きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.5.29 さいたま・見沼たんぼ「見沼自然公園」にて |
2006.6.20(火)
午後から個展巡りでした。14時半に地下鉄有楽町線「要町」駅で埼玉の詩人と待ち合わせをして、先日「アリキアの街」で知り合った画家・尾崎尚寿さんの個展へ。場所は熊谷守一美術館の3階にある「ギャラリー 榧」。淡い色を主体とした抽象水彩画は面白い味わいがあります。ふと思いついて1枚を購入。7月31日から始まる日本詩人クラブ詩書画展に使います。大昔に書いた詩と合うように思ったのです。どんな感じになりますやら…、よろしかったら見に来てください。
熊谷守一美術館の方は残念ながら時間切れで見学せず、15時半に「ギャラリー 榧」を後にして辻堂に向かいました。グループ展で何度かお会いしたことのある尾形久子さん個展のオープニングパーティーが17時から予定されていて、15分遅れで到着。広くはない画廊に40〜50人ほど集まっていたでしょうか、とても賑やかでした。
写真は挨拶をする尾形画伯。絵は大小30点ほどが展示され、なかでもゴビ砂漠を走る貨物列車を描いた絵が印象的でした。何度か見ていると、それ以外に味わいのある絵が2点ほど出てきて、フッと値段を見るといずれも「非売品」。やはり気に入っている絵は売りたくないのだなと思いましたね。
2次会までつき合って、帰宅は21時半。辻堂で呑んだ広島の「風」というお酒が効いたらしくホロ酔いで、充実した気分を味わいました。お酒を呑みながら絵を鑑賞する…、オープニングパーティーだから許される行為ですが、これが最高の贅沢だと思っています。
○富沢智氏詩集『あむんばぎりす』 |
2006.6.15
群馬県北群馬郡榛東村 榛名まほろば出版刊 600円+税 |
<目次>
ここに居ます 6 花と男 8
昼の仕事 10 二〇〇〇年・夏 12
閑古鳥 15 世間 17
人嫌い 19 憑き物 22
上州無頼 25 夜更けの客 27
待ち人来たらず 30 いま為すべきこと 32
あちらの墓地 34 わたしの好きなもの 37
伝説 40 ういりあむ 42
あの日の目の高さで.45.黄浦江 46
よよよよ 49 東京の暗い酒場で 52
最終電車で 54 あむんばぎりす 56
ぎりぎりす 58 もうひとつの街から 61
はらほらふら 63 のんのん 65
とろおり 68 どもくらら 70
おうめむま 72 えれむえれむ 75
あまめまめの 77 あぶあぶ 79
愉快堂 82 呑気亭 84
景色屋 87 独裁者 89
スピーチ 92 きみはうつくしい 95
世紀末の恋唄 96 晩年 99
きみに 101. 辞世 104
妄想協会 107. どこか遠くで 109
ついに書けなかった一篇の詩のために 112
だばだば 114. いまきみはどのように立っているのか 116
えのんえいん 119. きみはまちがっている 120
沼にて 122. 健康増進法 124
お日柄 126. あらるあ 129
猫のいない風景 130. がらんどう 133
あとがき 136. ●表紙装画 今井敬二
あむんばぎりす
ようやく角の取れてきた男が
ふらりとやってきて
カウンターに座った
昭和も半ば過ぎまで
鋭い目つきをして
巷に敵を求めていた男だったが
メッキが剥げたかね なんて
まだ何かのついでに言えないな
みすぼらしくなったのは
しこしこと研いできたはずの
明日と
そのために費やした月日だったと
あむんばぎりす
ことばにならないもの
ついに
そのようなものとして立ちつくすのか
意味のない独り言だと
聞かぬふりをしておいたのだが
そうつぶやくと
男は
普段と変わらぬ会話に戻った
たぶん
いまのこの日とこの時も
男にとっては大いなる誤算なのだろう
では訊くが
きみは
ほんとうにこのよのへんかくをめざしたのかね
男はかぶりをふって笑った
マスターも青臭いね
なるようにしかならなかったじゃねえか
なるほど
あむんばぎりす
ごきげんよう
午後の日差しはうなずいて
きらきらとわたしたちに
何かを投げ与えようとするかのようだ
紹介した作品の初出は『幣』7号(2004年1月)。タイトルの「あむんばぎりす」についてはあとがきで「『あむんばぎりす』という言葉に意味はない。その頃、どんな言葉からも詩の入口が見いだせなかった。ならば、どんなものでもいいから言葉へと誘う何かが欲しかった。どんな意味も持たない言葉。おまじないであり、呪文である。それは、絶対に自分の中で意味を持ってはならないものだった。その言葉=タイトルから最初の一行が生まれた。いくつかは、それらしいタイトルに後で変えた。けれども、ある時期からはそのままにした。大した理由はない。めんどうくさくなったのだ」と書いています。この詩集には意味の判らないタイトルがいくつかありますが、そのように考えて良さそうです。
作品中の「昭和も半ば過ぎまで/鋭い目つきをして/巷に敵を求めていた男」は、70年安保当時20代だった私たち世代の象徴のように思います。詩中に挟まれる「あむんばぎりす」という「意味のない」言葉は、あれから30年を過ぎた今、新たな意味を私たちに突きつけているように感じます。
