きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2010.1.13 静岡県函南町・丹那断層




2010.2.14(日)


 午後から横浜・桜木町のブリーズベイホテルで横浜詩人会の総会・新年会が開催されました。総会はともかく、2月になってから新年会とはなぁ、と以前から思っていたのですが、今日はその由来が話されました。半世紀前の創立当初、当時の主だった人たちが、1月は新年会続きでみんな忙しいから、横浜詩人会は2月にしよう!と決めたんだそうです。その先輩たちの遺志を今も守り続けているとのことでした。なるほど、たしかに。私も現職時代は忘年会、新年会が続いてシンドイ思いをしたことがありました。そういう事情をくみ取った先輩の配慮だったわけですね。

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 総会は大きな問題もなく終了。続く新年会も例年通りの福引で賑やかでした。写真は新入会員の紹介と挨拶。この1年で10人近くの人が入ったようです。参加者は50人ほど。130人ほどの組織ですから、この出席率は高いと思います。

 2次会は野毛の叶屋。3次会は以前から約束していたR氏と「ひとり酒」という店に行きました。R氏は先月深夜、「ひとり酒」を出ての帰宅途中でクルマに撥ねられたとかで松葉杖姿で驚きました。数メートル飛ばされたというのですから、大変な事故だったわけですけど、その割には元気で、やっぱり若いのかもしれません。本人はもう50のオヂンだと言ってましたけど、50ではまだまだ老化なんか実感できないでしょう。60の私でさえ実感ないんだから(^^; ま、酔って歩くときはお気をつけください。
 久しぶりにカラオケも楽しみました。野毛近辺を8時間ほどウロウロしていたことになりますが、やっぱり野毛は気さくで良い街だなと思います。遅くまでつき合ってくれたRさん、ありがとうございました。怪我が治ったらまた呑みましょう!




坂井信夫氏詩集『影のサーカス』
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2010.2.25 川崎市川崎区 漉林書房刊 2000円+税

<目次>
1 2    2 4    3 6    4 8    5 10    6 12
7 14    8 16    9 18    10 20    11 22    12 24
13 26    14 28    15 30    16 32    17 34    18 36
19 38    20 40    21 42    22 46    23 48    24 50
25 52    26 54    27 56    28 60    29 62    30 64
31 66    32 68    33 70
初出一覧 72 著作 73   略年譜 74  あとがき 75




 


 一九四五年――というよりも昭和二〇年といったほうが、この国
では分かりやすいかもしれない。八月一五日、ようやく敗戦。いや、
これも人びとにとっては終戦として感じられたであろう。いずれに
せよ焦土と化した首都において小さなサーカスが出現したことは、
まったく知られていない。民衆が、これからどうやって生きてゆく
か、食べていこうかという時代にサーカスでもあるまい、と思った
者もいるだろう。だが、この集団はちがっていた。人びとに愉しみ
や歓びを与えるために創られたものではない。むしろ烈しい不安を
もたらすために結成されたものだ。あれほどの戦禍をくぐりぬけた
者たちに、さらに絶望を――という団長の意思はゆるがなかった。
ところで、この団長とは何者か? それは、しだいに明らかになっ
てくるであろう。さて上野動物園では、B29による爆撃がはげしく
なってくると猛獣たちの逃走をおそれて薬殺もしくは餓死を企てざ
るをえなくなった。よく知られているように、かれらは毒のはいっ
た餌をすぐさま嗅ぎわけたため、その多くは悲しげに叫びをあげな
がら飢死していった。けれど一匹だけ、奇蹟的に生きのびた巨大な
烏蛇
(カラスヘビ)がいた。かれは数か月、いや一年のあいだ食べなくても生存で
きた。体熱の消耗をふせぐために、じっととぐろを巻いてうずくま
っていた。かの団長は敗戦まぎわに園の係から密かにその烏蛇をゆ
ずりうけていた。錆びついた檻に入れられたまま、あつい夏の夜に
かれは上野を脱出し、横浜のとある倉庫に移された。団長は、この
蛇を中核として焼け跡に天幕を張ろうと思った。視えないサーカス
のはじまりである。……その夏、天皇は民衆にむかい、はじめて声
を発した。

