きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2010.4.9 山梨 中村キース・ヘリング美術館 |
2010.5.27(木)
OB会2日目。特にどこかに行くという計画もなかったので、ホテルを出るとそのまま帰宅しました。午前中に家に着きました。何人かは喫茶店に行くと言っていましたけど、私はパスさせてもらいました。いただいた本がどっさり溜まっていて、それを読みたかったのです。OBの皆さん、ごめんなさい。でも、楽しかったですよ!
○西森美智子氏詩集 『歌はどこから聞こえてくるの』 |
2010.5.15 大阪府箕面市 詩画工房刊 2000円+税 |
<目次>
T
宇宙から
誕生 10 かたち 12 哲学の時間 14
夕暮れどき 16 うずまき 20 告白 22
椅子に座る女 24 らせんの夢 26 水を 28
綱渡り 30 月明かり 32 朝 34
U
世界から
身悶え知らず 38 無関心の岸から 42 善意の豚饅 46
坂のある街 50 そいつにオレンジを 54 三軒家にて 58
幸福 62 木津川 66 安全の為の危険について 70
追われたもの 74 谷町筋 78 あの娘 82
V
心から
うふふ 86 言い訳 88 騒がしい私 92
矢印 94 花火 98 昨日の町 100
見ないで下さい 104. 雨の日 106. 幸運 110
夜の中 112. 山の向こう 116. 子供 120
あとがき 122
装画 内屋敷直子
うずまき
やることが無いものだから
昼まで布団に潜って
ぼんやりと考える
お金のことや
つまらない責任から
離れた子供になって
空っぽの体を
ゆしゆし揺さぶってみる
なんで銀行があるのかわからない
政治家の行う政治がわからない
株価がなんで上がったり下がったりするのかわからない
どうして戦争が起こるのかわからない
子供の頃に感じたことは正しくて
大人になったらそれを納得するだけ
思えば
人生は一直線に突き進むのではなく
少し違うところを回り続ける
うずまきのよう
どんどん内に入るか
どんどん外に出るか
同じ景色を何度も見ながら
銀河の渦のはじっこで
ひどく退屈
第1詩集です。ご出版おめでとうございます。詩集タイトルの「歌はどこから聞こえてくるの」という自問に対して、各章のタイトル「T 宇宙から」「U 世界から」「V 心から」と自答していると思ってよいでしょう。ここでは「T 宇宙から」の「うずまき」を紹介してみました。第3連の〈子供の頃に感じたことは正しくて/大人になったらそれを納得するだけ〉というフレーズに新鮮さを感じます。〈うずまき〉を〈銀河の渦〉まで拡大したことも良いと思います。
本詩集で最後に置かれた作品「子供」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせてご鑑賞ください。今後のご活躍を祈念しています。
○小野田潮氏詩集 『いつの日か鳥の影のように』 |
2010.5.20 岡山県瀬戸内市 私家版 非売品 |
<目次>
旅の途上で 8 たとえば「青い空」 12
新鮮な光景を過ぎながら 16 いつの日か鳥の影のように 20
終わるのはわたしである 22 コロセウム 24
かげろうのたつ炎天の街 28
はげしく成長していく自分に畏れを感じた日 32 火の男 36
「きれいなひと」 38 晩鐘 40
分水嶺 42 夜想曲 44
詩集「年輪」を読む 48 密集した花片の先端がふるえ 50
三月の線上に立っている 52 蝶 54
黙された伝言 56 蜂とあじさいのあいだには 60
つばめ 62 遠くからの声 64
若葉が波打ちながら押しよせてくる 66 うろこ雲のひろがる秋の日の午後 68
老人たちは徐々に幼児にかえっていく 70 冬の僧 72
青すぎる青の暗さをかかえて 74 夜が少年の肉体を叩く 76
