きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
吊橋・長い道程 |
2007.12.15(土)
その4 その1へ その2へ その3へ その5へ
○徳重敏寛氏詩集『詩は鏡』 |
2001.10.8
東京都国分寺市 武蔵野書房刊 1500円+税 |
<目次>
〔一〕フォロー ミー
1 フォロー ミー 10 2 呼ばれている 12
3 気付きなさい! 13 4 春の大地 15
5 宇宙船地球号 16 6 春の月 18
〔二〕共通言語
1 共通言語 22 2 ウルトラ言語 24
3 耳法悦 26 4 人生三昧(ざんまい) 29
5 処々蹄鳥(ていちょう)を聞く 31
〔三〕すべては現在の中に
1 すべては現在の中に 34 2 あなたと共に居る 36
3 楠の木さん! 38 4 委託 39
5 木の下で 40 6 カタバミ 41
7 草と木と 42 8 夕陽 44
9 今年ばかりの春 45 10 縁(えにし) 46
11 天の国――ミサの帰りに道端で 48 12 奇跡 49
13 美 50 14 創造の極み 52
〔四〕ダイヤモンドでも
1 ダイヤモンドでも――道沿いの家の裏庭で 56
2 子供の目 58 3 この世界の隅っこに――テスト監督をしながら 59
4 差別無しの所――京の街角で 61 5 「他人(ひと)」という思想 63
6 存在を頂く――京都の新々堂にて 65 7 桜の花びらのように 67
8 満開の桜 69 9 八朔(はっさく) 71
10 金柑(きんかん) 73 11 二十四時間勤務 75
12 ただの幼な子 77 13 我もまた在り 79
14 欠伸(あくび) 80. 15 服薬 82
14 聞き耳 83
〔五〕からっぽな心
1 からっぽな心 86 2 生かされている 88
3 今の一刻一刻 90 4 白日の下(もと) 91
〔六〕青春
1 青春 94 2 星の王子様の許(もと)に到る道は――ある少年に 97
3 言葉(1) 100 4 言葉(2) 102
5 成長 103. 6 自己変革(1) 104
7 自己変革(2) 107 8 大事なのは 109
9 始めなさい 111. 10 瞑目(めいもく)して思うそこで 113
11 二人の中村君―かつての教え子が来校して 116
12 何やってんの? 119
〔七〕ピリオド
1 ピリオド 124. 2 言葉と御(み)言葉 126
3 コミュニケーション 128. 4 詩、私の場合 130
5 私の詩 132. 6 詩は鏡 133
7 詩作 134
8 聴く至福、聴かれる至福――語らいへの誘(いざな)い(その一) 135
9 わがことのように――語らいへの誘(いざな)い(その二) 137
10 語らいへの誘(いざな)い――語らいへの誘(いざな)い(その三) 139
あとがき 142
跋――自然・存在論・伝えたい心 月村敏行 144
6 詩は鏡
詩は私の鏡。
私には見えない私の姿を
映し出す
忠実な鏡なのだ。
忠実な?
――確かに
理想化しすぎる嫌いはあるが、
自分を映し出すほかの術(すべ)を私は知らないのだから、
私と私の理想の姿との間を往(ゆ)き来しながら、
私がその理想の姿に達するのを待つことにしたいのだ。
第3詩集のようで、長い間教職に就かれていたようです。教え子が訪ねて来る詩などを拝読すると、慕われた先生だったのではないかなと思います。作品もクリスチャンらしい真摯な詩が多くありました。ここではタイトルポエムを紹介してみましたけれど、この1編からも真摯さは伝わると思います。「詩は私の鏡」であり、「私がその理想の姿に達するのを待つことにしたいのだ」と自然に詩に向かう姿勢に著者の生き方の基本があるように感じられます。「忠実な鏡」を持つことの大事さを教えられた作品です。
○林幸雄氏編・若杉鳥子詩歌集『一水塵』 |
1999.12.18 東京都国分寺市 武蔵野書房刊 1700円+税 |
<目次>
歌集
地を踏む…10 山茶花…13 青玉集…15
心のまへ…19 紫陽花…23 明暗…28
疲れし命…29 長塚節氏を悼む…31 襤褸刺す…34
をりをりに…38 其日のあと…41 茶毘…44
涙の痕…47 一水塵…50 晩春より初夏に…53
わが厨…56 風の吹く日に…59 ねざめ…65
