きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.1.13 静岡県函南町・丹那断層 |
2010.2.7(日)
午後から西さがみ文芸愛好会代表の故・播摩晃一氏宅へ伺いました。西さがみ文芸愛好会では、この3月に第14回西さがみ文芸展覧会を開催します。毎回、地元に縁深い人を採り上げて特別展を併催しているのですが、今回は私の発案で「播摩晃一の足跡」展とすることになりました。播摩さんの文芸愛好家としての、詩人としての足跡を展示して遺徳を偲ぼうという企画です。そのための資料を借り受けにお邪魔したという次第。代表代行の日達さんと事務局長の奥津さんに、言い出しっぺの私も付き従ったというわけです。
生前、何度かお邪魔していましたから、播摩さんの蔵書の多さや整理の良さは承知していたところですが、今回は多くの発見がありました。神奈川地域社会文化事業賞受賞の名著『西さがみ庶民史録』の全50巻や詩集の原稿はもとより、多くの民話・童話が書かれた講談社の絵本、タウン誌が出てきたのです。古くからの友人である日達さんや奥津さんも知らない分野でした。そのほか、フランス詩の研究や国語研究にも多くの論文があることが分かり、なんとエスペラント語も研究していたようです。なかでも出色は詳細な個人年表がまとめられていたことでした。これを見ると著作や論文が一望です。
2時間ほど長居させていただいて、100点ほどの資料をお借りしてきました。播摩さんの裾の広い業績を全てお見せすることはできませんが、『西さがみ庶民史録』を第1の柱に、詩人としての側面と民話・童話作家としての側面で脇を固めた展示にしようと思っています。小田原にこんな凄い人がいたのかと改めて感じ入っています。「播摩晃一の足跡」展、どうぞお楽しみにご来場ください。
展覧会の詳細は こちら でご覧いただけます。
○隔月刊詩誌『叢生』166号 |
2010.2.1
大阪府豊中市 叢生詩社・島田陽子氏発行 400円 |
<目次>
詩
新年/下村和子 1 「藤野先生」の家/曽我部昭美 2
私が私にさよならを言うために/藤谷恵一郎 3 お布餓鬼 他/原 和子 4
所詮/福岡公子 6 ええやんか 他/麦 朝夫 7
変身/八ッ口生子 8 機根とチャンス/毛利真佐樹 9
好き嫌い/山本 衞 10 小さな家族の小さな会話(八) 由良恵介 11
沁みの記録(6)/吉川朔子 12 混(ま)ざってる/秋野光子 13
泥棒/竜崎富次郎 14 妻(さい)と本妻の間/今井直美男 16
ほんの少し/江口 節 17 根菜賛歌/木下幸三 18
夢の中だけでも/佐山 啓 19 鰯のあたまも/島田陽子 20
エッセイ 夕日地蔵/原 和子 21
本の時間 24 小径 25 編集後記 26 同人住所録・例会案内 27
表紙・題字 前原孝治 絵 森本良成
さい
妻と本妻の間/今井直美男
上方漫才
こいし うちの妻(さい)がな
いとし あらカバやがな
お二人より十歳ほど年下の私
身体の深いところから笑いがこみ上げた
夏目漱石の「心」第三部で
妻(さい)は八十八回妻(つま)は二回使われている
漱石の原稿の妻(さい)にはすべて
「さい」とルビがふられていたそうだ*
この言葉が死語になってしまった今
若い人たちは名作をどう読んでいるのだろうか
家内 女房 上さん ワイフ
旧制高校出身の方はフラウが多かった
それを真似ている友人も多い
田舎に住んでいたころ
江戸落語みたいな嬶(かか)が使われていた
ごぜん おなごなど上方落語用語好きの私は
職場でホンサイと言っていた
友人たちもそれになじんでしまって
ホンサイは元気ですかなどと聞いてくれた
