きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.7.7 クリスタルボウル(「アリキアの街」にて) |
2006.9.8(金)
四谷コタンに行って奥野祐子さんのワンマンライヴを観てきました。年に一度という頻度は恒例化したようです。以前の会社の私と同じ時期に早期定年退職したおばさま方二人にも同行してもらいました。この二人は去年のライヴも観ていますので、奥野さんともすっかり打ち解けていました。「コミュニケーションボール」「涙の歌」は新曲のようです。その他10曲ほど。19時過ぎに始まって21時半頃まで、たっぷりと聴かせていただきました。
四谷コタンは相変わらずフラッシュ、ストロボが使えないので、写真は無照明で撮ったものです。40枚ほど撮って遣えるのは2枚ほどですね。そのうちの1枚です。いつもの軽いコンパクトカメラではなく、デジタル一眼レフを使いました。重い思いをして持って行った甲斐があるというものです。
おばさま達とは四谷の駅で別れて、私は神田へ。明日は日本詩人クラブの理事会が午前11時から神楽坂でありますので、泊まることにしていました。コタンで呑んだバーボンが効いて爆睡。おばさま達から0時近くに電話をもらったようですが、それも知らずに寝ていました。3人で話していたことなのですが、平日に都内でエイヴを観られるということは良いことですね。いつも呑み歩いている仲間にもう一人のおばさまがいますけど、彼女は現役で休暇が採れず今回は不参加。我々は何の障害もなくのんびりと鑑賞できます。この差はおおきいなぁ、辞めて良かったなぁと話していました。これで以前以上の年収があったら言うことはないんですけどね、そんな甘い話はないか(^^;
○個人詩誌『Quake』21号 |
2006.9.25 川崎市麻生区 奥野祐子氏発行 非売品 |
<目次>
矛盾 一
疑い(SUSPICION) 六
耳 ひとつ 十二
矛盾
コトバは
盾
守ってくれる
ぼくを
この世のすべてのヒトの悪意から
だけど
コトバは
ただの盾
ヒトだけにしか通用しない
風にも 波にも
ライオンやジャッカルたちにも
巨木や大河にも通じない
ふりかざせば
むなしく光る コトバの語尾
ビーズのアクセサリーを作るように
ああ
楽しみ 笑い 夢中になって
ぼくは いくつのコトバの盾を
自分の周りに はりめぐらせたことだろう
まるで
傷つきやすい
ぼくの裸の心臓を隠すように
砂山に体を埋めてしまうように
挙句の果てには
丁重に死骸を埋葬するように
ぼくはコトバに よりたのんだ
コトバが裏切るなんて
つゆとも知らず
考えもせずに
だけど
コトバだけでできた
亡霊のようなぼくが
いつのまにか 歩き出した ひとりでに
コトバは外に出たいのだ
コトバはヒトに知られたいのだ
コトバは読まれたい 話されたい
それだけで ひっそりと
確かに 生きてゆくことなど出来ないのだ
コトバは寄生虫のように
宿主を探す
ひとりではいられないから
獰猛にのりうつる
その手に その口に その声に
ぼくは ひとりぼっちで 臆病で
格好の餌食だったのだろう
コトバは
盾
守ってくれる
ぼくが 大人しく 体を提供している間は
ぼくの血を 肉を 骨を
コトバが 貪り食うにまかせている間は
ああだけど
亡霊はもう たくさんだ
握りしめたペンを
鋭い切っ先の矛に変えて
ぼくは突き刺す
決して何人も貫くことのできないコトバの盾を
すべてのヒトを貫き通すこの矛で
突き刺し続ける
盾と矛とにみなぎる
恐ろしい静けさ
はりつめた緊張の糸
ぼくはもう 隠れない
自分を守ろうとは思わない
戦いの時が来た
コトバが死ぬか
ぼくが死ぬのか
そこいら中に撒き散らされた
肉片が 骨片が 血しぶきが
詩片となって舞い踊る
吹き荒れる熱風の中で
上述のライヴで配布されていたものです。「ヒトだけにしか通用しない」「コトバ」の本質を描いた作品です。「盾」であり、消えていく「亡霊のような」言葉が終盤では「鋭い切っ先の矛に変えて」しまうところから、タイトルの「矛盾」が来ていますけど、言葉の持つ矛盾を言い表しているおもしろい作品です。最後の「肉片が 骨片が 血しぶきが/詩片となって舞い踊る」という詩語はまさに詩人の言葉と云えましょう。言葉に拘るライヴを続け、詩に昇華させる奥野詩の世界に魅せられています。
○詩誌『すてっぷ』73号 |
2006.7.19 京都市左京区 河野仁昭氏方・すてっぷ詩話会発行 500円 |
<目次>
おやすみなさい/森田英津子 4
Poem or Death/森田英津子 6
思い出/野谷美智子 8
