きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.3.12 湯河原町・幕山公園




2008.4.14(月)


 急に思い立って、日帰り温泉に行ってみました。ちょっと足を延ばして隣県・山梨の丘の上にある温泉場です。丘の頂上にある施設ですから、深い地中から汲み上げて供給しているのでしょう。小さな温泉場でしたが眺めは良かったです。

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 写真は、残念ながら浴場からではなく休憩室から。携帯でテキトーに撮りましたので画質はよくありませんけど、丘の上という雰囲気は出ているかなと思います。日帰り温泉なんて10年ぶりぐらいでしょうか。たまにはリフレッシュに良いみたいです。月に一度とは言いませんが、せめて半年に一度ぐらいはこんな時間を持ちたいものですね。



横尾湖衣氏詩集『詩の花束』
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2008.4.26 愛知県知多郡東浦町 草珠庵刊
非売品

<目次>
背中合わせ・・1   白い花赤い花・・3  昼顔・・6
おもかげ・・8    紅花・・10      戦争写真・・13
秋雨・・16      人形・・18      サーカス・・22
つくしときのこ・・24 手仕事・・26     空き地・・28
二人静・・30     小紫陽花・・33    待宵草・・36
柿蘭・・38      毛氈苔・・40     愛地球博・・43
風鈴・・45      桜には・・48     スケッチ画・・50
あとがき・・51



 戦争写真

今年もあちこちで
展示されていた

いつも不思議に思うのは
兵士たちの写真だった
お偉い軍人さんの
すました写真ではなく
おそらく
戦地へ向う前の
兵士たちの写真
どれを見ても
笑顔の写真ばかりで
あるときふと気づいた
作り笑顔だということに
これが最後の写真
だったのかもしれない

作り笑顔に
込められた思いとは
覚悟だったのだろうか
不安だったのだろうか
感謝だったのだろうか
謝罪だったのだろうか

「お母さん」と叫びたかった
のかもしれない
「お父さん待っていてください」だった
のかもしれない
「ぼくたちが守ってみせる」だった
のかもしれない

写真はたったの一枚紙切れ
一瞬の時間の断片
そこに残る表情から想像する
家族へ残したかった写真
家族が未来へ伝えたい写真

今この瞬間
どこかで爆撃の音がしているかもしれない

 (初出「玉蔓」30号・2004年10月26日発行)

 タイトル通りに花の詩が多い詩集です。ここでは、そんな中では異質な「戦争写真」を紹介してみました。「展示されていた」「兵士たちの写真」を見て、「作り笑顔だということ」に気付いた感性は素晴らしいと思います。私たちは戦争を知りませんが、そうやって「そこに残る表情から想像」して追体験するのが詩人の努めだと思います。
 本詩集中では
「サーカス」「手仕事」「待宵草」をすでに拙HPで紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて横尾湖衣詩の世界をご鑑賞くださればと思います。



個人詩誌『玉鬘』45号
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2008.4.15 愛知県知多郡東浦町
横尾湖衣氏発行  非売品

<目次>
◆詩
「裸足」       「失楽園」      「葡萄と吸血鬼」
「世界樹」
◆御礼*御寄贈誌・図書一覧
◆ご案内
◆生け花&書作品
◆あとがき



 裸足

裸足になって
道を歩く
アスファルトに
コーティングされた道は
熱く冷たく
硬く痛かった
歩きやすい道は
体中に震動が響くようだ

道をそれて
田の畦を歩いてみる
春の若草の
心地よい冷たさと柔らかさ
そして土の
ほのかな温かみ
歩く震動を吸収している

ああ生きている
人の足は
こうして昔は大地と接し
きっと季節を
感じていたのかもしれない

地中の種たちの
発芽の鼓動が
伝わってくるようだ
大地は生きている
ゆりかごから
次々と目覚めだす
そんなものたちの息吹き

冬から春へ
春から夏へ

土も季節を刻んでいる

 「アスファルトに/コーティングされた道」と「田の畦」との違いを考えさせられます。たしかに「人の足は/こうして昔は大地と接し/きっと季節を/感じていたのかもしれない」ですね。草鞋から草履・下駄、そして革靴やスニーカーと発展してきて、私たちの足はだんだんと大地から離れてしまって、ついには大地そのものを「コーティング」してしまいました。「地中の種たちの/発芽の鼓動が」あること、「土も季節を刻んでいる」ことを忘れた私たちに警鐘を鳴らしている作品だと思いました。



