きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.6.11 掛川・加茂花菖蒲園 |
2009.7.24(金)
特に外出予定のない日。終日いただいた本を拝読して過ごしました。
○新・日本現代詩文庫66『日塔聰詩集』 |
2009.7.18 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税 |
<目次>
詩集『鶴の舞』全篇
鶴の舞−サロルン リムセ・8 T ソネット 一−三五・9
U 哀歌 一−一〇・34
『日塔聰詩集−鶴の舞・鶴の舞以後抄』より
鶴の舞以後抄 散文による十二篇・46 嘔吐・46
山の祭り・47 薬剤・48
流氷・49 流氷の蔭・51
シバレ・52 贋の空・53
禽獣・54 葬式・56
早春・57 メタフィジック・59
冬の星・60 あとがき・61
「四季」詩篇
初冬・63 王陵・63
公魚(わかさぎ)・64. 築地・65
壁・65 祈祷・66
山に童子が目覺める・67 山頂・67
夕映え・68 早春・69
曲つた道・69
拾遺詩篇
灯のうた・70 雪の日のうた・71
海の匂いのうた・73 札幌戯曲V・74
札幌夕景・77 海明け・78
雪まつり・79 その男・80
オホーツク海・81 観光道路・82
絵はがき・84 原野・85
お花畠・86 野火の記憶・87
エッセイ
更科源蔵詩集「白夜」・90 丸山薫断想・92
津村信夫の山国・98 津村さんの死・102
カトリック詩人の一つの例証−野村英夫小論−・105 竹村さん回想・113
『北辺のゴールドラッシュ』抄
採金の北漸・117
解説
木津川昭夫 日塔聰と詩集『鶴の舞』・128 安達 徹 直線定木二本の恋・133
布川 鴇 無名性を希求した詩人・日塔聰・138
年譜・147
T ソネット
三
雪はまた雪の上に 音もなく 形もなく
降り積んでゆく きらめいていた家々の窓
またその奥の瞳たち それらどれもこれもみんな
雪をうつして いまは同じやさしい水色……
欲望の炬火もいつしか色褪せてしまい
あゝ いまはすべて慕わしい未知の像たち
つぎつぎに地上の名は消え 私は私自身を忘れ
こうして やがて 人々は世界をしずかに触知する
あゝ いつか私の生涯のうたが閉じられるとき
遠い雪の山巓が夕日の最後の一滴を吐き出す
そのような極みのときが 私に訪れるなら
そのとき 私の名を誰ひとり思い出すことのないように!
そして(神よ 願わくば)それはただ天の光と地の花々の間で
未知の人々がそれとなく口ずさむ風のようなうた……
おそらく日塔聰(にっとう・さとし)という詩人の名を知る人は少ないでしょう。1919年に山形県に生まれ、1982年札幌で没しています。しかしその功績は大きく、『四季』の編集に携わり、1942年には「萩原朔太郎追悼号」を中心的に編集しています。また、28歳で夭逝した日塔貞子の夫君として、遺稿詩集『私の墓は』を刊行しました。この詩集の再版本は拙HPでも紹介していますので、よろしかったら
こちら をご参照ください。
生前に上梓した自分の詩集は『鶴の舞』だけで、没後3年目に仲間たちによって『日塔聰詩集−鶴の舞・鶴の舞以後抄』が刊行されていることから、慕われた詩人だったことが判ります。ここでは『鶴の舞』の「T ソネット」から「三」を紹介してみました。〈そのとき 私の名を誰ひとり思い出すことのないように!〉というフレーズからは、無名性を願った本来の詩人らしい詩人の姿が浮かび上がってきます。しかし、その自分の死について〈遠い雪の山巓が夕日の最後の一滴を吐き出す/そのような極み〉と表出させるところにこの詩人の矜持をもまた感じます。本文庫は知られざる詩人を世に知らしめた好著と云えましょう。
○詩誌『環』133号 |
2009.7.23 名古屋市守山区 若山紀子氏方・「環」の会発行 500円 |
<目次>
若山 紀子 ねこふんじゃった 2 神谷 鮎美 ひく 5
安井さとし 篠島 7 高梨由利江 口をあけて眠る 10
加藤 栄子 傘差し日和 12 菱田ゑつ子 七段花の咲いて 14
鈴木 哲雄 言わなかった 16
<かふえてらす> 20
菱田ゑつ子 東山かつこ 加藤 栄子 安井さとし 神谷 鮎美
<あとがき>
若山 紀子 24 表紙絵 上杉孝行
○個人誌『風都市』20号 |
2009夏 岡山県倉敷市 瀬崎祐氏 発行非売品 |
<目次>
水の場所・歩・・・・・・・瀬崎 祐
赤い毬(まり)・・・・・・・・中堂けいこ
訪問販売人は既視感を語る・瀬崎 祐
写真・装丁・挿画 磯村宇根瀬