きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.12
宮崎「西都原古墳群」にて
 

2005.7.2(土)

 日本詩人クラブ初の「オンライン現代詩研究会」を7月2日午前10時〜午後6時の予定で実施しました。
作品はすでに2日の午前2時から寄せられ、予定の午後6時を越えて8時近くまで続きました。寄せられた作品は3編、発言者は9名、発言数17件。今回は最初ということでクローズドにして、10数名の会員(一部会員外含む)に対してEメールでの試行でしたが、特に大きな問題もなく終了しました。本当はメーリングリストでやりたかったのですが、うまく機能してくれていません。やむなくEメールで、となった次第です。

 神楽坂のエミールにパソコンを持ち込んで、沖縄国際大学と繋ぎながらプロジェクターに内容を映して、というのは何度かやったのですが、それぞれが自宅で、というのは初めてです。ま、世の中では当り前のことなので取り立てて威張るほどのことではありませんが(^^; 。エミールに出かける手間がなくて、その点は楽でしたね。次回は9月に予定していますので、それまでにメーリングリストを立ち上げておかなくては…。日本詩人クラブの会員でEメールをお持ちの方には、近くなったら案内を差し上げますので、その節はよろしくお願いいたします。




『関西詩人協会会報』38号
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2005.7.1
大阪府交野市
事務局・金堀則夫氏 会長・杉山平一氏 発行
非売品
 

  <目次>
   文学館ツアー・関西詩人協会賞 1
   杉山平一氏(読売新聞より) 2
   現代詩平和賞 2
   詩で遊ぼう会・運営委員会 3
   会員の活動・イベント 4



    旗    杉山平一

    つきつめたやうな顔をしてあるいて
   ゐる高等学校の生徒のマントを見るた
   びに 私は涙のでるやうななつかしさ
   をおぼえる 私がその時分をすごした
   のは 裏日本のみづうみに沿つたちひ
   さな古風な街であつた 秋から冬にか
   けて よくみづうみをわたつてくる夜
   霧に 街はすつぽり包まれてしまつた
    あの白い霧に黒マントを翻へしなが
   ら 憑かれたやうに足早に あゝいく
   たびか夜つぴて 私はあるき廻つたこ
   とであらう それは寄宿舎の廊下にと
   もる燈のやうな若年の孤独と寂蓼を揚
   げてはためいてゐる 黒い旗であつた
    あゝいまそれらの旗は 激しい時代
   の風にどのやうな音たてゝ鳴つてゐる
   のであらう

 紹介した作品は松江市白潟公園に建てられた詩碑の文面です。杉山さんは旧制松江高校出身で、現在91歳。1943年に出版した第一詩集『夜学生』に収められている詩で、28歳のときの作品だそうです。青春の初々しさが滲み出た作品と云えましょう。
 松江には高校時代の3年間しか住まなかったそうですが、高校の後輩が資金集めをして、数ヶ月で集まったそうです。杉山さんのお姿は遠くから拝顔するばかりで、お話したことなどありませんが、そのお人柄は遠くからでも察せられます。後輩、と云っても80歳を過ぎている方たちのようですが、慕われている様子が誌面から伝わってきました。




館報『詩歌の森』44号
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2005.7.1
岩手県北上市
日本現代詩歌文学館 発行
非売品
 

  <目次>
   沙漠の旅 鷹羽狩行 1
   文学館活動時評11 響き合うもの 橋場あや 2
   詩との出会い11 丞相病篤かりき 大口玲子 2
   連載 現代のこどもの短歌4 −のびのびとした言葉を 池田はるみ 3
   連載 現代詩時評2 詩と文明を巡って 尾花仙朔 4
   資料情報 5
   詩歌関係の文学賞 5
   第20回詩歌文学館賞贈呈式 6
   日本現代詩歌文学館振興会 7
   後記 7



    冬の日にきれいな花火うちあげてさみしい友に明りをつける
                        小六 遠藤万貴

    忘れない平和を誓って飛び去った知覧の空に帰ったホタル
                        中三 丸太恵子

 毎号楽しみにしていた歌人・池田はるみ氏の「連載 現代のこどもの短歌」は今回で終了だそうです。残念。掲載されていた短歌も2編しかありませんでした。でも、2編とも佳いですね。遠藤さんの作品は「さみしい友」が生きており、「きれいな花火」と「明りをつける」という言葉が見事にマッチしていると思います。丸太さんの作品は「ホタル」の使い方が素晴らしい。
 また機会があったら、子どもの短歌に触れてみたいものです。




詩と評論・隔月刊誌『漉林』126号
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2005.8.1
東京都足立区
漉林書房・田川紀久雄氏 発行
800円+税
 