手 78 ジグソーパズル 82
変身 84 銅版画のための構図 86
水の森 88 わたしはいつも庭から変化しはじめる 92
あとがきに代えて 94
いつの日か鳥の影のように
都市はゆっくりと呼吸する
黒いコートを着た女が先を歩いていく
氷雨が降っている
石畳が濡れてひかる
妻がなにを考えているのかわからない
この街に住んで
娘がなにを見たのかわからない
まして他人の想念などはかりようがない
ときおりミストラルがはげしく吹きすぎると
街路に吹きだまった枯葉がまいあがる
きょうが二十一世紀がはじまる年の元旦
百年前の元旦も
わたしに似た男がこの通りを歩いて
茶褐色の屋根の下に姿を消したはずだ
謎はわたしのなかにある
波頭をたてて流れていくローヌ川
紫煙のこもるキャッフェに座り
コーヒーを注文する
夫婦や親子のふりをしながら
リヨンの街はやさしい
公園の花屋は
いつの日か鳥の影のように
旅のとびらを閉めるだろう
単独の詩集としては11年ぶりの5冊目になるようです。ここではタイトルポエムを紹介してみました。〈リヨンの街〉でのことのようですが、〈謎はわたしのなかにある〉という詩語が佳いですね。最後の〈公園の花屋は/いつの日か鳥の影のように/旅のとびらを閉めるだろう〉というフレーズも美しく決まったと思います。
本詩集中の「終わるのはわたしである」という作品はすでに拙HPで紹介しています。初出のタイトルは「惜日」でした。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて小野田潮詩の世界をご鑑賞ください。
○季刊詩誌『新怪魚』115号 |
2010.4.1
和歌山県和歌山市 くりす氏方・新怪魚の会発行 500円 |
<目次>
上田 清(2)早春のひかり 佐々木佳容子(4)おいてけぼり
今 猿人(6)「泣く女」 今 猿人(7)「母」
前河正子(8)十二月の空 細川治男(10)予兆
細川治男(11)二月 岡本光明(12)空白の時間
くりすたきじ(14)陽だまり 五十嵐節子(16)黄花忌
北川りら(18)人魚姫 北山りら(21)風鈴
中川たつ子(22)黄昏月 桃谷延子(23)暗い海
エッセイ(25)山田 博
編集後記 装丁/くりすたきじ
陽だまり/くりすたきじ
ゆうちゃんは無口な転校生だった
四年生の春に、ぼくのクラスにやってきた
ゆうちゃんとぼくはなぜか気があって、放課後はいつも一緒にあそんだ
がっこうは友だちできへんからきらいや。
そういってときどき、学校にこなかったけれど
ゆうちゃんがやすんだ日も
ゆうちゃんの給食はあった
わたしてあげてね。
先生はいつもないしょで
給食のコッペパンと、マーガリンをくれた
ゆうちゃんはいつもひとりで家にいた
ぼく、いらんのにぃ。
はずかしそうにコッペパンをうけとると
半分にちぎってぼくにくれた
そうして、陽だまりみたいなゆうちゃんの家で
まんがを読むのが好きだった
夏休みがおわって、もうすぐ運動会だった
ゆうちゃんは今日も学校にこなかった
給食のコッペパンをランドセルに入れて
ゆうちゃんの家まで走っていった
ドアには鍵がかかっていてだれもいないみたいだった
ランドセルのなかにはもう、みっつもコッペパンがたまっている
ちゃんとごはん食べてるのかなぁ。
つぎの日から、ゆうちゃんの給食がなくなった
ゆうちゃんのいない家のまえを走って帰った
ランドセルのなかのコッペパン
走るとカタン、カタンって、泣いたけど
だれにもいえなかった
〈コッペパンと、マーガリン〉、なつかしいですね。いまから半世紀近く前の小学生の姿です。いつの間にかいなくなった〈無口な転校生〉もいたし、私自身がその転校生でした。〈泣いた〉のは〈ランドセルのなかのコッペパン〉ですが、もちろん〈ぼく〉でもあるわけです。「陽だまり」というタイトルが生きている作品だと思いました。