きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.2.26 河津町・河津桜




2008.3.27(木)


 昨日の話ですが、日本文藝家協会から通知が来て、内容は著作権使用料を振り込んだから承知しておけ、というものでした。そういえばここ数年、そんな通知がありました。要は、お前の著作物がどこかで使われているかもしれないので、出版社やテスト教材会社から徴収した金を、会員に均等割りして振り込むからそれで我慢しなさい、というものだと解釈しています。私のような無名人の詩やエッセイを使う会社があるとは思いませんけど、まあ、せっかく協会がそういうことをやってくれているんだから、ここはありがたく頂戴しておきます。で、その金額というのが4000円ほど(^^; 4万円だったら嬉しい! 400円だったら怒っちゃう! という金額ですかね。まったく著作権を無視されて使われるのも困りものですが、この金額で免罪されるのかと思うと、ちょっと複雑な心境です。もちろん、はっきりと私の著作物が使われる場合は正式な契約を結ぶわけで、これで全てが免責されているわけではありません。著作権擁護の一つの形の現われと思い、協会会員であることのメリットは素直に受けたいと思っています。

 それはそれとして、どこかの出版社でも新聞社でもいいから、私の著作物をちゃんと買ってくれる会社はありませんかね。それで年間1千万でも入ってくると嬉しいんですけど(^^;



森徳治氏著『審判』
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2008.3.23 大阪府箕面市
詩画工房刊  2000円+税

<目次>
審判
一 序章…8     二 分岐点…16    三 確立…24
四 基盤…32     五 本格化…39    六 情勢…48
七 指導者…56    八 分裂…64     九 統帥部…72
十 大衆…80     十一 中枢…88    十二 責任…96
十三 追悼…103    十四 逆照…111
吉本隆明論
一 戦争の世代…122  二 出発…130     三 光と翳…138
四 大衆の原像…146  五 日本のナショナリズム…154
六 擬制の終焉…162  七 時の中の死…170  八 言語の思想…177
九 詩の原像…185   十 「修辞的な現在」…193
十一 若い現代詩…201 十二 自立の拠点…209
奥田博之論
一 インド…220    二 回顧…228     三 神、そして仏…235
四 真理の知慧…243  五 輪廻転生…251   六 新しい光に包まれ…259
七 東アジア共同体…267
戦後短歌人の挑戦
一 前衛短歌…278   二 歌人群像…285
あとがき…295
略歴…296       表紙・装画 中島由夫



 吉本隆明は「文学者の戦争責任」という文章の中で、
「庶民が軍部や翼賛議員を圧倒的に支持していたというのは、岡本のいうような歴史の偽造ではない。庶民が支配者にたいしてソッポを向いたのは、その内部における心理的部分においてであり、混沌とした動きにおいてである。庶民の内部にあるイデオロギー的部分は、あきらかに軍部や翼賛議員を支持し、そう動いた」といっているのは基本的に正しい。大衆ナショナリズムの昂揚がなければ戦争の遂行は不可能だった。大衆が無批判に戦争に追随していったとはいえないが、そこに民族の一体感と同一歩調への習性が流れていたことは否定できない。

 吉本隆明は「自立の思想的拠点」の中で、「国家は国家本質の内部では、種族に固有の宗教がさまざまな時代の現実性の波をかぶりながら連続的に推移し、累積された共同的な宗教の展開されたものであり、国家本質の外部では、各時代の社会の現実的な構成にある仕方で対応し変化するものとかんがえることができる」といっており、国家の本質を宗教を核にする共同体と捉えている。私たちの前の大戦の折りの、国民各層への根こそぎの巨大な動員を許したものは草の根までの「天皇制」であった、ということとそれは関連する。天皇制は大衆の土俗的な存在様式と関わり、村落共同体の持つ一体感と同一歩調要求に深く関わっていた。

