きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
080428.JPG
2008.4.28 富士・芝桜




2008.5.13(火)


 所要でちょっと外出しましたが、それ以外はいただいた本を読んで過ごしました。



石下典子氏詩集『神の指紋』
kami no shimon.JPG
2008.5.21 東京都板橋区 コールサック社刊
2000円+税

<目次>
第T章
神の指紋I 10    神の指紋U 16    念 20
鷲高隈
(わしたかくま) 24  口中の刃 28     七歳の檸檬 32
線香花火の夜 36   殯
(もがり) 40      墓地 44
煉り羊羹 48     桜の入水 52     やわらかい女 56
しもつかれ 60    省く 64       ざわめでくる 68
象の紙 象の風 70  摘
(つま)む 74
第U章
爪の桜 80      水を汲みに 84    素足の女 86
尼 90        得度のピアス 94   涙する文字 98
蘭鋳
(らんちゅう) 102   覦(のぞ)み 104    なんどでも莟 106
芹 108        ふたりの女 112    砂廉 116
(にわたずみ)ひかる 118 釘 122
あとがき 126



 神の指紋T

かたちあるものなら
はじめから
失う覚悟もできる
見えないものはどう守ればよかったのか

こころ死んだ少年の亡霊が
夕飯を食べている
浅く掛けた椅子の猫背に
無言の箸が往復している

平穏を疑わない学校で
おとなが仕掛けていたと誰が思うだろう
未熟なこころをなぶるのはたやすく
ずっと血をにじませていたに違いない
堪えきれず大破するのは必然だった
潜んでいた激昂は一気に噴きあがり
家は淀みに呑みこまれていった

幅広ズボンの裾は黒い尾鰭
爪先で世間に蹴りを入れながら
外股に闊歩しては充たされる一瞬
ひっつめ髪につり上がった目と眉で
寒気を切り裂いて夜通しあてもなく
自転車で漕ぎ回っていた
それでもなお
憤懣の流失は止まず
昂ぶる感情の弧は捩れていく

母を悔悟の総てがしめあげた
荒れ狂う暴風の中で吹き飛ばされぬよう
母ひと文字を杭にして

しかし切なく遣りきれないのは
誰でもない
十五のおまえだった
  おまえの母はこの母ひとり
  どこまで堕ちてもさらにその下
  この手で受けてやる
呪文のように呟けば
うしろ指さされる痛み 謗りの棘なんかどうにでもなる

幼さを隠せないひょろりとした腕の
真ん中の崩れたくぼみ
それは 自らが煙草の火を押し当て
根性焼きと呼ぶ火傷である
生涯の落款 親と子の
だがともかく気が済んだのだ これで
でなければ
自裁の決着をつけていたかもしれぬ

母にはわかる
ひしと腕を握り この世にとどめてくれた
神の指紋

 17年ぶりの第2詩集です。タイトルポエムにはTとUがありますが、ここではTの巻頭詩を紹介してみました。「十五」の少年の「幼さを隠せないひょろりとした腕の/真ん中の崩れたくぼみ」は「自らが煙草の火を押し当て」て付けた火傷の痕だったわけですが、それを「神の指紋」と呼べるようになるまでの時間の経緯に慄然とします。ちなみにUは二十歳を前にした「子」のその後が描かれています。
 拙HPでは、本詩集中の
「芹」をすでに紹介しています。こちらも佳い詩です。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて石下典子詩の世界をご鑑賞いただければと思います。



阿部堅磐氏小エッセイ集『男巫女』
otoko miko.JPG
2008.5.10 愛知県刈谷市 私家版 非売品

<目次>
一 エッセイ
男巫女        鬼          三人の師
名所探訪       歌謡散策
二 紀行
東北の旅       山形周遊       横浜散歩
帰郷(一)三条     (二)弥彦
三 回想文
カキワ君の文学的回想 (1)〜(7)
四 詩歌鑑賞ノート
・『神楽歌』『隆達小歌』『松の葉』
・愛しき短歌(『昭和萬葉集』より)



 
おとこみこ
 男巫女

 越後に八海山という霊山がある。山を拓いたのは木曽の木食上人普寛の弟子泰賢である。新潟県には八海山信仰の講中がたくさんあって教会をそれぞれ持っている。私の父はその教会の神官だった。父の教会は正式には八海山心邸敬神教会という。私は小学校に入った年にみそぎの祓≠ニいう祝詞を父からおそわった。父の教会は行事が多かった。元日祭、毎月の星祓、春秋の祭礼といった、晴れの日は私にとっても楽しみだった。何故なら御馳走が食べれて小遣いがもらえるからである。一番の行事は八海山に参拝登山することである。父は自分が死ぬ年まで私をその登山の一行に加えた。父が死んだのは私が小学校六年生の春であった。だからもの心ついた時には八海山の里宮の境内が私にとっては親しい存在となっていた。その参拝登山であるが三日かけて登る。まず第一日目は社務所の神殿で玉串しをそれぞれ捧げ、神楽を舞ってもらい登山の無事を祈る。その後、里宮へ行く。里宮の行場で父や父の弟子の行者さんが水行を行う。夜、食事を済ませると、里宮の神殿でお勤めを行う。そしてその夜は神殿でお籠り。翌朝、つまり二日目は、早く起きて二合目の猿田彦を祭る小さな社まで登る。そこで祝詞を奏上した後、朝食を頂く。それ以後、産び岩、イザナギ、イザナミの石塔、あるいは薬師岳の荒神(あらがみ)といった、ゆかりの場へ祝詞を捧げ、夕方頂上へ着く。夕食後、神の間でお勤めをする。そして就寝。三日日の朝、御来光を仰ぎ、朝食。それから八つ峰がけをし、奥の院へお参り、そして下山。父の死後は兄が父の跡を継ぎ、その兄も死に、今は兄の弟子が教会を守っている。私は家が神道の家だったので國學院大学へ進んだ。大学での一番の収穫といえば、折口信夫博士の著述に触れる機会に恵まれたことである。小説『死者の書』など、身をぞくぞくさせながら読んだものである。それから短い期間であったが、アルバイトで神社奉仕の経験が出来たことである。
 大学を卒業し、高校教師となり、夏休みには時々、八海山に登る。二合目には、亡父と亡母と亡兄の三人の霊神塔があるのでお参りに行くのである。私にとっての墓参りである。私の第二詩集は『八海山』というタイトルである。いわば男巫女の世界が描かれてある。