師走雑詠…68 きさらぎ…71 哀しき秋…74
手向くる花…79 死火山…84 都會を離れて…86
病者の歌…90 挽歌…97 明日を思ひつゝ…100
春雪…102. 色紙に…105. 短歌日誌…106
詩集
菫と星と蝶…114. 少女の胸…116. 君が手箱…118
女のゆめ…120. をとめ…123. 黒髪…126
破れし望…128. 東都に上りて…131. はや足…134
針の手止めて…136. かけ巣…140. 赤き夢…142
うたゝね…145. 夕陽…147. 金魚の命…151
帶巻くもの…154. 山査子の花…156. 一石橋…161
郊外の夜…164. 毀れ時計と私…166. 名を求めて…168
若い女のことば…170. 冬の夜のみち…171. 詩…174
影…176. 明日へ…178. 點滴(遺稿)…181
ある母のうたへる(遺稿)…183
著者略歴…187
あとがき…189 (挿画 竹内いせ子)
點滴(遺稿)
よなか
夜半にふとめざめぬ
とのもは 時雨ふるらし
いづくよりか點滴の音す
あゝ命は漏刻の水
世の塵に今日も生きたり
人なべてかゝる夜に
點滴の地を打つきけば
世の塵に生くる命の
生きの身を
ふるはすべしや
十一月三十日
婦人公論 昭和一三年二月号
若杉鳥子は1982(明治25)年に現在の茨城県古河市に生まれ、1937(昭和12)年に東京阿佐ヶ谷で没した歌人・詩人・小説家であったようです。プロレタリア作家同盟にも加わり、小林多喜二の通夜に出席して治安維持法違反容疑で検挙されたこともある女性です。
本著タイトルの「一水塵」とは、編者によれば「一水」は一筋の水、一滴、「塵」にははかないものという意味があるという≠アとのようで、さらに作者は己の人生をこの言葉に表象したのだろうか≠ニ続いていました。
ここでは2編の(遺稿)作品の中から亡くなる19日前に書かれた方を紹介してみましたが、ここでも「塵」が二度も出てきて、この言葉が生涯を貫いていたように思われます。点滴の音が命の「漏刻の水」と聴こえるという、繊細な感受性を感じさせる作品だと思いました。
○遠丸立氏著『埋もれた詩人の肖像』 |
1993.1.20 東京都国分寺市 武蔵野書房刊 2900円+税 |
<目次>
1 詩の発掘
一、埋もれた詩人の肖像−林芙美子−…6
二、詩人林芙美子の復権を望む−死後30余年 不当な冷遇−…33
三、林芙美子の詩的復活−昭和詩史 落丁の一ページを埋める−…38
四、林芙美子のこと…42
五、岡本かの子と林芙美子…45
2 同時代詩をあるく
一、同時代詩をあるく 第一稿…50
(一)永山則夫…60
(二)長岡弘芳…70
(三)卜部昭二…79
(四)平田好輝…88
(五)水こし町子…97
二、慈父のような詩人たちの遍在…106
三、詩の感受性についての小稿−詩壇回顧一九七六年−…115
四、山本太郎の盗作に寄せて…124
3 詩人論 歌人論
一、鮎川信夫の詩…132
二、鮎川信夫の戦争体験−業罰としての−…111
三、田村隆一論−源泉の恐怖−…175
四、田村隆一小論−墜落の詩−…201
五、吉本隆明の詩論とその位置…208
六、うたびと 寺山修司…232
七、貞松瑩子論−『最後詩集』を中心に−…254
八、立中潤の日記と詩…280
九、立中潤のこと…297
4 詩歌に関する八篇
一、詩の魅力・詩集の魅力…306
二、内なる神との対話…308
三、最近の詩人たちが書く小説−私の詩論と小説観をささえにして−…310
四、「詩圏」四つ
(一)宮沢賢治のこと…326
(二)詩の痛さ…328
(三)林芙美子の詩が好きになる…329
(四)今年の本から…331
五、詩歌のなかの落日…332
六、詩と短歌のあいだ−詩作の上での短歌−…335
七、短歌と詩と…312
八、俵万智小論−短歌の広さ−…315
5 宮沢賢治と中原中也
一、賢治童話と宇宙…352
二、中也羨望…370
あとがき…384
一、詩の魅力・詩集の魅力
詩の言葉の魅力について考えてみたい。本格的にやれば詩論となるところだが、ここではそんな余裕はない。詩の読者として常日頃感じていることの一つ二つを手短にしるす。詩の鑑賞は主観的評価と切り離せない面があるから、これはあくまでも私個人にとっての魅力である。
