きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
  050612.JPG    
 
 
 
2005.6.12
宮崎「西都原古墳群」にて
 

2005.7.31(日)

 今日は私の誕生日。56歳になりました。50歳になったとき、人生僅か50年、なんだから、あとどれほど生きられるか不安がありましたけど、けっこう長生きするもんなんですね(^^;
 それも嬉しいけど、やっぱり定年まで4年を切ったというのが一番嬉しいです。これで毎年、あと3年、あと2年とやるんでしょう。若い頃の誕生日の嬉しさとはまた違った感慨を覚えています。




個人詩誌Quake14号
     quake 14.JPG     
 
 
 
2005.7.25
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

  <目次>
   滝       一
   雨がふる    五
   ポスター    九
   思慕にみちて 十三



    雨がふる

   雨がふる
   カフェで
   コーヒーを飲んでいる
   苦い香りのたちのぼる
   白いマグカップを
   両手でそっと包み込む
   わたしの指先
   でも そればかりではなく
   今 この瞬間
   わたしの唇に
   コーヒーが たどりつくまでに
   何千何万何億という
   見えない指先たちが
   いっせいに ざわめき うごいて
   マグカップにそっと 手を添え始める
   我も我もと 白い陶器の上に
   ああ
   数え切れないほどの
   見えない指紋たちが
   白いカップにこびりつく
   ここに こうして こしかけて
   かろうじて ヒトの形をとっているけど
   わたしは ひとりぼっちではない
   わたしは ひとっきりではない
   わたしは
   無限に大きくて
   無限に小さくて
   ああ なんといおうか
   どんなものにも 形を変えて
   少し 気をぬけば
   あっというまに 散らばってしまう
   細い糸でつながれ
   形づくられている
   繊細な真珠の首飾りのように
   ヒトのかたちの わたしが
   コーヒーを飲み干して
   ヒトのかたちに 立ち上がる
   ここで こうして 飲んだコーヒーも
   この味も
   このにおいも
   何千何万何億という
   おびただしいわたしの中を
   通り過ぎてゆくだけの
   ただ 流れゆく記憶
   ヒトが初めて 二足歩行をした瞬間のように
   地球最後の恐竜が
   地面に横たわり 息絶えた瞬間のように
   永遠に 帰らない
   もう とりもどせない
   絶望的な過去
   雨がふる
   霧のように やさしい雨が
   ヒトの形を今はしている
   わたしの上に
   傘もささずに ぼんやりと濡れている
   今にも 崩れ落ちてしまいそうな
   ホモ・サピエンスの小さな肩に
   三十八億年前の あの日と同じ
   雨がふる

 「今 この瞬間/わたしの唇に/コーヒーが たどりつくまでに/何千何万何億という/見えない指先たちが/いっせいに ざわめき うごいて/マグカップにそっと 手を添え始める」というフレーズに驚いています。「コーヒー」の一滴、「マグカップ」の一片に「何千何万何億という/見えない指先たち」が関わってきたのだと改めて思い至りました。そうやって考えれば当り前なのですが「わたしは ひとりぼっちではない/わたしは ひとっきりではない」と言えるわけです。それをさらに「わたしは/無限に大きくて/無限に小さくて」というところまで進めたのは見事です。
 「三十八億年前の あの日と同じ/雨がふる」という最終連も佳いですね。「無限に大きくて/無限に小さ」い人間の発生まで遡ったスケールの大きな作品だと思いました。




個人誌『むくげ通信』28号
     mukuge tsushin 28.JPG     
 
 
 
 
2005.8.1
千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏 発行
非売品
 

  <目次>
   エッセイ 生を愛し 神とともに歩む 賈永心
(カヨンシム)(詩人)
   詩    李炳基詩人追慕詩 高明秀
(コミョンス)
        目つき 他二篇 劉庚煥
(ユギョンハン)
        成賛慶
(そんちゃんぎょん)の詩 ポポルロ座の星たち 他三篇
        キムチ 呉世榮
        孤独な食欲 朴木月
   崔勝範
(チェスンボン)詩集「モンゴル紀行」書評 飯嶋武太郎
   具常詩人一周忌追悼行事
   受贈御礼
   編集後記