 わが子は十余になりぬらん 巫してこそ歩くなれ 田子の浦に潮踏むと いかに町人集ふらん正しとて 問ひみ問はずみなぶるらん いとほしや

 『梁塵秘抄』の今様の歌句そのものの人生を私は送って来たといって良い。今後も男巫女の詩の世界を迫ってゆきたいと思う。それにつけても思い出されるのは、能「花月」「自然居士」「弱法師」たちである。何故ならこれら喝食の若者たちは<僧にあらず俗にあらず>であるからである。                  (二〇〇四・三「詩と思想」)

――――――――――

 「別冊 詩歌鑑賞ノート」と題されたエッセイ集で、一は『詩と思想』誌、二・四は主に『サロン・デ・ポエート』誌に発表されたものをまとめていました。ここでは『詩と思想』誌に載せたものを紹介させていただきましたが、著者には
『男巫女』という詩集もあります。どんな詩集かはハイパーリンクを張っておきましたのでご参照ください。
 上述のエッセイでも著者が神官の息子であることが描かれていますが、日本の詩人の経歴としては珍しいものでしょう。私たちは何気なく山に登っていますけど、多くの山が「霊山」であることを改めて思い出させる文章です。



詩誌『回游』29集
kaiyu 29.JPG
2008.4.1 神奈川県相模原市
南川隆雄氏方・回游詩人会発行 非売品

<目次>
◆詩作品
だったらなにさ/中村節子 2        時化の大波に/横山宏子 4
回天記念館/柳原省三 6          時/鈴木珠子 8
八重山諸島の旅/牧 豊子 10        幸せを包む/市川つた 14
赤いポスト/神津歌子 16          記憶/大山久子 18
冬空/吉原君枝 20             心経反芻/江田重信 22
片便り/南川隆雄 24            文明とはなんだろう/臼田登尾留 26
四季(十一)・(十二)/多田f三 28      定年(他)/折山正武 32
こころ満一歳/松本秀三郎 34        肩にマント/富田庸子 36
鶴の飛ばない空の下で/伊藤冬留 38
◆詩集評
寺田美由記詩集『CONTACT 関係』/富田庸子 40
宮島智子詩集『渦』/中村節子 41
山崎 森詩集『石の狂詩曲』/南川隆雄 42
受贈詩誌・詩集 43
あとがき 44                ◆表紙絵 露木恵子



 片便り/南川隆雄

長かった 独り暮らしの晩年には 母は 夜中に手洗いに立つと
居間に坐るあなたをいくども目にしたという。あなたは座卓に
屈み込みじっとしている 話しかけるのを ためらって 手洗い
から戻ると もう姿はない。遠くに住まう家族の者は その話
を痴呆の前兆と受けとった。

夢寐(むび)の名残や幻視でないことを じぶんを測るような
母の冷静な話しぶりが示していた。なにかを覚っていたのだろ
う そのころの母はいつにも増して晴れやかだった。

あなたは最後に残った末子(ばっし)の傍に場所をちょっと借
りて 便りをしたためていたのだ。幾通もの便りを。

身動き不自由になってからも 手紙書くのを 苦にしなかったと
のちに聞いた。忘れ難い一葉のはがき。あなたが焼け跡の仮小
屋から出した便りが 奇跡のように疎開先に届いた。焼け跡ほ
ど安全な所はありません ここには もう 敵機は襲って来ない
から だから一度遊びにいらっしゃい。遠い道のりを訪ねると
仮小屋の辺りからさんまを焼くにおいが流れてきた。桃の若木
のあった庭に 爆弾が落ちて 大きなすり鉢に 水が溜まってい
た。初めて見るうつくしい星空が からだを横たえる小屋の上
にあった。

出した手紙に 返事をくれない 級友への不満を洩らすと それ
は片便りだから 返事のことを 忘れるのがよい とあなたは教
えてくれた。

仏会(ぶつえ)抜け出て末子の住まう居間の座卓をちょっと借
り さまざまな人に 便りをつづる。差出人は 宛先を順次忘れ
受取りびとは胸の文箱にそれを入れて 口にはしない。片便り
を書きつづける この世にあなたを知る人がいるかぎり。

 「出した手紙に返事をくれない」のを「片便り」と言うようです。それを「この世にあなたを知る人がいるかぎり」「片便りを書きつづける」と収束させた最終連は見事です。ここでの「差出人」は「母」と思ってよいでしょうが、「宛先を順次忘れ」というところには本来、無残さがつきまとうように思いますけど、それは微塵も感じさせません。「遠くに住まう家族の者は その話を痴呆の前兆と受けとった」ものの「なにかを覚っていたのだろう そのころの母はいつにも増して晴れやかだった」という思いがあるからなのでしょう。作者の文章力の不思議な強さも感じさせる作品です。



   
前の頁  次の頁

   back(5月の部屋へ戻る)

   
home