きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.8.1 東京日仏学院 |
2007.8.10(金)
今日はちょっと足を延ばして千葉県佐原市の「伊能忠敬記念館」に行ってきました。実は地図を見る、読むのが大好きなんです。何年か前に国立博物館で伊能忠敬展をやったことがあり、それも観に行きました。大御所の佐原には一度行きたいと思っていましたから、ようやく念願叶ったことになります。
写真は記念館のほぼ全景。しかし正面ではありません。裏側です。なぜか正面は全景が撮り難いので裏から撮ってみました。像は伊能忠敬翁、ずいぶんと若造りになっていました(^^;
展示の圧巻は、日本列島の伊能図と現在との比較です。北海道、四国、九州は若干のズレがありますけど、他はほぼ一致。天文観測と徒歩での測量とはとても思えません。実際に使われた当時の測量器具なども展示してあり、地図好きにはたまらない環境です。展示されている地図も、美術品と言っても良いくらいです。興味のある人は一度訪れてみてください。
○坂本稔氏詩集『暁』 |
2007.7.25 高知県高知市 リーブル出版刊 1429円+税 |
<目次>
暁 6 弥生某日 8 春光 10
伊野・駅前町 14 犬吠埼 18 初夏ノ長門峡 22
五月 26 夏ノ光 28 七月七日 30
夏草 34 八月 36 残暑 38
夏ノ死 40 晩夏 42 暁ノ庭 44
秋ガ来テ…… 46 秋風 48 晩秋 50
十一月八日 52 秋空 54 庭 56
日曜日 60 耐エル 64 深イ夢 66
風 68 遠離一切顛倒夢想 72
手紙 76
ダイエット 78 海峡 82 内ナル詩人へノ年賀状 86
ソノ時ヲ…… 88 水ノ伝説 92
後書 94 装幀 島村 学 扉写真 坂本 稔
日曜日
午前四時。
テレビ<jハ
地球ガ映ッテイタ。
蒼ザメテ
憂鬱ソウニ。
十時。
太陽ガ言ウ。
俺ハ怒ッテイルゾ
知ラヌ顔シテ珈琲ヲ啜ル。
午後。
人生ハ幻ダ
ト呟イテ
妻ト猫ニ嗤ワレル。
夕方。
日記ニ
五月ニシテハ寒イ<g書ク。
夜。
風呂ニ人ッテ真面目ニ寝ル。
略歴を見ますと1990年の詩集以来のようですから、実に17年ぶりの詩集となります。著者は『南方手帖』の発行人で、送り仮名をカタカナにした特徴ある作品を毎号拝見しています。ここでは「日曜日」を紹介してみました。最後の「風呂ニ人ッテ真面目ニ寝ル。」が良く効いていますが、これは実感だろうと思います。第1連に「午前四時。」とあることに注意が必要です。私にも経験がありますけど「真面目ニ寝」ないとヘンな時間に眼が覚めてしまいます。おもしろいところに注目した作品と云えましょう。
本詩集中では多くの作品をすでに紹介していました。「暁」「伊野・駅前町」「秋ガ来テ……」「風」「手紙」などです。タイトルや行替えが初出より若干変わっている作品もありますが、詩心は同じです。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて坂本稔詩の世界をお楽しみください。
○月刊詩誌『歴程』543号 |
2007.8.31 静岡県熱海市 歴程社・新藤涼子氏発行 476円+税 |
<目次>
詩
子葉声韻/高貝弘也 2 蜜言/池井昌樹 4
七月に至るいくつかの理由/関富士子 6 シニューレ・マスケレ/鈴村和成 8
初恋/伊武トーマ 10 小茂内まで 二篇/安水稔和 14
Words/芦田みゆき 17
エッセイ 21世紀の風−アートセンター・キューブ/北畑光男 18
絵 岩佐なを
密言/池井昌樹
だれもいない……なつやすみ
まだあさにちかいおひるまえ
ミルクのような陽があたり
ぼくはこの世にひとりいた
ぼくはこの世にひとりいた……
けれどなんにもすることがなく
半ズボンのあし すあしのままで
……………………飢え餓(かつ)えていた
ドラセナの樹がかぜにゆれ
よくみがかれた板の間は
蜜事(みつごと)めいたかげながし
かすかに樹脂(やに)のにおいがし
押入れのあかずのとびら
あかずのとびらのむこうには
ぼくのしらないおお祖母が
いきたえたままいきていて
だれもいない……なつやすみ
まだあさにちかいおひるまえ
万象はみなぼくをゆびさし
ささやきかける……なにごとか
くちぐちに……ささやきかわす
ミルクのような陽のなかで
ぼくはだれかの名を呼びかけて
………………その名をわすれた
「半ズボン」を穿いていた子どもの頃の「だれもいない……なつやすみ」。時間は「まだあさにちかいおひるまえ」で、「ミルクのような陽があた」っていた…。思い出しますね、確かにそんな時間がありました。夏休みだというのに「なんにもすることがなく」てボーッとしていた50年前、あの時間はいったい何だったんだろうなと思います。
最終連の「………………その名をわすれた」というフレーズがよく効いています。その名を思い出すために半世紀を生きてきた、と言ったら大げさでしょうが、そんな人間の不確かさをこの作品から感じました。あるいは「蜜事めいたかげ」を探していたのかもしれません。
○季刊詩誌『新怪魚』104号 |
2007.7.1 和歌山県和歌山市 くりすたきじ氏方・新怪魚の会発行 500円 |
<目次>
佐々木佳容子(2)日傘と風 石橋美紀(4)家霊
井本正彦(6)段々畑の夕日 曽我部昭美(8)あべこべ
寺中ゆり(9)ランボーの詩(うた) 五十嵐節子(10)陽光明春!
水間敦隆(12)バンダナ 林 一晶(14)この世
前河正子(16)早朝の湖 上田 清(18)水の歴史(二十六)
中川たつ子(20)HANA……暗号 岡本光明(22)あいいううええお
くりすたきじ(24)北の亡者U
表紙イラスト/くりすたきじ
この世/林 一晶
右の頬出せと強制して
右の頬を叩く
左の頬出せと強制して
左の頬を叩く
叩きっぱなしで穴に蹴りこむ
右の頬叩かれて
左の頬叩かれて
叩かれっぱなし
穴に蹴りこまれれば
叩かれっぱなしのまま
黙って転げ落ちる
それでいて
人間平等にしたいと思っているこの世
それでいて だから
平等をめざして努力したりするこの世
それでいて そんなこんなで
人間皆平等なんだと
言うことになっているこの世
そうなんです、「右の頬を叩かれ」たら「左の頬出せと」言われるからそうすると、相手は「叩きっぱなしで穴に蹴りこむ」でしまうんですね。情けないことにこちらは「叩かれっぱなしのまま/黙って転げ落ちる」しかないのが「この世」なんです。悔しいのは「それでいて そんなこんなで/人間皆平等なんだと/言うことになっている」ということ。眼には眼を、の方が善し悪しは別にして理屈に合っています。平等主義と言われるよりも実力の世界と言ってもらった方がスッキリします。そんな私たちの気持ちを代弁してもらった作品と云えるでしょう。
もちろん社会科学的には自由・平等に向かって社会は進化するものでしょうから、今は過渡期なんでしょう。しかし日本に限って言えば戦後60年を過ぎても一進一退のように思います。まだまだ「平等をめざして努力したりする」ことが必要なのかもしれません。「この世」について考えさせられました。
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