 敗戦の翌年一九四六年五月三日、極東軍事裁判(東京裁判)が開廷し、日本の戦争が国際法廷で告発審議された。この裁判の問題提起は巨大であり、かつ多義的であるが、平和と人道に対する罪という概念は、人類が戦争を考える場合の、究めて重要な思想を展開したものと受け取らなければならないだろう。裁判は二年半つづき、一九四八年十一月十二日に、A級戦犯二十五人の被告に有罪を判決、うち七人には死刑を宣告して結審した。この時、一般の人達の裁判を見る目は異様に酷薄であった。彼らはあたかも裁く側にいるかのような錯誤を抱き、戦犯たちによって戦争が引き起こされたのであり、自分たちは戦争の被害者であり無罪である、という立場に立ち、戦争裁判を第三者のごとくに傍観した。天皇は、占領軍の政策によって免訴され、大衆もまた「裁かれなかったゆえに罪なき者」の側に立っていた。しかしこの時私たちは、占領下でやむを得ない面はあるにしても、国家と国民たる大衆の戦争責任に省みる第一の機会を失ったのである。さらに機会はもう一度来た。昭和二十八年の軍人恩給の復活がこれである。軍人恩給は、戦前からの受給者の他に、復員した壮年兵士にも受給権を発生させるものであり、軍人恩給の受給資格は軍歴十二年であるが、戦務加算という制度があり、最高一年につき三年の加算となる。このため、復員した七百万の兵士のうち三分の二が受給資格があるといわれた。一九八〇年、復活してから二十七年経過した年の受給者は、二百十三万人であり(百科事典記載より)、恩給は年金と違って年齢制限がないから、三十代、四十代の復員兵士が軍人恩給を死ぬまで受給したのである。この時受給資格を巡って、軍人への厳しい戦争責任の追及問題が生じて当然だったのではあるまいか。さらに戦争の被害と加害の問題、被害外国への責任の取り方、戦災者への援助と補償という問題も検討されてしかるべきだったのではあるまいか。

 吉本隆明は「日本のナショナリズム」の中で、「現在にいたるまで、わたしたちは、日本ナショナリズムの罰について、よく論じられ、描かれた文書を知らない。罪が本質的に問われないところで、罰は本質的に提出されるはずがないのである」といっているが、日本のナショナリズムの担い手であった大衆、知識人、労働者、軍人、政治家の戦争責任を、国民の側から総体的に追及する機会を、私たちはついに持ち得なかった。そのことが、戦後の日本人の精神史に限りない空白をもたらした。吉本隆明は、「思想的不毛の子」という文章で、「わたしたちが、以前に提起した戦争責任論は、ついに実を結ばなかった。この問題は、個々の思想家の手にゆだねられ、はてしなく孤立した命脈をたどることになることが、戦後十五年余をへて、どうやら明らかになった」といっているが、三百万という同胞の死と、二千万と言われる占領地の住民の死をもたらせた戦争について、国民的な規模の本格的な責任追及の機会が一度もなかったということは、振り返って釈然としない思いの奥に、強い疑問の浮かんでくるのが押さえられない。その時私たちは、米ソ冷戦の谷間にいて、戦争と平和についての考え方を巡って、政党と政党をはじめ、団体と団体、人と人、心と心の間に、裂け目のように巨大な分裂が広がっていたのだが、その分裂はついに埋める機会をもち得なかった。そして、分裂の一方の側の感情のうねりは、原水爆禁止運動、教員の勤務評定反対闘争、基地反対闘争、三池炭鉱闘争、警職法改悪反対闘争と波涛をひろげながら、その頂点として六十年安保闘争を迎えるのである。

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 本著は月刊詩誌『柵』に3年に渡って連載されていたもので、私も毎号興味深く拝読していました。こうやって1冊にまとまってみると、その明快な論旨に改めて感動しています。
 紹介したのは「吉本隆明論」の中の「六 擬制の終焉」の一部分です。私が日ごろ持っている敗戦時・敗戦後の疑問に次々と光を当ててくれる著作ですから、どこを紹介しようかと迷うほどでしたが、重要な2点を解明しているので、ここを紹介してみました。
 その第1は「大衆ナショナリズムの昂揚がなければ戦争の遂行は不可能だった」にも関わらず、東京裁判においては「一般の人達の裁判を見る目は異様に酷薄であった。彼らはあたかも裁く側にいるかのような錯誤を抱き、戦犯たちによって戦争が引き起こされたのであり、自分たちは戦争の被害者であり無罪である、という立場に立ち、戦争裁判を第三者のごとくに傍観した」という点です。ここには私たち日本人の持つ、現在に至るまでの無責任な性行が如実に現れていると思います。

 第2は「軍人恩給の復活」です。この恩恵を受けた人たちで結成されている団体が、政権政党の重要な票田であることは周知の事実で、「この時受給資格を巡って、軍人への厳しい戦争責任の追及問題が生じて当然だった」のに、いまだにそれをしていないという現実です。そして「戦争の被害と加害の問題、被害外国への責任の取り方、戦災者への援助と補償という問題も検討されてしかるべきだった」のに、それも為されずにいる私たちの厚顔に、わが国民性を見てしまった思いです。それらは政府の政略的な手法だったのかもしれませんが、国民の側からの運動も起きない戦後史を考えてしまいました。

 質の高い、深い洞察の本著に惹き込まれて一気に拝読しました。海軍予科練出身の著者の言葉だけに、体験に基づいた理論は納得できるものばかりでした。戦後史研究のみならず戦後詩史、そして現代詩へとつながる生きた教科書だと思います。お薦めの1冊です。