詩と訳詩のざっし『火片』167号
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2008.4.10 岡山県総社市 井奥行彦氏方 火片発行所
500円

<目次>
霧の中から ハインリッヒ・フォーゲラーとヘルタ・ケーニッヒの『新詩集』/鈴木 俊 1
記録 母永瀬清子の思い出/井上奈緒 4
寄稿「母永瀬清子の思い出」/を読んで 川越文子 6
【詩篇】
風花咲いた/妹尾礼子 8          虫/片山福子 9
緒 外/川田圭子 9            ニュー・ジーランドで(2)/山下静男 11
目覚まし 時計/はやし・さちこ 12     フエ/斎藤恵子 15
冬の朝/玉上由美子 16           戻ってきた男 外/藤原由紀子 17
特集 藤原由紀子詩集『カバンが不安を呑み込んで』/諫川正臣・木場とし子・洲浜昌三・村上久雄 19
記録 道すがらの記4/なんば・みちこ 23
【詩篇】
花束を/中田文子 26            つらぬく/中桐美和子 27
一日 外/竹内千恵子 28          湾 外/重光はるみ 30
ひらう 外/しおたとしこ 32        舞いおりる 外/佐藤祝子 33
歯医者/柏原康弘 34            十二月の雨/木村雅子 34
ウミガメ 外/岩崎政弘 35         鶴さん 外/赤羽 学 36
心の動き/則武一女 38           Mくん げんきか/白神直生子 39
卒業2008/神崎良造 40         見えない鎖/山川公恵 41
逃げ道/石川早苗 42            桜貝/なんば・みちこ 43
老千行/皆木信昭 44            冬眠/井奥行彦 45
読者の作品から 担当 山下静男 47
雨の日 外=小林幸子/母=さとみ・れい/春待つ頃=中原香代子/知らぬが仏 外=岡崎達実
後記・井奥



 桜貝/なんば・みちこ

若者は終日浜にいた
思い描くのは
娘の胸飾り
桜のはなびらのような
この貝は
きっとあの娘に似合うだろう

沖には一筋の潮の流れ
碧く太く
あこがれのように
かなしみのように
その境目を
白い波が終日とりまき
泡だっていた
春の日

若者も娘も老いた
さがしても桜貝は浜になく
プラスチックのかけら
発泡スチロール
ビニール袋
ガラスのかけら
その中を這う
家さがしのヤドカリ
だが あったのだ
奇蹟のように
かすむ眼が捕らえた
貝の破片
がらくたの中の宝石

沖には一筋の潮の流れ
黒く細く
生のように
死のように
その境目を
白い波が終日とりまき
泡だっていた

 「娘の胸飾り」を「思い描」いて「若者は終日浜にい」て、「若者も娘も老いた」今も探し続けているが、見つかるのはガラクタばかり。しかし、「奇蹟のように」それは「あったのだ」。「貝の破片/がらくたの中の宝石」として…。これは青春の大きな夢は「貝の破片」にしかすぎないということを謂っているように思いますが、決して悲観的ではありません。「一筋の潮の流れ」が「碧く太」いものから「黒く細く」なるのと同じで、本質は「その境目を/白い波が終日とりまき/泡だってい」るだけ、人生とはそのようなものだと達観しているように読み取れます。人生の深遠を覗かせてもらった思いのする作品です。



   
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