きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.8.28 松島




2008.9.10(水)


 西さがみ文芸愛好会で発行する『文芸作品に描かれた西さがみ』の写真撮影を行いました。代表者宅での撮影は先週に引き続いて2回目。明治・大正・昭和の風俗などを古い写真や本から接写。本からの撮影は、もちろん許可を得たものです。
 午後からは、そういう方法では入手できない写真の、現地撮影に出向きました。本作りのコアメンバー、おぢさま達4人が私の狭いクルマに乗り込んで、小田原市内のお寺や町並みを撮りながら移動しました。本に載せることをイメージしながら撮るわけですけど、これは勉強になりましたね。おぢさま方からアングルを指示されながら撮っていると、気分はいっぱしのカメラマンです(^^;

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 上の写真は、皆さんと別れて、帰宅途中に私ひとりで撮ったものです。キャプションは「南足柄市・グリーンヒルからの眺め」にしようと思っています。ここにお住まいの芥川賞作家の作品にちなんだもので、ほとんど真東を撮っています。「グリーンヒル」というのは高級住宅地で、本当は麓から西北を狙って、林に点在する洒落た家屋を撮りたいと思っていたのですが、午後4時近くになりましたから逆光になってしまいます。そこで住宅地の最も高い所まで行って、逆から撮ったというもの。中央の町並みは足柄平野で、南足柄市・開成町・中井町・大井町・小田原市などが見えています。山裾を右に辿ると相模灘。
 こうやって改めて見ると、海あり山あり平野あり、おまけにこのグリーンヒルの裏手は箱根外輪山で、そこには温泉もあるという恵まれた地域だなと思います。そんな雰囲気が、本を手に取ってもらって伝わるといいなと思っています。この秋発売、乞ご期待!



詩と散文『モーアシビ』14号
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2008.7.20 東京都世田谷区 白鳥信也氏発行 500円

<目次>
散文
石売る人々、石買う物好き・・・仏サン・マリーミネラルショー/呉生さとこ 2
テレビ爺さん/本多橋二 12         JRの火災について報各させて下さい/川上亜紀 18
風船乗りの汗汗歌日記 その13/大橋 弘 34 失われた言葉を求めて その3/福田純子 39

ひと粒の雨とブドウの実(写真&詩)/北爪満喜 51
振替乗車/五十嵐倫子 56          ハッカの味/辻 和人 64
境界線/ブリングル 70           俺は叫び、そして結ぶ/浅井拓也 74
晒すなら今/泥3C(デイドロ・ドロシー) 78  かの名高き者たちの旅/白鳥信也 82
翻訳
月蝕 10/グラジミール・テンドリャコーフ/内山昭一訳 88
カット:市川史子



 失われた言葉を求めて その3/福田純子

 [前回までのあらすじ・「化学物質過敏症」に「電磁波過敏症」を併発して重症化した私は、電磁波の飛び交う首都圏にいることが不可能となり、夫に付き添われて福島県の山の中、「圏外」にある温泉宿までやってきます。到着して最初の記憶は化学物質臭が一番しない部屋を選んだこと、その後は記憶が飛んで、夫と二人で温泉付属の遊歩道にいるのでした。中国拳法の練習を続ける夫のそばでただ蹲っている私でしたが……。]