魚釣り/武藤迪子 10
ホワイト・デー/司由衣 12
寺も 町もなく/北野一子 14
これから/上野準子 16
束の間/住田文子 18
世界がひとつになって/富沢玲子 20
若き柿妹と語る/曽谷道子 22
六月の晴れた日に/井手美穂子 24
命日/乙吉登美子 26
漂流/矢部節 28
石仏/日高信 30
恋こがれて/田中明子 32
怒り/賀川昌樹 34
珈琲 そして そうしての一日/藤本美代 36
神さんとねています/賀川幸夫 39
花筏/河野仁昭 40
例会 メモ 他 賀川幸夫 42
京都詩壇の生成(2)−竹内勝太郎(中)/河野仁昭 44
Step 58
ADDRESS
カット・森田英津子
ホワイト・デー/司 由衣
六人掛けの大きなテーブルに
注文したコーヒーが二つ
こんな情景を
一編の詩に書き留めたら
わたしの無粋な人生も
華やいだものになるだろう
けれど
あなたにはほかに
優しい時間が待っていて
そうよ あなたは 一杯
ほろ苦いコーヒーを飲もうと思い
そしてもう一杯を
たまたま居合わせたわたしに
チョコのお返し
小さな喫茶店にふらっと入り
二人さしむかいのコーヒータイム
もしもいま わたしの
残り少なくなったコーヒーに
入れ忘れたミルクを注いだりしたら
それを機に情景は一変して
「じゃあ ぼくはそろそろ…」
と言って あなたは
いまにも椅子から立ち上がって
行ってしまいそうで
「ホワイト・デー」の「チョコのお返し」代わりの「ほろ苦いコーヒー」を素材とした作品です。「わたしの無粋な人生も/華やいだものになるだろう」という設定がこの作品の前提となっていて、ここは上手いと思いました。「もしもいま わたしの/残り少なくなったコーヒーに/入れ忘れたミルクを注いだりしたら/それを機に情景は一変して」しまうだろうという着想にも繊細さを感じます。女心の機微をうたった佳品と云えましょう。
○詩誌『EOS』10号 |
2006.8.31 札幌市東区 EOS編集室・安英晶氏発行 500円 |
<目次>
ゆらゆら揺れるは*小杉元一/2
昆虫の書(一四)・痛い雨*高橋渉二/8
博物館*安英 晶/14
後記/20
題字・表紙絵 高橋渉二
表紙絵:点転天(木版原寸)2006年7月作
ゆらゆら揺れるは/小杉元一
(らくだは半眼のまま立ち上がる
ゆらゆら揺れるはらくだの背?
それとも大地?
いえいえゆらゆら揺れるはわたしの眼ばかり)
「どこでもドア」を抜けるとすぐに
ソウルの街の磁場へつづく
ハングルの文様
あおしろくもえていく地下鉄路線図全景
黙っていても
足元はつぎからつぎに深くなり
(らくだは顔をあげる
わたしはななめに浮くばかり
ゆらゆら揺れて
わたしは空と地のあわいに浮かぶ蜃気楼)
地下鉄の電車の座席に坐りこむ
水底をおちてゆくコンテナの傾きと揺れのなかで
むかいあいおしだまって坐っているが
日本とおなじじゃないさ
やがて物乞いがやってくる
車両から車両を渡って
やってきたのは眼の見えないちいさなハルモニ
杖で床を探り
片手で笊をつきだして
じょうずにバランスをとりながら
ふわふわ歩いてくる
笊にはいくらかの紙幣と硬貨が入っていて
座席から飛び跳ね
恥ずかしそうに
少年がひとり硬貨を入れる
ひとびとはあわてて眼をそらしているが
わたしだってこおりついていた
見えるものを見ていただけなのに
そして右に左にゆれながら
通り過ぎ
車両から車両をまたぎながらゆっくりと
折れ曲がる闇に消えてゆく
ハルモニのとうめいなうしろすがた
吊り革は列になりおおきく揺れていて
(らくだはおもしろそうに口をうごかす
どこへいっても
見るものは見えるものだけ
らくだはここではないどこかを見つめている)
蟻のようにぞろぞろ押し出されると地上は
変に明るいのさ
ワールドカップ代表チームのサポーター
赤い悪魔の分身が巣穴からあふれてくる
これはどこでもおなじかい
ただし赤い悪魔は安重根のシンボル?
巨大なスクリーンの
ボールの行方にお祈りし歓喜する
一瞬の眼の中の静寂と
直下の地鳴りの歓喜
こっちまであおられて放された鳥のようになるさ
限だけは孤立し
夜が明ければ
巨大なスクリーンはただの看板になり
広場は車でごったがえし
ひとは消えた巣穴の跡をうろうろするばかり
ボールは原色の芝からいくども深々と蹴り上げられたけれど
どこにも飛んでいかない
過去の頭上にも
明日の網目のむこうにも何も見えない
白いスタジアムは無人のまま
高層ビルディングの屋上の岸辺から見えるのは
いくつもの排他的海の青ばかり
はるかまひるの夢を横切る影は何もないよ
(水を揺らしてらくだは歩きはじめる
ゆらゆら揺れるはらくだの背?
