に包まれて
  岸壁に縋り下りる

上から上から湧き溢れ
  急な岩盤を走り下る
  一歩一歩足場を確かめ 流れを漕ぐ
    待ち構える大蛇の瞳

  笹や小枝にすがって
また谷腹を這い登る
濡れた草や木の葉に包まれて体が青く染まる
  尻滑りする熊
(キムンカムイ)

  沢に下りて ジャボジャボ水流を下る
   湧き下る激しい意志が岩にぶつかり
    飛沫を上げて落下し 岩盤を穿つ

切り立つ岩壁が立ちはだかり
 狭い沢川は本流と合体し 川幅を広げ下る
 流れに逆らい 早瀬を横切り
上へ上へ
原初の声に導かれ
生殖と死へといそぐ秋鮭
(カムイチェプ)

    倒木や岩石が転がる沢から 溢れ流れる支流
   透かし見ると樹木が重なり茂り 深い闇を抱えて
  ここよりは立ち入ってはいけない
 支流の川口をふさぐ草や木を朧に包んで
霊気が染み出しているではないか
イワナ沢 神獣
(エペレ)の通り道

真向かいの山を抉って 大きな滝が噴出している
川は屹立する岩壁に囲まれ ここで停まっている
巨大な木綿
(ゆふ)の束は 尽きることなく真下の滝壺に
 落ち たちまち満ち溢れ 枝分かれして舞い散る
  飛散する波の花を無限に受け入れる
   大円を描く巨甕
(おおがめ)

  どよもすバスドラム
 跳ね上がる銀鱗の煌めき
 天地は合体し
立ち上がる一本の水の樹

 13年ぶりの第3詩集だそうです。この詩集にタイトルポエムはありませんが、あとがきでは<数年前より、意識的にすべての生命の源である水を題材に発表してきた。水は、私たちを育んでいるとともに、人生とのつながりについてもあまりにも深い関わりがある。今回の『水の樹』はまさしく私の生との関わりである川・沼・湖・海の作品が大半を占めている>とありました。また、紹介した詩の最終行から採っていると考えてもよさそうです。作品「源流」は緊張感のある、北海道らしい詩だと思いました。
 本詩集中の
「チカエップ川」はすでに拙HPで紹介しています。初出より一部改訂されていますがハイパーリンクを張っておきました。合わせて入谷寿一詩の世界をお愉しみください。




季刊・詩と童謡『ぎんなん』71号
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2010.1.1 大阪府豊中市
ぎんなんの会・島田陽子氏発行 500円

<目次>
二ツ岩 かわぞええいいち 1          なまえ/孤独/ともだち 小林育子 2
ぼくんちの カメ/きんもくせい 相良由貴子 3 犬だって 島田陽子 4
冬がきた/空の交通整理 すぎもとれいこ 5   アヒルのけっしん/おまじない 滝澤えつこ 6
私の中の大空に/土 富岡みち 7        いろいろ/消えないしゃぼんだま 中島和子 8
おばあちゃん家
().中野たき子 9        オオルリの巣/雪の朝 名古きよえ 10
平城宮跡に立って/かける かかる 畑中圭一 11 ねむるって/ドアの取っ手/ゆめ 藤本美智子 12
大波 小波 ほてはまみちこ 13         そこどけ そこどけ/羽ばたいておくれ たくましく 前山敬子 14
風邪の神さま 松本恭輔 15           うちのママ/かいひんこうえん/冬のはじまり むらせともこ 16
うちのおかんは何者や? もり・けん 17     トカゲの子ども 森山久美子 18
夜の口ぶえミステリー 池田直恵 19       まねきねこ/冬のひこうき雲 いたいせいいち 20
丘 井上良子 21                おそとはふしぎ/おすそわけ 井村育子 22
気もちの呼び名/じぶんでじぶんを 柿本香苗 23
本の散歩道 畑中圭一・島田陽子 24       かふぇてらす 前山敬子・森山久美子 26
INFORMATION             あとがき
表紙デザイン 卯月まお




 
おばあちゃん家()/中野たき子

お正月はおばあちゃん家
()にいく
おばあちゃん家
()はすごい
(いえ)のなかでもいきがしろくなる
みんなでおこたのへやにあつまって
ごろごろ ぐだぐだ
トイレにいくとき
「みかんとってきて」
「マンガとってきて」
「ティッシュとってきて」
つかわれる

おならひとつで「ごくあくにん」
「くさい」
「そとでやって」
「かんきして」
おこられる

おばあちゃん家
()のお正月は「ね」正月

 〈お正月〉に家族で帰省したのでしょう。〈家のなかでもいきがしろくなる〉ほど〈おばあちゃん家はすごい〉のですが、遠慮会釈もなく過ごせる様子が出ていて微笑ましくなります。〈おならひとつで「ごくあくにん」〉がよく効いていて、思わず笑ってしまいました。“極悪人”ではなく「ごくあくにん」が成功しているのでしょう。






   
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