きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2009.11.18 神奈川県松田町・松田山山頂付近 |
2009.12.11(金)
午後から、日本詩人クラブが「国際交流インド2009」に招聘したインドの詩人「シュニルさんと歩く東京」に参加してきました。午前中は江戸東京博物館見学があったのですが、それはパス。午後からの「クルーズ船『ヒミコ』に乗ってお台場へ」のみに、浅草から参加させてもらいました。
写真は『ヒミコ』船上のシュニルさん。あいにくの、珍しいほどの大雨で、足もちょっとお悪いようですが、楽しんでもらえたかなと思います。私は英語を話せないので、残念ながら直接お話しは叶いませんでしたけど、温和なお人柄を感じました。明日からの1週間近く、日本の冬を楽しんでいただければと希います。
○新・日本現代詩文庫72『野仲美弥子詩集』 |
2009.12.15 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税 |
<目次>
詩集『家事』(一九七九年)抄
腕時計・10 窓(または 切り取られた風景)・11
洋裁・12 息子・13
家事・13 アイロン・アンド・アイ・15
ぬかみそ・16 テレビジョン・17
誕生日・18 ゴミの日・18
タバコ(誘惑者としての)・19. ヒト・20
詩集『夜の魚』(一九八三年)抄
皿・22 わたしの証明・23
夜の魚・24 トイレット・ペーパー・25
エスカレーター・27 ネコの重み・28
ホワイト・29 背中・30
スペースシャトルの打ち上がった日・31 母在りて・32
デザイナーの友・33 疲労・34
夜・35 風と今川焼き・35
今日もいぬの日・37 ヘッドライト・38
鹿・40 一月の商店街・41
約束・43
カオスのなかで(西 一知)・45 あとがき・46
詩集『不思議な一日』(一九八八年)抄
風野郎・47 今晩のおひたし・48
カーネーション または母・49 アムール(タマゴに寄せて)・50
青ひげの部屋・51 不思議な一日・52
夏の勲章・54 木・56
風景 もしくは・57 アムール(ヒナに寄せて)・59
夏の迷路・60 乗り換える・62
うすずみ色の……・64
詩集『わたしと暮らす人』(一九九一年)抄
結婚・66 練習・66
再会・67 定年・68
ホテル・リッシモンド・70 雨が降る・71
木・女性論・72 蝉は恩師をもたない・74
カンガルー・75 ストリート・ミュージシャン・77
わたしと暮らす人・79 影の遂行者・80
詩集『バランスアクト』(一九九六年)抄
朝の歯型・81 この雨の続く先は・83
バランスアクト・84 木と小鳥・86
鏡・87 今年の向日葵・88
イヤリング・90 ヘアー・91
防災訓練の日・93 パン・サヨナラ・94
詩集『時間(ときのはざま)』(二〇〇六年)抄
草むしり・95 時間・96
歯について・97 川ベりのアーチの下を・99
古くなったので・100. 夏の〈耳鼻咽喉科〉・101
練り・102. あの家・104
柿の実のある風景・105. 諸葛菜・106
花火・107. 不思議な青年・109
十二月・110. 命令するじゃが芋・111
猫の死に方・112. 守護草・114
部品・115. サーロイン・ステーキ・117
わたしの手・118. 夜・119
女性専用車・120
エッセイ
枯葉をかき集めるのはシャベル・124
『あの薔薇を見てよ』−太田良子訳−を読む・125
ロンドンの旅――テッド・ヒューズ『バースデー・レターズ』ゆかりの地にふれながら・127
シルヴィア・プラスとテッド・ヒューズ――映画「シルヴィア」所感・137
解説
こたきこなみ 小劇場の無限空間・146
丸地守 野仲美弥子の詩の岸辺で・153
年譜・158
家事
朝ごとに放り込まれる
何も書いてない新聞
手で埋めていく文字
埋めねば へらない
埋め切らねば 終わらない
家事という雑事
読み続け埋め続ける
日がな一日
切れ目なく 容赦なく
空間に舞い降りる
ほこりのような雑事
抜かりなく 手落ちなく
定植していく
与えられた枡目に
あくせくと
偏見と独断にあやつられる
熟練したその手の
最早 心を離れ
掃除機を動かす
ガラス戸を磨く
セールスマンを撃退する
孤独に廻す輪転機の
ミステリヤスな真昼よ
夜
積み上げられた新聞の上に