それとも大地?
いえいえゆらゆら揺れるはわたしの限ばかり)
「ゆらゆら揺れる」「わたしの眼」と「眼の見えないちいさなハルモニ」を絡ませて作品で、韓国では「車両から車両を渡って」「物乞いがやってくる」のですね。日本から一歩も出たことのない私には驚きです。「らくだ」と物乞いのハルモニとはどこかで共通点があるのかもしれません。「ワールドカップ代表チームのサポーター」の「赤い悪魔は安重根のシンボル?」という視線は詩人ならではのものでしょう。韓国ではどうか判りませんが安重根を知る詩人は日本では少ないかもしれません。それにしても最初と最後に置かれた「(水を揺らしてらくだは歩きはじめる(以下略)」という連が巧く効いている作品だなと思いました。
○詩とエッセイ『さやえんどう』29号 |
2006.9.1 川崎市多摩区 詩の会 さやえんどう・堀口精一郎氏発行 500円 |
<目次>
哀悼 斎藤
お別れ−心に刻む笑顔/北川理音子・6
最後の電話/布川 鴇・6
四行五連と川柳/なべくらますみ・7
弔辞−詩人とは詩によって人生を創られた人/高村昌憲・8
時間論と散文詩否定−斎藤氏を偲ぶ/長尾雅樹・9
斎藤さんとの合縁/時間との因縁のこと/和田文雄・10
詩人と酒−斎藤さんを偲んで/堀口精一郎・11
<追悼詩> 北の空へ/堀口精一郎・37
詩
吉田 定一●鶴・14 ふうりん電話・15
前田嘉代子●オープン・ゲイト・16 公園の↓(矢印)・17
平野 春雄●象・18
成見 歳広●こんなもんじゃ・20
崎岡 恵子●ふんどし・22 居留守・22 ばぶれ豆腐屋・23
高村 昌憲●べトナム戦争・24 二つの地球・25
大貫 裕司●平穏・26 廃線になる噂・27
袋江 敏子●ついてないけど・28 たそがれ・29
なべくらますみ●摘み草・30 ボタン・31
北川理音子●綿菓子 38 立ち止まる・39
徳丸 邦子●脱ぎ捨てず・40 行き先・41
高橋 芳子●視線 十年毎の出会い・42 返事のない手紙・43
長尾 雅樹●自画像−松本竣介・44 『金色のマリリン・モンロー』・45
和田 文雄●孤影凛然−『野火』画想(全)・46
田代 卓●糸とんぼのヤゴ・48 追い抜く一群・49
堀口精一郎●嘘が書けたら・50 あした・50 五月雨−宇根元とし子さんをしのんで・51 じんせい・51
詩論 書評 エッセイ
堀口精一郎●二〇〇五年風狂川柳忘年会覚え書き・13
大堀普美子●小熊秀雄賞と水島美津江さんと・32
成見 歳広●ホンのおすすめ三冊!・34
高橋 芳子●空が見えない・36
長尾 雅樹●傘泥棒・36
和田 文雄●<詩集評>
山崎森詩集『タクラマカン砂漠』・52
和田 文雄●<詩集評>
渡辺めぐみ詩集『光の果て』・53
詩集等受贈御礼・54 編集後記・54 住所録・55
表紙デザイン 吉田定一
<追悼詩>
北の空へ/堀口精一郎
――斎藤 氏をしのんで 二〇〇六年六月二十一日逝去
梅雨どきの空から落ちてくる
糠雨のようなしめった心をかかえて
調布駅で降りその角を曲がりまっすぐに歩いて
詩人の通夜への道を急いだ
そういえば一昨日の夜明け前 夢をみた
一羽の鶴が北の空に向かって飛び立って行く
羽根毛の先で灰色の空へ
なにかを書きなぐつているようだ
「さようなら! 帰るところがあったなら
私はうたをうたわない」
彼の「失意」と題する詩の一節なのだ
そこでぽっかり穴があき朝鮮半島が泛(うか)んでみえる
翌朝新聞の片隅に小さな訃報欄をみつけた
背の高い大きな男にはちょっと不釣り合いだなあ!
今号は本年6月に亡くなった斎藤氏の追悼特集になっていました。私も何度かお会いしています。「背の高い大きな男」ですが、温厚な印象を受ける方でした。「訃報欄」は私も目にしましたけど、確かに「背の高い大きな男にはちょっと不釣り合い」だったかもしれません。そこを明るい調子でうたいながらも作者の無念の思いが伝わってきます。
拙HPでも斎藤さんのエッセイ集『植民地と祖国分断を生きた詩人たち』『生理的抒情試論』『詩と自画像』、詩集『夕映えの定期便』をいただいて紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたのでご鑑賞いただければ幸いです。改めてご冥福をお祈りいたします。
(9月の部屋へ戻る)