詩集中の作品「閑古鳥」「憑き物」「あぶあぶ」「景色屋」は個人誌『水の呪文』に載っていたもので、拙HPですでに紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので合わせてお楽しみください。
○大澤都氏詩集『家のなかの夜』 |
2006.7.7
広島県呉市 ちょびっと倶楽部刊 700円 |
<目次>
眠り ◇ 1
私は夜に眠ることができるのか/夜は眠れない/光のなかで/合図/坂の下の家/地面の下へ/歯についての覚え書き/癖/ペンシル
家の夜 ◇ 31
第一部 穴/第二部 一%のナンバープレート/第三部 バイク/第四部 集水器/第五部 四市おじいちゃん
本当のこと ◇ 41
家にいる猫/ひげ/嫌いな理由
LOVE ◇ 49
朝顔のおばさん/りねこさんの丸/耳のもんだい/形
夜の夏 ◇ 59
水/油蝉/たまご/しっぽ/猫/きのうの夢/まくら/めだか/トメキさん/三つのはなし
外にむかって ◇ 69
コロニー/目が覚めると夜だった/ぶってる
嫌いな理由
私は海水浴が嫌いだ。
近頃「嫌い」ばかり言っている。「好き」も言ってみたいが思いつかず、自分に呆れている。私が海水浴をどう嫌いか書き連ねてみよう。
海水浴へ行く前から暑さ、日射し、においの三つに憂鬱を感じる。
暑いと思考が鈍り意識が薄くなる。人並みに行動するためのシグナルをキャッチできなくなるのだ。
普段から眩しがり屋で曇りの日も眉間に皺を寄せている。細目ではなめらかに映像が届かないから頭が締めつけられる。
私にとって磯の香りは「におい」でしかない。考えごとができなくなるにおいだ。
そんな憂鬱を抱えて海へ行く。以前から言うように私は湿気が苦手だ。海では湿気の大きなぶよぶよに体をつっこまなくてはいけない。においと湿気という不純物の混ざった空気はどんなに吸っても酸素が足りない。
海水はどうしてべたべたするのだろう。海から上がって肌が乾くとねちねちし始める。そのままご飯を食べると「真水はどこ」と叫びたい。
浜の砂は熱いし塩気がある。海水と同じでやたらと肌にまとわりつく。最後のシャワーを浴びるまでの我慢と割り切る。が、シャワーのあとにつく砂! 流してもサンダルと足裏に入る砂!
私は泳げない。自分も浮き輪も信用できない。かといって底に足が届くのはつまらないし、届かなくなる境界で中途半端に浮かんでいる。
グループで海水浴へ行く企画がある。「嫌い」を並べていたら不参加の決心がついた。
私は「嫌い」を書くことが好きらしい。
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最初にお詫びを。目次の原文では「/」はありません。各タイトルが1行ずつになっています。紹介した散文詩「嫌いな理由」は40字で行替えされています。携帯電話でHPを見た場合、変なところで改行されて見難くなりますのでベタとしました。ご了承ください。
紹介した作品は「嫌いな理由」をいろいろと並べていますが、最終部で「私は『嫌い』を書くことが好きらしい。」となって安心しました。全部が全部「嫌い」と書かれると、読者としては耐えられません。それを最後でひっくり返してくれたので、おっ、この詩、面白いじゃん、となった次第です。読者を巧妙に惹きつける詩と云えましょう。
「水」「きのうの夢」「三つのはなし」なども短詩ですが面白いです。感覚的なものと理屈がうまく共存していると感じた詩集です。
○詩・仲間『ZERO』14号 |
2006.6.20
北海道千歳市 綾部清隆氏方「ZERO」の会発行 非売品 |
<目次>
斉藤征義 まどろみのむこうがわから
森 れい MIZU
綾部清隆 背信
MIZU/森 れい
水門が開かれると
いっせいに腹をみせる魚族の低周波が
耳の奥に メスを入れる
産卵するよ 宙吊りのまま眠っている
花嫁の水位に
忘れてなどいない 季節がめぐればあなたも
正気にもどる
きょう植えた一本の山こぶし
寂蓼の日を咲く
その花芯を分け入って諧謔を水にかえす
記憶の回路の外にはじきだされた
肌ざわりというものは
肉体の中で育っていく
花のにおいのする汀で発光する
微生物を食べ続けて
闇が
わたしの中の川を すすりに来る
「魚族の低周波が/耳の奥に メスを入れる」という詩語がイメージを喚起させます。「腹をみせ」てバシャバシャと高音をたてて群がる「魚族」から発せられる意外な「低周波」。それは身体と身体がぶつかり合う音なのかもしれません。そのイメージで最終連まで読み進むと、タイトルがなぜローマ字の「MIZU」なのか少し判ったような気になります。表意文字の水≠ナはなく記号としての「MIZU」。「産卵」し、「諧謔を水にかえ」し、「微生物を食べ続け」ることは即物的なものなのだろうと思います。作者の意図とはちょっとズレているかもしれませんが、そんなことを感じた作品です。
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