一枚加える
ささやかな今日のモニュメント
いつか束ねて
チリ紙交換に出すとしても
記憶のいくつかは
残るだろう
1979年の第1詩集から2006年の第6詩集までを抄録し、それにエッセイを加えた文庫です。ここでは第1詩集のタイトルポエムを紹介してみましたが、1970年代はまだまだ“家事”は非詩とされていた時代だと記憶しています。その後、家事の中にも詩があることが認識され、良い意味での“台所詩”が抬頭してくるわけですけど、その先駆けとなった詩集と言えましょう。30年経った現在の視点でもまったく古臭さを感じさせないことに驚きます。家事は〈朝ごとに放り込まれる/何も書いてない新聞〉、〈夜〉には〈積み上げられた新聞の上に/一枚加える/ささやかな今日のモニュメント〉と、時代に左右されないことをきちんと見据えた佳品だと思いました。
本文庫中の「不思議な一日」、「古くなったので」、「部品」はすでに拙HPで紹介しています。初出から一部改訂された作品もありますが、ハイパーリンクを張っておきました。合わせて野仲美弥子詩の世界をお楽しみください。
○個人詩紙『おい、おい』72号 |
2009.12.8 東京都武蔵野市 岩本勇氏発行 非売品 |
<目次>
詩 淋
淋
「淋しいのはお前だけじゃない」
というタイトルの
TVドラマ(脚本市川森一)が
昔あったけど
あれは言い換えれば
淋しいのは俺だけじゃない
ということ
それはよく言うこと
淋しいのはお前だけじゃないんだ
俺だって淋しいんだ
淋しいのは俺だけじゃないんだ
お前だって淋しいんだ
だから
死なないで……とか
だけど
ホン卜にそうだろうか
淋しい俺は
淋しい俺だから
淋しいお前が
淋しいお前のココロが
想像できる……と
だけど
淋しい俺は
淋しい俺だから
淋しいお前が
淋しいお前のココロが
ホントに
実感できる……のかと
自殺したり
狂っていったり
狂っていったり
自殺したり
ハッキリしたことを言おう
淋しいのは俺だけだ
淋しいのはお前だけだ
禅問答のようですが、ここには真実があるように思います。〈お前〉も〈俺〉も〈淋しい〉。だからお互いの〈ココロ〉が〈想像できる〉けど、〈ホン卜にそうだろうか〉、〈実感できる〉だろうか。ある者は〈自殺したり/狂っていったり〉するが、〈お前〉も〈俺〉もそうはなっていない…。
この詩は、だからと言ってお互いに反発することを求めているのではないと思います。歩み寄れるところまでは歩み寄ろう、と受け止めました。
○詩とエッセイ『縞猫』20号 |
兵庫県西宮市 中堂けいこ氏発行 非売品 |
<目次>
エッセイ 「フルスタリョフ、車を!」 アレクセイ・ゲルマン監督(映画)1983年製作
詩 コング/中堂けいこ
コング/中堂けいこ
赤い道をどこまでも歩きつづければ
ここにいるわたしに会えるはずだ
脳天気な巨大猿人が霧深い髑髏島を歩いている
赤い道のしるしの下で猿人は威嚇の胸をさしだし
わたしはぐふぐふ相つちをうつだろう
おまえはあのジェットヘリから射ち込まれるテレビ視線を知っているか
わたしの部屋の液晶パネルが匂いはじめるころ
赤い道を歩くおまえの姿が発見されるという話
ぱらぱらと胸をドラミングすれば
人々は脳幹をゆすぶられ昔を思い出す
あれからNYの二つの摩天楼が暗示した満月の誘いにまんまと
引っかかってしまったが
二本の手と言おう二本の足と言おう
登攀のすばやさに涙にくれる愛護団体の愛らしい身振りにこそ
おまえは体ごとの分節でたやすく打ち負かしてしまう
人々の欲望は途方もないバブルの塔だから
あとはまっさらな空がひろがり
日々のミッションをこなす曹長の三角錐航法の基点にされる
罪つくりな見下ろす位置から
テールローターが引き千切られ
塔を突き崩す大音響をヘリは拾えなかった
遠い人、と呼びあい
おまえがいつか届くはずの地表では
落下を待つ人々が空を見上げている
やがてその響きは大気の震えほどに液晶パネルをゆすりつづける
(ホバリングV)
タイトルの「コング」は、映画のキング・コングと思ってよいでしょう。〈液晶パネル〉に映し出された画像を思い出します。〈NYの二つの摩天楼〉は9.11をも謂っているように思いました。その映画と大事件を重ねて読んでしまいました。〈赤い道〉は〈猿人〉から〈ここにいるわたし〉までの血の流れ。キング・コングはどこかで〈人々の欲望〉と別れた“種”で、その哀しみを表出させた作品だと思いました。