あんたはホンサイやでえと言うと
うちはニゴウの方がええ
旦那が来るときだけ
ご飯作ったらええねん
*朝日新聞土曜版 二〇〇九年二月二一付
第1連から〈笑いがこみ上げ〉てくる作品です。犀と河馬なんですね。私は〈さい〉という言い方をしたことがありませんし、〈夏目漱石の「心」第三部〉で遣われていることもは知りませんでした。勉強になります。たしかに今は〈この言葉が死語になってしまった〉感があります。最終連が効いていますね。〈旦那が来るときだけ/ご飯作ったらええねん〉は世の〈妻(さい)〉たちの本音でしょう。楽しませていただいた作品です。
○詩と評論『操車場』33号 |
2010.3.1 川崎市川崎区 田川紀久雄氏発行 500円 |
<目次>
■詩作品
タダイの末裔 −11 坂井信夫 1 風のダンス(9) 鈴木良一 2
勿来まで 田川紀久雄 4 旅 長谷川 忍 6
■俳句 初髪 井原 修 7
■エッセイ
連金術の竈と逆さ円錐 −つれづれベルクソン草(20)− 高橋 馨 8
「失われた羊」をめぐって 坂井信夫 10 浜川崎博物誌 坂井のぶこ 12
声の道場入門記(下) 野間明子 14 末期癌日記・一月 田川紀久雄 16
■後記・住所録 29
旅/長谷川
忍
T
昼間のぼった城跡の
かすかな温み。
土塀の続く
箱庭のようなこの町で
さっきまで
私は
なにを探そうとしていたのだろう。
水浴びしたアスファルトに
けだるく反射する
薄紅色
今日もまた
熟し終えた陽ざしが
ほてった腕に
おりている。
U
アーケードは
夕飯の買物客でいっぱいだ
賑やかさにつられ
子供の顔で歩いていく。
ただいま、と
入っていきたい軒先を
いくつも過ぎて
あたりまえな光景が
なんだか
とても嬉しかった。
路地を曲がる。
旅先での詩と思ってよいでしょう。〈熟し終えた陽ざしが/ほてった腕に/おりている。〉という、夕陽の形容が素晴らしいと思いました。〈ただいま、と/入っていきたい軒先〉というフレーズも佳いですね。たしかに旅先ではそんな風景に出逢うことがあります。それも旅の〈嬉し〉さだと思って、なんだかホッとさせられる作品だと思いました。
○個人誌『せおん』11号 |
2010.2.1 愛媛県今治市 柳原省三氏発行 非売品 |
<目次>
詩 海賊の海 狸と猫 矢先の死
詩評 柳原省三の詩 −淡々と投げられる詩の命綱−/尾中正樹
あとがき
海賊の海
村上水軍の海賊の海を
今猪が泳いでくる
動物性たんぱく質のミミズを求め
作物があろうとなかろうと
管理機のように畑を鋤く
時には呆れるほどの果樹さえも
深く掘りおこして倒してしまう
セミの幼虫を探すらしい
植物性たんぱく質のサツマイモは
鉄線ネットも柵も押し破り
収穫前にやられてしまう
人間さまには食べ残しばかりだ
農家は堪ったものじゃない
古来生産に能力を出し切るものは
搾取に専念するものには敵わない
江戸時代の百姓も
年貢の残りで生活した
今の時代の労働者も
戦後のめざましい復興を
支えた順に喘いでいる
中流意識は幻になった
けれども定年後の農業が
猪にまで搾取されるとは
幾らなんでも思わなかった
予想もできない環境変化だ
〈猪が泳いで〉島に渡るという映像をTVか新聞で見た記憶があります。作者が住む瀬戸内海でのことだったように思います。その猪に荒らされて、〈農家は堪ったものじゃない〉でしょうね。〈古来生産に能力を出し切るものは/搾取に専念するものには敵わない〉というフレーズには頷けます。〈中流意識は幻になった〉というフレーズには考えさせられました。当時はバカにされた〈中流意識〉も、いまでは〈幻〉。一億総中流意識などと揶揄られましたが、それでも懐かしいなと思います。