   ***

 その日のうちに私たちはその後三ヶ月ほどの間親戚でもこう密には接触しないであろうと思うほどに毎日顔を合わせることになる二人の人物と話すことになるのですが、遊歩道からどうやって降りたのか、降りたあとすぐに夕食をとったのか、それともお風呂に入ってからだったのか、それもまったく覚えていないのです、ただ、初めて食堂に入った瞬間、中の空気には幸いなことに特に強い化学物質臭が感じられず、ゆったりとした空間に点在する客席のあちこちに一瞬ずつ座って様子を見てみても、一番奥の方の客席いくつかでは体にびりびりと走る強い電磁波を感じたものの他の場所には脅威を感じるほどの刺激はなく、そう身構えずに座っていることが可能なようでほっとしたのを覚えています。
 山奥に忽然と現れた妙に豪華で瀟洒な建物でありましたが食堂もまた妙にお洒落、全体はちょうど広げた扇の面のような形をしていて天井は吹き抜けになっており、扇のすぼまった方の奥に厨房、広がった方は全面がガラス張りで左手には半円形をした建物の左翼が見え、ゆるい弧を描いた建物に抱かれた中庭に手入れの行き届いた芝生が青々と繁る向こうに、おにぎりの形をした小さな山がこちらを見守るように鎮座しているのでした。
 電磁波の攻撃が一番弱いテーブルを空いている客席の中から一つ選んで座ると眩いほどの照明は全く辛く感じられず、運ばれてくるのは一体どんな高級料亭かと思うような贅を尽くした日本料理の数々、突き出しから始まってお刺身、煮物、焼き物、揚げ物、しかも素材が凝りに凝っていて、一つの椀の中に収められた幾つかの素材のハーモニーがまた予想外であると同時に完璧な調和を保っており、見事と言うより他ないのです。こんな山奥で、と言っては失礼なのですが、しかし本当に、二時間に一本しか出ていない電車で水戸から二時間乗って、人家のほとんど見えない山の中をタクシーで更に三十分入ったところでお目にかかるとはおよそ想像できないような洗練の極み。
 大体こんな新鮮なお刺身、どこからどうやって運んでくるのでしょうか? うすーくうすーく削ぐようにして切られたお刺身は高価なので滅多に買ったこともない平目やフグ、薬味には糸のように細いアサツキのみじん切りが紅葉大根の上にそっと添えられています。
 と、ここで私はどうやら、食欲というものを回復していたらしいことがわかります。というのも、電磁波を逃れて首都圏を離れるなどという考えに夫が同意してくれるようになったのも、そもそもは私が「食べる」ということに全く興味を示さなくなった、そこに夫が事態の深刻さを感じ取った、という背景があったのでした。

   ***

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 福田純子さんの体験記「矢われた言葉を求めて その3」の冒頭を紹介してみましたが、その1は詩とエッセイ誌
『部分』35号に、その2は『モーアシビ』13号に書かれています。偶然、勧められて訪れた〈山奥に忽然と現れた妙に豪華で瀟洒な建物〉に滞在することで症状は軽減していきます。今号では、この後に、ここに至るまでの千葉県や神奈川県での生活が描かれていて、いかに〈化学物質過敏症〉〈電磁波過敏症〉に苦しんだかが分かります。そのために年に二度も引っ越しをしているのです。ここではその部分を割愛しますが、機会のある方は読んでみてください。
 その1とその2の最後は未完となっていました。しかし、今号では初めて〈続く〉となっています。しばらく『モーアシビ』誌で書き続けるのかもしれません。楽しみです。



季刊詩誌『詩話』63号
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2008.9.5 神奈川県海老名市
林壌氏方・第三次詩話の会発行 非売品

<目次>
詩  鳥かごの中/林 壌 1        遠雷の夜/両角道子2
   夏日/小山 弓 8
童話 ゆめぎんこう/増子敏則 4
エッセイ 二編 小山 弓・両角道子 10   題字 遠藤香葉



 鳥かごの中/林 壌

高原の小さな美術館に入ると
小鳥たちの囀る声が聞こえてくる
ここは画家のアトリエだったのだが
画家が亡くなったあと美術館になって
その作品が並べられている

白い塀に囲まれて中庭がある
その芝生は青空の色を吸って
静かな緑の呼吸をしている
真ん中に椎の樹が立っていて
鉄製の鳥かごが吊り下がっていた
鳥は居ない
重い鳥かごは風が吹いても揺れることなく
錆びた色の空気を抱いたまま吊り下がっていた