  <目次>
   【詩作品】
   数字によるコラージュ・惑星……池山吉彬 4
   小特集 高橋馨 詩的作品集
    「永久運動について」ほか七篇の作品  7
   蝉の声・竜神奇譚…………………卜部昭二 38
   三題…………………………………遠丸 立 40
   浜川崎……………………………坂井のぶこ 42
   <日常> ヘ ――7…………………坂井信夫 44
   染……………………………………野間明子 46
   かなしくて………………………田川紀久雄 48
   黄色………………………………須藤美智子 50
   愛するということ…………………時野慶子 54
   麻生知子詩集『つうのための断章』(全) 58
   【短歌】
   いざさらば東頚城郡………………保坂成夫 56
   【エッセイ】
   島村洋二郎のこと(11)……………坂井信夫 76
   野澤義室の個展…………………田川紀久雄 82
   麻生知子との日々(1)………羽田里加子 84
   雨は裸の花束 はしばみの実
    ノオトマルジナル80(上)……酒井文麿 91
   声の生まれるところ………………時野慶子 106
   小野十三郎の世界………………坂井のぶこ 110
   女性たちの現代詩………………田川紀久雄 112
   在日コリアン詩選集を読む……田川紀久雄 114
   個展を終えて……………………田川紀久雄 116



    染    野間明子

   さっきから
   硝子を拭っている
   広大な一面の硝子の向うに
   広大な一面の真っさらな空
   その空のまん中あたりに
   埃とヤニの固まったような染があるので
   硝子を割らないようそっと梯子を立てかけて磨いている

   いくら擦っても
   埃とヤニの固まったような染が落ちない
   もしかしたら硝子の反対側の面についているのかもしれない
   梯子を反対側へ運んでこの位置へ立てかけて
   擦れば簡単に落ちるのだろうに

   どうすれば
   反対側へ行けるだろうか
   広大な一面の硝子
   一面の透明な涯のない硝子
   手を休めて梯子のてっペんから見晴せば

   透明な硝子の向うに広大な一面の真っさらな空
   右も左も下も上も
   なにも見えない同じ色の空だけの空
   吸い込まれるような
   散りばめられるような
   空だけのはずの空のまん中あたりに(よりによって)
   埃とヤニの固まりこびりついた

   もしかしたら染は硝子の向うの空についているのかもしれない
   あれほど真っさらな
   あれほど涯も限りもない

   空のまん中にあるべからざる埃とヤニの凝固まり
   私は拭いたくて
   私のこの手で拭いたくて
   硝子のこちら側で懸命に雑布を動かしている

 「硝子の向うの空についているのかもしれない」「染」とは、壮大でおもしろいイメージですね。それを拭おうとしても拭えないもどかしさ。隔靴掻痒の大スケール版とでも云いましょうか、思わず微笑んでしまいました。
 しかし、これは何の喩だろうと考えると、心境はちょっと複雑になります。なぜもどかしいのか、何をもってもどかしいと感じるのか。現代の日本なり世界なりを見て、となると微笑んでばかりはいられません。「懸命に雑布を動かして」もそれは「硝子のこちら側」なのだという作者の感性は、詩人ならではのものかもしれませんが、見ている世界を読者にも考えさせる作品だと思いました。




桜井さざえ氏随筆集『光りあるうちに』
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2005.7.1
神奈川県横須賀市
山脈文庫刊
1000円
 

  <目次>
   光りあるうちに  6
   夢を食む  14
   ご褒美  20
   人形作り  25
   田原青女句集 女人杖  28
   助産婦モモノの生涯  33
   笑えない話し  40
   男の椅子  45
   自転車  51
   ボラ鮨 54
   黄金山  57
   婿装束  61
   ダンス  65
   同窓会  68
   五十五年目の墓参り  73
   橋  77
   帰郷  82
   曲がった指輪  86
   倉橋島感傷旅行  90
   富士山に桜  94
   窓を開けて  97
   介護とは−  103
   風  107
   名前  109
   私の詩について  116
   永遠に死後の生を生きる  120
   ふたたび此処から  125
   名付け親  135
   シーメンズ・パワー  140
   白木蓮  146
   柿の木  150
   詩が生まれるとき  153
   あとがきにかえて 女友達  157
                   装幀 高島鯉水子



    常盤の木

   此処にいっぽんの常盤の木
   枝という枝に
   わたしたちの夢と希望をのせ
   まっすぐ空に向かって伸びている

   生い茂る常盤の木
   地上に緑の影を落として
   葉と葉の間に光りと風を通過させ
   幾年月 無償の行為で育んだ人々の
   想念
(おもい)に寄り添い
   終焉のさびしさに耐え
   常盤の木は自らの影のなかに倒れる
   そのかたわらに
   新しく 若木が静かに立ち上がる