    私たちの願い   成賛慶

   その日 聖歌のかわりに
    −私たちの願い−
   を歌うという発表があった
   ミサの終わりに聖歌のかわりに
   聖歌ではない歌をうたうのは初めてだった
   誰がさせたのでもないが
   交友たちは 悲しい声で静かに
    私たちの願いは統一
    夢の中でも願いは統一
   と歌いはじめた
   一緒に歌ううちに私も知らずに
   頬に涙が流れてきた
   わが同胞が何故こんな悲しい境遇になったのか?
   国ほろび 三六年ぶりに九死に一生を得て
   日帝の毒牙から免れたけれど
   祖国はいまだ二つに別れた切れ端のまま
   もう百年が近づいてくる
   離散家族の痛哭と
   涙の海の情景が浮かんできた
   私は泣きながら祈っていた
   神様 哀れなわが国をお救い下さいませ
   聖母様 哀れなわが国をお救い下さいませ
   この国が蘇える統一
   統一よ どうか来てくれ
   と一緒に歌いつつ
   涙で祈っていた
            
「現代詩学」二〇〇四・八月号より

 考えてみれば朝鮮半島の分断は「もう百年が近づいてくる」んですね。そんな長い時間、「祖国はいまだ二つに別れた切れ端のまま」にした元凶「日帝の毒牙」の子孫としては恥じ入るばかりです。「私たちの願いは統一/夢の中でも願いは統一」と歌う韓国の人たちの哀しみが切々と伝わってきます。こういう作品は日本ではなかなか紹介されず、その面でも本誌の持つ意味は大きいと言えるでしょう。こういうことこそ日本の歴史教科書の中でちゃんと教えてほしいものです・




木村恭子氏詩集『あざらし堂古書店』
     azarashido kosyoten.JPG  
 
 
 
 
2005.8.1
広島市東区
三宝社刊
1500円
 

  <目次>
   あざらし堂古書店  6
   はじまり  8
   手紙  12
   風I  14
   天気予報  16
   天使  18
   自転車  22
   声T  26
   船  30
   教室  34
   a trip  38
   スドウさん  42
   シリンダー嬢  46
   流鏑馬  50
   ルビ  52
   風U  54
   アンケート  56
   洋裁の本  60
   絵本  64
   ポスター貼り  68
   千秋楽  72
   魚  76
   料理の本  80
   声U  82
   物語  86
   読書会  90
   クラバートさん  94
   居留守  98
   おわかれ 102

   あとがき 106



    あざらし堂古書店

   夜町停留所で降りた。顔色の悪い若い駅員が 伝言板の
   かすれた文字を消している。「――ちゃん 先に行きま
   す」という文字が消され その次に 「帰りに――さん
   の家に寄ってください」という文字が消される。

   角を曲がったビルでは 商売が始まっている。すりへら
   ない靴 うしろも見える眼鏡 手相の変わる手袋。カイ
   ゼル髭をはやした雑貨屋が あざらし堂のオーバーの袖
   を引っ張り 巻き舌で誘ってくる。黙って行き過ぎると
   不機嫌そうに追って来て オーバーのポケットに何か無
   理やりねじこんで消えた。月明かりに浮かんだビルの窓
   からは 私も買います 私にも一つ という傾斜のある
   声が落ちてきて それも消える。

   隣りに住んでいたことのある魚屋が 公園灯の下で店を
   開いている。板敷きの上には きっちりと同じ方向を向
   いた魚達が静かに並び あざらし堂が通りかかると あ
   っ おじさんだ というような目をする。文字の書かれ
   たへぎ板が シャリンバイの茂みの上に干されている。
   ほしのおまつり。それが誰の文字か あざらし堂には分
   かる。向こう側では 子供が一人ブランコに乗ってゆっ
   くり揺れている。一歳半の風の日 洗擢物を干す母親に
   付いて行き 吹き飛ばされていなくなったあざらし堂の
   子供。魚屋がなくなったのは翌年の雨の朝。お前んとこ
   の子に会ったら  読み書きを教えてやらあと手を振っ
   て。

   ときに私達は リュックを背負って古本を売り歩いてい
   るあざらし堂に 夜の町ですれちがう。そしてポケット
   から取り出した何かささやかな物を じっと確かめてい
   る彼に次の町で出会う。

 あとがきには「『あざらし堂古書店』という古書にまつわる詩のシリーズ」を個人誌『くり屋』の2号から書き始め、それを詩集にまとめた、とありました。紹介した作品は詩集のタイトルポエムです。これから始まる「あざらし堂古書店」の「おじさん」がさり気なく描かれていますが、意表をつくおもしろさのある詩集です。古書に入っていた葉書を描いた「手紙」や本の中の暗い廊下を行ったさきにある「ルビ」など、本好きにはたまらない作品が目白押しです。本への愛着と発想のユニークさが光る詩集です。