詩の言葉の魅力は、まず詩人の存在の固有のリズムが詩のなかに横溢しているか否かにあると思う。詩人の感性のリズム。肉とたましいを貫通するリズム。詩人という存在を凄まわせているこの宇宙にはリズムが偏在している。宇宙は一のリズム構造の別名である。小宇宙としての人間も、したがって宇宙そのもののリズムを個々に分有している。その人間の生みだした言葉の基底には、これも当然のことながら、あるリズムが息づいている。そういうわけで言葉の原基は、宇宙的リズムの反映というところにあるのだと思う。ことわるまでもないが、それは韻律、または音数律の意味ではない。そういう形式的リズムではなく、人間と言葉を生かしている母胎としてのリズム。宇宙そのものの息吹き。存在の根源に伏在するリズム。
日常の言葉は、だいたい指示の機能が果たせればいいわけだから、そんなリズムの存在とは無縁の場所でやりとりされる。伝達機能さえ達せれば事は終る。しかし詩の言葉はそうではない。詩人の存在の、詩人の肉とたましいを貫通するリズムがそこにどの程度とりこまれているか、自在に流れているかいないか。その点に詩の言葉と、詩でない言葉の別れがあるように思うのだ。一篇の詩のなかに流れる作者の存在のリズムを読者が堪能することができれば、それは彼にとり最高の魅力なのだ。
つぎに、どんな詩であれ詩の言葉には、華やぎ、あるいは華麗さ、の側面がなければならぬ事情をとくと説明したいのだが、紙数が心細いので、とりあえずそのことだけを指摘してさきへ進もう。
詩集の魅力は、もちろん詩の魅力と重なる部分がおおいにある。それは詩篇のコレクションなのだから、当然の話だろう。いま述べた詩の二つの魅力は、詩集の魅力でもあることはうたがえない。けれども詩集独自の魅力というものもある。一篇の詩にはなく、一冊の詩集にしか感じとれぬ魅力というものもたしかにあるのだ。
見知らぬ人から詩集が送られてくることがある。一篇一篇の作品の水準は悪くないのに、読み終えてから「これは貧しい詩集だな」と落胆的印象をうける場合がある。どうしてそんな印象がやってくるのか。詩を一つ一つ切り離すとかなりなレベルにあると思えるのだが、収録の作品が例外なくたとえば似たり寄ったりの哀愁の情緒を放散する内容のものであるとか、また一、二の材料に基いてすべての詩が連繋的に創られているときなど、読者としての私は、ワン・パターンを感じてしまう。変化のなさ、単調さ、貧しさ、が少々鼻についてくる。どうも詩集というのは、個々の作品のできばえもさることながら、作品の内容・質が多彩であることが必要で、多彩な作が一冊の詩集に配列の妙を得て盛られているとき、読者は眩暈を感じ、陶酔を覚えるのだと思う。(「短歌現代」一九八一年七月)
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副題に「同時代詩史の落丁をひろう」とある詩論集で、著名な詩人に偏することなく、落丁の憂き目に合っている詩人に光を当てた好著と云えましょう。冒頭の林芙美子は『放浪記』などの小説で有名な作家ですが、詩も300篇ほどを遺しています。そこに光を当て、詩人としての功績も忘れるべきではないという趣旨で、まさに慧眼です。
本著は主に新聞や詩誌・雑誌に掲載されたものをまとめていました。私は実は10年ほど前に買って読んでいます。今回寄贈され、拙HPでも未紹介であることから改めて読み直してみました。一言で言えば10年前の感動はまったく色褪せることはありませんでしたね。当時は読み込めなかった部分も、今回は少しは深く読めたのではないかなと思っています。
長文の論文が多いので、ここでは「4 詩歌に関する八篇」から短文の部類の「一、詩の魅力・詩集の魅力」を紹介してみました。私も何冊か詩集らしきものを創ってきましたけど「多彩な作が一冊の詩集に配列の妙を得て盛られている」ことができたかどうか、はなはだあやしいものだなと反省させられます。
おそらく版元にはまだ在庫があるだろうと思います。ネット古書店での注文もできるでしょう。お薦めの1冊です。
○村上文昭氏著『島崎藤村「山陰土産」の旅』 |
2007.12.10 東京都八王子市 武蔵野書房刊 2000円+税 |
<目次>
一、藤村「山陰土産」の旅…7
(一)紀行から八十年…7 (二)大乗寺にて…9
(三)香住の停車場で…11 (四)名付け親…13
(五)郷土読本…15 (六)大山(だいせん)の姿…17