飼われていた鳥はどこに逃げていったのか
画家が亡くなると間もなく
開いたかごの口から
鳥はしばし戸惑ったあと
青い空と風に誘われて
飛び立ってしまったのか

館員に尋ねてみると
テーブルの上に注文のコーヒを置いてから
鳥かごはずっと空
(から)でした≠ニいう
苦いコーヒの味に顔をしかめて空を見上げると
青空に白い雪がゆったりと浮かんでいた
館内からまた鳥の鳴き声が響いてくるのだった

 〈高原の小さな美術館〉の〈鳥は居ない〉〈鉄製の鳥かご〉。〈小鳥たちの囀る声〉は、そこから〈飛び立ってしまった〉鳥たちのものかと作中人物は考えたのかもしれません。しかし〈鳥かごはずっと空でした〉と〈館員〉は答えます。作中人物の思惑と違ったことが〈苦いコーヒの味に顔をしかめて〉という詩語に出ているように思います。
 それはそれとして、第2連の〈その芝生は青空の色を吸って/静かな緑の呼吸をしている〉というフレーズには魅了されました。〈緑の呼吸〉という詩語をどこかで遣ってみたくなりました。



詩とエッセイ『沙漠』252号
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2008.9.10 福岡県行橋市
沙漠詩人集団事務局・麻生久氏発行 300円

<目次>
      ■詩
  原田暎子 3 もういらない        中原歓子 4 老友
柳生じゅん子 4 帰郷(1)          平田真寿 6 MARIETAによせて
  坪井勝男 7 情景           椎名美知子 8 花壇
  福田良子 8 世界の片隅で       おだじろう 10 ぴーぽー
  坂本梧朗 11 ゆとり教育         秋田文子 12 なにげなさ
  山田照子 13 春の宵           河上 鴨 14 苦い過去
  藤川裕子 16 翌檜            藤川裕子 16 木の椅子
  宍戸節子 17 祭りの綿菓子       千々和久幸 19 本の頁は開いたまま
  柴田康弘 21 五月雨の坂道にて      河野正彦 22 もしも あの時…
  麻生 久 23 歌曲を深夜に
      ■エッセイ
  河野正彦 24 詩人の姿勢を問う…     植田 実 26 文学館で再発見
  中原歓子 28 原田暎子詩集「月子」を読んで
  麻生 久 29 事務局日誌(平成二〇年前半) 表紙写真・カット祝詞より 麻生 久



 情景/坪井勝男

がらんとした車内を蜂が飛び回っている
盛んに窓に小当たりをはじめる

蜂の錯乱が伝わってくる
下窓を開けてみた
「出口はその一握りほど下だ」
誘導してみたが 通じない
同じ窓に固執するのは彼らの習性なのだろう

何度となく弾き返されている硝子窓
とう とう
彼は
空中で 大きく間合いをとりはじめた
あの硝子板を突破するつもりなのか

ぽとり

軟体の潰れる音を聞いたような気がする

どこか見覚えのある情景だ
思いを巡らしてみる

それは
まるで
今から まだ一世紀にも満たないあの頃の
われわれのかなしい戯画のようだ

 最終連を読むまでは〈蜂〉の話だと思い、可哀想になどと思っていました。しかし、最終連で〈今から まだ一世紀にも満たないあの頃の〉というフレーズを読んだ途端、身体に電流が走るような感覚に襲われました。もちろん63年前の敗戦の日を想起してです。戦後生まれの私には直接の経験がありませんけど、民族の記憶として身体に沁み付いているのでしょう。〈大きく間合いをとりはじめ〉て〈突破するつもり〉で突き進んだ私たちの父親の世代。〈ぽとり〉と〈軟体の潰れる音〉を残して消えた男たち。それはまさに〈錯乱〉であり〈かなしい戯画のよう〉だったのでしょう。〈がらんとした車内を蜂が飛び回っている〉というだけで〈どこか見覚えのある情景〉を表出させた佳品だと思いました。



   
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