古郡陽一氏著・詩とエッセイ集『峠』
     touge.JPG     
 
 
 
 
2005.9.15
東京都新宿区
文芸社刊
1600円+税
 

  <目次>
   『峠』初版にあたって  9
   出版に寄せて  岡本昌司(丹沢・大山詩の会代表世話人)  12
   プノロローグ  17

   「詩」の章―――――――――――――――――――――――― 21
   昔のアルバム  23
   酔言(ゆいごん)  23
   青春の墓標  26
   昔のアルバム  29
   水草  31
   はるかに遠い  33
   アタランテの乙女  33
   限りの旅  36
   グラスの誘い  38
   誓い  40
   闇  43
   はるかに遠い  47
   伊料理店でのこと  50
   伊料理店でのこと  50
   喪中  53
   愛は  57
   祝婚の詩  59
   四季の雨  62
   春の雨  62
   夏の雨  64
   秋の雨 66
   冬の景  68
     71
   虹  71
   花を超える花を描いて  76
   大磯墓参  79
   万両  83
   流れに逆らわず  85
   流れに逆らわず  85
   橋  88
   おやこをひきさく かぞえうた  91
   巡り来よ春  94
   IT革命  97
   仏蘭西菊 100
   仏蘭西菊  100
   菫  103
   獄中にて  106
   会議  109
   山そして峠 111
   『丹沢・大山』考 111
   秋、登山  115
   雪しるベ  118
   新しい時に立ち 創業の志を想う  121

   「詩ごころ」の章―――――――――――――――――――― 137
   詩の裾野を広げることについて  139
   私の詩作姿勢について 142
   『丹
(に)の山』第六集発刊に寄せて  150

   「人生・芸術について想う」の章――――――――――――― 153
   若い頃のこと  155
   絶望から行動へ  162
   ヌーベルバーグ 新しい波と映画運動  169
   ニーチェ思想について  180
   石原文学の軌跡について  191

   「企業の中で」の章――――――――――――――――――― 213
   会社創立五十周年記念論文、七十周年記念詩について 215
   変革期を迎える品質管理・QCサークルと、管理者・経営者の役割 221
   新任部長に期待すること 254
   部長行動指針10則 272
   部長行動指針10則〈解説〉 275
   新入社員に贈る言葉 289
   トップが語るTPMと経営戦略 294
   割れ目のない経営風土に  305

   アインシュタインとヘッセの共存
   ――『峠』について 村山精二(日本詩人クラブ理事) 309
   エピローグ 318
   詩作品 初作・改作一覧 329



    昔のアルバム

   着古したシャツと
   ズボンのほころびから
   虚しさや怒りや
   背伸びした危うさがはみ出している

   空想と憧憬の中に
   自らの世界を
   創りあげようと
   もがいていた頃である

   懐かしさもあるが
   振り返りたくない気持ち半分で
   セピア色に変わりつつある
   写真を閉じた

   今は少しいい顔になってきた
   と女房は言う
   人並みの暮らしとか
   周りへの気配りとか
   余裕
(ゆとり)が出てきたことは
   そうかも知れないが

   ひたむきさを
   どこかに
   忘れてきたような
   気もする

 著者の2冊目の「詩とエッセイ集」です。私も解説を書かせていただきました。紹介した作品について解説では「第四連の『今は少しいい顔になってきた/と女房は言う』が生きている作品です。その前までの三連は過去を見ているのですが、このフレーズで現在になります。下手をすると嫌みが出る部分になりますけれど、そうならなかった理由は最終連にあります。『女房』の言葉を真撃に受けているのが読者に伝わるからでしょう」と書きましたが、最終連に言及していませんね。改めて著作を読み直して「ひたむきさを/どこかに/忘れてきたような/気もする」というフレーズに著者の真摯さがあると付け加えなければなりません。

 この著作に載せられている詩作品のかなりの数を拙HPで紹介しています。
「アタランテの乙女」「誓い」「伊料理店でのこと」「愛は」「IT革命」「仏蘭西菊」にはハイパーリンクを張っておきましたので、合せてご覧いただければと思います。




   back(7月の部屋へ戻る)

   
home