(七)松江の宿…19 (八)美保関の野村君…21
(九)菅田庵まで…22 (十)益田の大谷君…25
(十一)旅先の揮毫…27 (十二)山陰の土産…29
(十三)日本海…31 (十四)鶏二の挿絵…33
(十五)えびす様の逸事…35 (十六)美保関青石畳通り…38
(十七)紫明楼の一夜…40 (十八)茅の輪の社…43
(十九)津和野の二時間…45 (二十)旅先できく名前…48
(二十一)地元の人たち…50 (二十二)浦富海岸にて…53
(二十三)岩井温泉の宿…56 (二十四)岩井温泉の宿(つづき)…58
(二十五)旅の意味…61 (二十六)作家の着眼…64
(二十七)十二日間の旅…67
二、山陰に藤村を探る…71
紫明楼の間取り…71
画家・鶏二の出発…77
エッケルマンのように…82
名家の旅、そして藤村と旅…92
昭和二年の藤村…99
三、益田の大谷君≠フ日記抄…107
大谷嘉助のこと…109
<昭和二年>…110 <昭和四年>…119
<昭和五年>…121 <昭和七年>…122
四、山陰余情 六篇…129
モリアオガエル…129 楊梅(やまもも)…131
赤い屋根瓦…134 栃ととち餅…136
伯耆(ほうき)の大山(だいせん)…141
茂吉の益田…149
五、日記の中から 他…155
二〇〇六年…155 二〇〇七年…169
編集後記抄―『羽鳥通信』より―…173
おわりに…175
一、藤村「山陰土産」の旅
(一)紀行から八十年
島崎藤村が山陰の旅へ出たのは、昭和二(一九二七)年七月のことである。山陰本線に沿って西下していき、益田と津和野で終わる十二日間の旅であった。このときから数えて、ことしが八十年の節目に当たる。
島崎藤村といえば詩集『若菜集』で出発した詩人で、やがて小説に転じて『破戒』『春』『家』などを発表しては話題を呼び、作家として大きな地歩を占めていた。昭和二年のこのとき短編集『嵐』を刊行して、創作に一つの区切りをつけ、次の『夜明け前』への構想を用意している年であった。さらには加藤静子との再婚を翌年に控えていた。
そこへ大阪の新聞社から申し出があったとき、これまで行ったことがない山陰の旅で、新たな視点で考える好機会、ととらえたのかもしれない。旅に出る作家は五十六歳の初老であった。同行するのは二男の鶏二、洋画家を目指す二十歳の青年である。七月八日の朝、大阪を立つといよいよ城崎からこの紀行を開始した。新聞に紀行文の連載が始まったのは七月三十日からである。「山陰土産」と題されて、都合三十七回にわたった。このうち鶏二のスケッチ十六枚が父の文章を飾った。この連載は九月十八日まで続いた。
それから一カ月もしないうちに『名家の旅』という紀行文集に収録されて刊行となった。ほかに小島烏水や新村出の紀行文も入っている。藤村だけの単行本は昭和四年の改造文庫を待たねばならなかった。
「山陰土産」は作家の息抜きか気楽な旅の文章ぐらいに受け取られてきたが、どうして、彼が予想した以上の成果を生んだようだ。本文を読み返すと、決して軽く見すごせるような作品ではないと思うようになった。
そこで私は、藤村の旅の跡を追体験しながら探ろうと、まずは城崎へ向かった。
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紹介したのは本著の冒頭部分です。島崎藤村学会の会員でもある著者が「藤村の旅の跡を追体験しながら探ろう」とする動機が端的に述べられています。このあと27章に渡って追体験の旅が記されていくわけですが、この27編は「山陰中央新報」に2007年3月から半年に渡って連載されたものだそうです。「山陰中央新報」紙も創刊80年、その二つを記念しての連載だったようです。
浅学にして藤村に「山陰土産」があることを知りませんでした。仮に知っていたとしても「作家の息抜きか気楽な旅の文章ぐらいに受け取」っていたかもしれず、読まなかったかもしれません。拝読して「決して軽く見すごせるような作品ではない」ことが判ります。現在入手できるのは新潮文庫『嵐・山陰土産』が可能性が高いようですから、私もいずれ入手してみようと思っています。
本著は藤村研究には欠かせない1冊でしょう。藤村ファンにもお薦めです。
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