新・日本現代詩文庫51『高田太郎詩集』
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2008.3.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1400円+税

<目次>
『高田太郎詩集』(一九六八年)より
火山・10       吹雪の地図・11    教会・12
四月のうた・13    不連続線・14     虹・16
渓谷・16
詩集『涸堰』(一九八〇年)より
野火・18       休日・19       風鈴・20
落日・21       水の傷・22      冬の庭・23
竹藪・25       遠望・26
詩集『水の坂』(一九八二年)より
茶碗の中・27     水の坂・28      犬の眼・29
草の道・30      泥の手・31      異土・32
十字路・33      変貌地・34      送り火・35
夜の鯉・35      夜の道・37      鬼怒川遠望・38
詩集『地の来歴』(一九八八年)より
鳥の塚・39      落鳥記・40      訪問者・40
通り過ぎてきたものは・41          ひまわり・43
花蒲団・44      ままごと・44     籠の中より・45
擬傷・46       帰郷・47       隠れ里・48
あの山にあるものは・49 雨蛙に寄せて・50   夢見鳥・51
森の精・52      碗・53        不毛地54
スバル・54      秋雨考・55      老教師譚56
春の日に・57
詩集『春の土管』(一九九三年)全篇
 T
野ぶどう・58     晩秋・59       糸・60
土管・61       蓑虫・61       声・62
道・63        夜蝉・64       落葉樹・65
日光異聞・66
 U
鰉・66        春の雪・67      泥・68
女級長・70      雪解け・71      水門・72
夏草・72       黄色い花・73     朝顔・74
秋日和・75
詩集『どぶ魚』(二〇〇〇年)全篇
破片・76       ぶらんこ・77     雲・77
遅日・78       郭公・79       朔風・79
残花・80       大銀杏・81      野面紀行・82
鳥・83        鱶・83        縁台・84
花影・85       蛍の光・85      魔橋・87
鴉と石・88      ウマレバ異聞・89   草の道・91
はぐれ坂・92     夢合戦・93      どぶ魚・94
未刊詩篇より
苦い暮色・96     異土眺望・97     光るもの・98
泡・99        雪の記憶・100     林中感懐・102
かまいたちの目・103  少年動物図鑑・104   洪水・105
時の残骸・106     くらい眠りから・107  呑龍の花・108
黒い蝶・110      英霊・111       怪談・112
摩羅・112       大根・113       南天を吹く・113
むかしばなし・114   ガガンボ・114     毒蛾・115
ゆずの花・116     川ぼとけ・116     駅の影・117
春雷・118       剥落した暦・119    雲・120
マリンタ・トンネル・121 幻日・122       浅春の頃・122
鬼影の坂・123     春宵・124       朝礼台・124
花・125        野火・125
エッセイ
掩体壕の萩・128
詩と作法――詩の評価をめぐって・131
現代詩への提言・137
大詔換発――岡崎清一郎詩集『夏館』から・142
解説
菊田守 陰の故郷と戦場跡の慰霊の世界・152
中村不二夫 相待者の詩学――戦時下一少年の精神的系譜――・157
年譜・166



 

「落葉しぐれ」を口ずさみながら
高校に上がったら
急に遊ぶことがなくなってしまった
たまにボロを着こんで
近くの野元川に
(ひがい)を釣りに行くくらいだった
おもしろいようにかかった
魚籠を持たないぼくは
かかった鰉を川面に投げすてて遊んだ
だが 波紋の広がりに
Tさんのゆがんだ顔が
いくつも見えてしかたがなかった

戦後 ぼくらの男女同権は
男と女が机を寄せて並ぶことから始まった

ぼくの横丁はTさん
頭はよかったけど家は質しかった
高校にも行かせてもらえず
おきまりの女中奉公
そして まだ純白の十五歳の夜
押し込み強盗の手にかかり
信女となった

事件は忘れるために起こるというのは
大人の世界
それは 小さなぼくの
針にかかった鰉の薄紅色の
淡い痛みのように
いつまでもぼくのなかに疹いている

 1968年の第1詩集『高田太郎詩集』から2000年の第6詩集『どぶ魚』までと未刊詩篇を収めた詩集成です。エッセイと詳細な年譜も収録された、高田太郎詩研究には第1級の資料と云えましょう。ここでは第5詩集『春の土管』から「鰉」を紹介してみましたが、敗戦直後の民主化教育の先鞭となった光景が「戦後 ぼくらの男女同権は/男と女が机を寄せて並ぶことから始まった」などのフレーズに生き生きと表現されていると思います。しかし当時は「頭はよかったけど家は質しかった」少女たちが「高校にも行かせてもらえず/おきまりの女中奉公」になった時代背景も覗えて、歴史的にも貴重な作品だと云えましょう。「押し込み強盗の手にかかり」亡くなった少女を「信女となった」と表現したところに著者の哀しみが見えます。「事件は忘れるために起こるというのは/大人の世界」というフレーズも佳いですね。