 詩と批評誌『操車場』などで断片的に拝読していた連載「影のサーカス」が1冊の本としてまとまりました。とりあえず“詩集”として紹介しましたが、33章まである1編の詩です。物語として読むこともできますけれど、私は詩であると思っています。ここでは冒頭の「1」を紹介してみました。時代は敗戦直後の横浜・東京。〈烈しい不安をもたらすために結成された〉〈サーカス〉の〈団長〉は、戦争を生き残った数人の少年たちを集めて、ある計画を実行します。その計画とは何か。それは〈あれほどの戦禍をくぐりぬけた者たちに、さらに絶望〉を与えるものであるわけですが、これは戦争直後の日本の話ではありません。21世紀の現在につながる辛辣な視点です。どうぞ入手して読んでみてください。
 なお、本著の
「25」「33」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせてご鑑賞ください。それでアウトラインは分かるかもしれませんが、本著の素晴らしさは細部にあります。お薦めの1冊です。




川柳作家全集『堀井勉』
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2009.12.22 大阪市東成区 新葉館出版刊
1000円+税

<目次>
第一章 意気軒昂(1959年〜1976年 昭和34年〜昭和51年) 5
第二章 千変万化(1977年〜1996年 昭和52年〜平成8年) 49
第三章 年年歳歳(1997年〜2009年 平成9年〜平成21年) 91
あとがき 125




遠足を乗せてガイドも子にかえり

授業まだ子等遠足を眼に残し

天も地も笑って巣立つ子を送り

童心が紙をはみ出す写生会

高座から楽屋に消えて行く真顔

かたまってひよこ露店の風に耐え

 神奈川新聞の柳壇で選者を務める著者の選句集です。川柳を始めたこの50年の第一、第二句集からの抜粋や柳誌に発表したものを選んだそうです。紹介した句は「第一章 意気軒昂」からのもので、教師時代の句と推測されます。〈授業まだ子等遠足を眼に残し〉は、遠足の余韻が覚めない教室で、授業ができない状態なのでしょう、微笑ましい句です。〈童心が紙をはみ出す写生会〉も子どもの姿を生き生きと捉えていると思います。〈高座から楽屋に消えて行く真顔〉は落語家の一瞬を鋭く見ています。
 川柳は門外漢ですが、愉しませていただきました。現代詩に通じるものも多く、参考になります。切り口の鮮やかさは見習いたいものです。




詩誌『カラ』8号
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2010.2.10 東京都国立市 松原牧子氏発行 400円

<目次>
インタビュー・ウィズ・バンパネラバンテージ/外山功雄
短歌 監獄/鳴海 宥
solstice/高山いずみ
テンペスタ/小林弘明
短歌 野のクローバー/中川佐和子
猫もんどう/佐伯多美子
消えゆく元旦/松原牧子




 
猫もんどう/佐伯多美子

ねぇ あっち側に行ってみたいと思わない?
あっち側って 透明な時間なんですってよ
(耳の奥で水がながれる さらさらさら

首のないわたしがこれも首のない雄猫に話かけている
雄猫は去勢されてキンタマも 無い
首もキンタマも無い猫が猫であることは
長いみごとな尻尾と尖った爪をもつ敏捷さだ

ほんとはねぇ
わたし あっち側に行った気がしているの
透明な時間って ずっと透けて見えるのだけど
過去が無いの 未来も 現在も 無い
わたしもいなかったし あらふしぎ 猫がいた

まぁ いいさ 猫は応じる
透明な時間は俺のからだのなかにも ある
首と交換条件だった

(耳の奥で水の影がゆれる ゆらりゆらゆらゆら
それから少しずつ時計の針がずれはじめた

あっち側になんで猫?
猫は人ではないから 人殺しをしたことが無い
わたしはいなかったのだけれど行った気がして
無い時が行く
在ることが疎ましいくらい 在る 無い時など一瞬も無い
昼にピザトースト食べたし 腹もへるし喉も渇く
気づこうとしないだけだろう 蓋をして

(からだの奥に耳がしずむ
さ ら さらさ らさ ら さら さ らさら さら
ゆ ら りゆら ゆら ゆ らゆ ら ゆらゆら

再行くときは大騒ぎすると思うよ 迷惑いっぱいかけて
すがって泣いて寒い冷たい熱い痛い寂しいたすけてくれ
たすけてくれ

それから雄猫は尻尾の先を時計回りに一回くるっと回した

 〈ねぇ あっち側に行ってみたいと思わない?〉と〈首のないわたしがこれも首のない雄猫に話かけている〉のは、彼岸から此岸を見ているからかもしれません。〈あっち側〉は〈過去が無いの 未来も 現在も 無い〉というのですから、あるいは逆かも…。あるいは双方を行ったり来たりしているとも考えられます。〈首もキンタマも無い〉というのは、〈去勢され〉た私たちの喩であるのでしょう。〈首と交換条件〉に手に入れたものは、〈寒い冷たい熱い痛い寂しい〉ものからの逃避と受け止めています。〈猫もんどう〉は実は人間の生き方の問答だろうかと考えさせられた作品です。






   
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