   わたしたちは
   常盤の木を通過して生きている
   胸にいっぽんの 若木をいただき
   生きているものたち
   幼い者たちに
   この地球に緑が絶えないよう
   記憶を辿りながら
   慈しみ 育んでいく

 著者初のエッセイ集です。同人誌に発表したものを纏めてありました。
 紹介した詩は「同窓会」に収録されています。1944年に入学した広島の学校の常盤会という同窓会に出席し、そこで朗読するために作詩した作品ですから、誰にでも判る言葉で書かれています。特に「常盤の木は自らの影のなかに倒れる/そのかたわらに/新しく 若木が静かに立ち上がる」というフレーズが佳いですね。老いた卒業生が自らは「倒れ」ながらも「若木」たる後進を見ている柔らかい視線を感じます。

 この詩にはエピソードがあって、広島に向う途中の小田急線で指揮者・小澤征爾が乗り込んで来たというもの。朗読用の原稿にサインを貰い、コピーして同窓会出席者に配ったそうです。さざえさんらしい天衣無縫な行動ですね。世界の小澤がさざえさんの前でにこにことしている様子が眼に浮かぶようです。




遠丸 立氏著『野川物語』
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2005.6.30
東京都千代田区
現代書院刊
1800円+税
 

  <目次>
     一
   明治六年 ………………………………………… 5
     二
   野川物語 ………………………………………… 49
    第一話 ……… 49
    第二話 ……… 70
    第三話 ……… 91
    第四話 ……… 118
    第五話 ……… 137
    第六話 ……… 153
     三(初期短編三編)
   ホーガンと鏡の話 ……………………………… 173
   ヒヤマさんのアパート ………………………… 181
   平太郎殿(へいたろうどの) …………………… 197



    鉄道開業はある意味で旧士族の救済事業であった。国民皆兵の新政策は、それまでとにもかく
   にも変事の際の戦力という名目で、生産階級に寄生し徒食していた武士の存在理由を名実ともに
   奪い去った。生活の手段から振り落とされた彼等の救済は、新政府にとって緊急の課題であった。
   彼等はかつての支配階級の一部であった。動転する時代の深層は血管をめぐる血液のように彼等
   のエネルギイで支えられていた。彼等を見捨てることはかつての同輩であった新政府当局者の骨
   肉の情がしのびえなかった。秩禄公債と士族授産と帰農の奨励が、政府の編み出した三つの柱で
   あった。当時の官員、教員、警察官のほとんどが、旧武士で占められていたことは周知である。
   鉄道官員も例外ではなかった。幹部はもちろん、出札掛、改札掛、乗務掛に至るまで多くは武士
   の出身であった。そして機関士、運転手、火夫、線路工手はすべて外人であった。官員は文明開
   化の新しい特権階級であった。

 「野川物語」は『未知と無知のあいだ』に連載された小説ともエッセイとも呼べる作品の収録です。拙HPでも何度か紹介しており、
2003年9月16日 2004年1月26日 2004年5月15日 2004年9月26日 2005年6月3日 のそれぞれの部屋で見られます。ハイパーリンクを張っておきましたので、概略はそちらをご覧ください。

 紹介した作品は「明治六年」の一部分で、1983年発表のものです。明治4年に品川−横浜、明治5年に新橋−横浜まで開通した鉄道に、明治6年になって初めて乗った政吉が主人公です。上等に乗せてもらえなかったことや車中で小用をして罰せられたことなど、史料をよく調べているなと感心しましたが、私の眼に飛び込んだのが上の一文でした。私には「鉄道開業はある意味で旧士族の救済事業であった」という認識は無かったので驚いた次第です。そういえば今のJRが国鉄だった時代、駅員は乗せてやる≠ニいう態度でしたね。国鉄に就職した同級生から度々聞いた言葉は親方日の丸=B今はそんなことを言う人はいないでしょうが、ちょっと前まではそんな感じだったのです。その萌芽は明治4年にまで遡るのかと、綿々と明治から繋がる日本人の意識を再確認しました。

 「ホーガンと鏡の話」は1961年、「ヒヤマさんのアパート」は1955年、「平太郎殿」は1957年発表のもので、いずれも押入れから偶然発見されたものだそうです。遠丸作品の最初期に位置し、遠丸文学研究者には垂涎の作品と云えましょう。内容的にもまったく古さがありません。最新の「野川物語」に通じる確とした文体を感じさせる作品群です。ご一読をお薦めします。




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