 なお本詩集中、詩集『どぶ魚』の
「破片」、未刊詩篇の「光るもの」「黒い蝶」「大根」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて高田太郎詩の世界をお楽しみください。



谷口謙氏詩集『惨禍』
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2008.3.20 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
既往症 8      夏日になって 10   心臓病もあって 12
不完全縊死 14    老婆の不幸 16    峠の横道山林のなか 19
犯人の処置 22    今年初めての 26   そちらで 29
小さな老女 31    頑健様農夫の 33   あっけなく 35
課長の死 37     頚部裂傷 39     一酸化炭素なし 41
体温 44       転倒 47       フランス語非常勤講師 49
決意 52       ダブルヘッダー 55  痩甚だし 60
本籍番地 62     覚悟の 65      デコルマン 68
弟 71        詳細 73       雪 75
惨 78        奇禍 80       生保 85
老夫婦 87      日頃健康 89     腕時計 91
用水路 93      署名捺印 95     うすい心嚢液 98
母子家庭 101     冬のサーフィン 103  せめてもの 105
若い事業家? 107   再会 110       五年間 113
連絡なく 115     同級の人 118     不審 120
不在の間 122     未知の地で 125    踏切 128
兄弟 130       ただ一人の 133    九十三歳老婆の 136
アルコール 138    非定型縊死 140    畑のなかで 142
命により 145     まだ若い? 148    知人の母 150
うつ病の最後は 152  暑い密室 156     ある家族 159
脱肛 161       老婆と 164      深夜作業場で 166
統合失調症の 168   直腸内温度低温度 171 無残 174
うっ血性心不全 177  五人兄姉妹 179    頭部 腹部CT検査もして 181
まる一日 183     床屋さん 186     惨禍 189
焼死の疑 192
あとがき 195     著者略歴 196



 惨禍

十八年七月十六日 午後四時頃
土砂降りの集中豪雨
京丹後市T町の墓山が崩れ
下の人家が土砂に埋もれ
九十一歳老爺と六十二歳の娘の二人が遭難した
自衛隊員 消防団 警察官等の協力で援助にあたった
七月二十日 午後五時四十八分
頭部を西に両下肢を東方に伸ばした伏臥姿勢
体下方から墓石と天井梁に挟まれて死亡しているのが発見
二十一日午前二時より署霊安室にて検視
室温二一・一度
直腸内温度二〇・五度
頭蓋骨骨折による脳挫傷
顔面と頭部の右半分がこわれてぐしゃぐしゃ
他に全身小骨折打撲傷 一部腐敗のはじまり
勿論即死だったろう
死体検案書
頭蓋骨骨折による脳挫傷
顔面と頭部の右半面がこわれて脳室が流れ
他は全身打撲小骨折 一部腐敗のはじまり

七月二十一日 午後三時三十八分
一階南角 便所前付近
頭を東に両下肢を膝部で曲げて
西方に伸ばした左側臥位から上半身を伏臥にした姿勢
土砂 瓦礫に埋もれた死体
死因は頭蓋内損傷を伴う脳挫傷
つまり娘さんと違い頭部と顔面は残存
が 頭全体がぐらぐら
死因は頭蓋内損傷を伴う脳挫傷

原因は前例と全く同一
外因死 「8」その他及び不詳の外因死
電車にはねられ頭部轢断の一例があったな
なだれ落ちた墓石の下
家屋全壊の下敷きになった遺体の検視
初めての経験だった

 全国的にも、あるいは世界的にも珍しい検視詩集も、これで第8集になったそうです。体力も限界なので、これ以上は無理かもしれないと「あとがき」にはありました。ここではタイトルポエムを紹介してみました。病死や自殺死を多く扱ったなかでは「初めての」「家屋全壊の下敷きになった遺体の検視」だったようですが、ある程度覚悟ができているだろう病死や意思的な自死に比べれば、やはり「惨禍」だなと思います。
 著者の検視詩集は私も多く拝読してきましたが、改めて思うのは検視が必要な死が多いことと、さまざまな人生の終焉があることです。畳の上で死ぬことはもう無くなっています。それでも病院で家族に看取られながらの死が多いのだろうと想像していましたが、実はそうではない死が少なくないことを著者は教えてくれたように思います。普段はあまり考えていない、ヒトの死について、人生の締めくくり方について考えさせられました。



   
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