きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.5.23 静岡 中勘助文学記念館




2010.6.10(木)


 久しぶりに洗車しました。どこかに行くから、というわけでもなく、まったくの気まぐれ。午前中の1時間ほどを使いましたが、まる3年経ったクルマにしては綺麗だなと思います。初めてクルマを持った40年ほど前を思い出しましたけど、その頃の塗装とは雲泥の差です。当たり前ですが技術の進歩をクルマ1台からも感じました。




麦朝夫氏詩集『どないもこないも』
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2010.8.1 奈良県大和郡山市 鳥語社刊 1500円+税

<目次>
 T 2003〜2010
アメリカどないでした? 8   道が黄金になったやんか 10
誰でも脱げるんやで 12   サビシサやで 14
ズロースやいうんですけど 16   えらいおがってたなあ 18
竹槍はこうして突くんや 20   地震ちゃうか 22
見つけんとあかんのや 24   土地の名はヤサシゲや 26
泣くんか 28   カラスや 30   死んではって 31
ヒワイな朝や 32   ほなセンセ 33   待ったってる 34
どないもこないも 35   人はいてへん 36   詩に書くんか 37
ええやんか 38   歩くんや 39   浮雲やった 40
せやから 41   見てるんや 42   よろしいんで 43
 U 1994〜2002
馬の顔 46   時など超えた教室で 48   蹴っている 50
たんす 51   さいたみち 52   バランス 53
道で 54   犬 55   フ 56
フ 57   夕日 58   いちばん恥ずかしかったことは? 59
あいだ 60   仕事 61   月 62
空 63   早朝 64   見つけたよ 65
しじま 66   イチローと 68   鍋 70
花 71   手のひら 72   似ない夜 74
 あとがき 76




 
どないもこないも

やっとこさたどりついた
どないもこないも なれへん と
風の日の医院で ハーハー息してるおばあさん

こっちも人生 どないもこないも などと
つい悲歌
(エレジー)のように繰り返す

外にもリュックに白ネギ一本剣のように背負い
手を振って進むおばあさん
どないもこないも どないもこないも

 8年ぶりの第3詩集のようです。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈どないもこないも〉ならん庶民の生活に、優しい眼差しを向けている作品だと思います。
 本詩集中の
「手のひら」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて麦朝夫詩の世界をご鑑賞ください。




渋谷卓男氏詩集『雨音』
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2010.6.30 東京都葛飾区
ジャンクション・ハーベスト刊 2000円

<目次>
光のかたち 8    調査報告 10     土間 12
雨音 16       月に似た場所 22   壁 28
王 34        うつわ 38      駅 42
世界の終わり 46   仏師 50
 *
つづき 56      杜子春の家 62    村 66
ハナフブキ 70    夏 74        猫 78
留守番 82      室戸より 86     防人 90
装丁 草野信子




 
雨音

雨が降りはじめて
今日で四十四年になる
わたしが生まれた日に降り出した雨は
今日まで一日として止むことはなかった
わたしは晴れ渡った空を知らない
日ざしが注ぐのを見たことがない
土砂降りの雨に降り籠められて
いくつ出発の機会を見送ったことだろう

 雨はわたしの布団を濡らし
 わたしの食卓を凍らし
 わたしの子どもと
 死んだ父母
(ちちはは)を濡らす

いや
ただ一日
陽の射した朝はあったのかもしれない
雲が切れ
さしのべた掌にこぼれたものは
あれは
光ではなかったか

眼を閉じていたように思う
まぶたの裏までが
眩しかったように思う
地上に光のあった日
あの日の記憶に手をかざして
雨の中ふたたび歩いてきた
奇蹟を待つことの愚かさも
歳の数ほどは知りながら

 やがて雨は
 町を濡らし
 国を濡らし
 瓦礫と壁と有刺鉄線を濡らす

濡れてもよかった
首筋から雨を流し
心臓から雨を流し
雨のなか雨そのものとなって
ひとを濡らしてさえいた
それでもわたしが
わたしたちが願うことを捨てなかったのは
明日歩きはじめるものの靴を
濡らしたくはなかったからだ

聞こえる
雨音に足音を聞いて立ち止まる
すると再び
あたりは激しい雨音だけに包まれる
だがわたしは知っている
雨音は雨の音ではない
打たれた木
打たれた花
打たれた道
天を仰いで打たれた者たちの顔が
音を立てるのだ

 1964年生まれという著者の、6年ぶりの第2詩集のようです。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈わたしが生まれた日に降り出した雨〉が44年間も続いているという喩は絶望と採ってよさそうです。しかし〈ただ一日/陽の射した朝はあったのかもしれない〉という希望が読者の胸を打つでしょう。最終連の〈雨音は雨の音ではない〉、〈天を仰いで打たれた者たちの顔が/音を立てるのだ〉という締めは卓見だと思いました。




詩誌『さよん・V』7号
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2010.6.10 神奈川県高座郡寒川町
冨田氏方事務局・さよんの会発行 400円

<目次>
ゲストのページ ピラニア 新井高子…4
詩 ネームに身を隠して 全美恵…8 動かない天秤−脳死は人の死か?―…10
  「苺」(清原先生をお見舞いして)戸田和樹…12 春の歌…15 絵の中の夕陽…18
エッセイ 夏空の遮断機 戸田和樹…20
韓国の詩 尹東柱「病院」 訳・解説 全美恵…22
詩 ソウル・タクシー 富田民人…24
一篇の詩 伊吹郷訳「序詩」(尹東柱) 富田民人…27
近況・雑記…36




 
動かない天秤/全 美恵
     − 脳死は人の死か?−

あいはんするおもい
おもさをおもい
いのちはおもい
あなたへのおもい
おおくのおもい かかえて

多額の借金を かかえてでも
手に入れたい臓器
募金をつのってでも
救いたい命
あなたの命は わたしが手に入れる
あきらめない あなたの臓器を

あなたが話せなくても
わたしは離さない あなたを
口からモノが食べられなくても
動けなくても 髪は伸び爪も伸びるから
動かないおもい 揺るがないおもいがある

法律は かわるのだろう。
死生観 かわをのだろうか?
息をしている
奇跡だって信じるわ
ドックン!ドックン! さあ、聞いて心臓の音よ

しなせたくないおもい
ころしたくないおもい
てんびんにかけても
びくともしないの
子を思う二人の母の思いは
微動だにしなかった

 〈脳死は人の死か?〉という難しい設問の詩ですが、〈子を思う二人の母の思い〉を〈微動だにしな〉い〈てんびん〉に託したのは見事だと思います。この母親の比喩はよく分るのですが、個人的には脳死は人の死ではないと思っています。臓器移植が出現しなければ現れなかった問題ですし、他人の死を前提にした生というのが理解できないのです。その思いを改たにした作品です。






   
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