きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.8.28 松島




2008.9.16(火)


 コンビニに行って、日本詩人クラブ事務所に荷物を送りました。10月例会・研究会の案内状と冊子『世界の詩を愉しむ夕べ』です。今週金曜日に発送作業を行います。冊子の方は事務所保管用です。今日は日本ペンクラブの例会の日でしたが、そちらはサボりました、すみません。あとはいただいた本を拝読して過ごしました。



中島悦子氏詩集『マッチ売りの偽書』
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2008.9.18 東京都新宿区 思潮社刊 2400円+税

<目次>
序 8
T
乗りあげて 14  コカコーラ・ミトン 18
小川 22  石動 26  バックグラウンド 30
深海 34  雹が降る 38
U
空腹について 42  塩と客 44
更地の蛇口 48   洪水 52
眠るジャム 56   樹林の壁紙 60
V
武生 64   銀杯 66
喪の白 70   瓦礫 74
白湯 78   白黒鉄橋 82   甘栗 86
終 88
装幀=稲川方人



 塩と客

東京なら、遊びに行ってもいいよ。秋葉原の焼け野原に遊びに行ってもいいよ。今なら。生き残
ったHさん。そういう言い方はよくないよ。みんな、明日はどうなるか分からない。たとえ、今
がどんなに無事でも。そしたらみんな生き残りだよね。みんな少しずつ生き残っている。銀行で
お金をおろして、族行にでも行こうか。出かけた町には、「命売ります」と段ボールに書いた看
板を下げて、座り込んでいる男がいる。これからの通貨は、やっぱり塩にしたらどうだろう。

江戸簾の職人は、戦時中は、簾の注文もあるわけはなく、簾の弁当箱を作っていたという。簾の
間仕切の向こうでは、恋愛がことごとく行われていたはずだが。弁当箱には、こぶしのようなお
にぎりが詰められた。今は、戦時中でなくなったのに、簾の注文は減っている。

昭和三年三月十五日三河島の花火工場が爆発
昭和四年一月三十日上野松坂屋にて火災
昭和七年十二月十六日日本橋・白木星デパートにて火災
昭和二十七年十二月九日上野アメヤ横町全焼
昭和二十八年八月一日墨田区の花火工場が爆発
昭和三十三年二月一日東京宝塚劇場火災
昭和四十一年山谷の労働者二千人が交通事故に興奮して放火

いいか、おい、ええッ、そもそも吉原ってものはなァ元和三年に庄司甚内というお節介野郎が、
ええッ、淫売をなくそうてンで御公儀に願って出て、初めて江戸に遊郭というもんができたんだ
(古典落語『五人廻し』より)。(迷惑なんだよ。迷惑なんだよ。たいてい、別れた男は永遠に許さ
れないんだよ。許してやらないよ。やるもんですかって。そのうち、永遠に会わなくても許して
いるのが、女の母心ってもんです。ええッ。)

あの頃は、空襲など日常茶飯事で、親戚の者が来ても、「こんな地獄の一丁目なんかにいられな
い」と、用事が済みしだい、そそくさと帰っていったほどでした。昭和二十年三月九日は、非常
に強い風が吹いていました。深夜、父に起こされ、また防空壕に入るのかと思っていたら、「今
日は、いつもとちがう、外へ逃げるぞ」と、いうのです。(中略)しかし、火と風の混ざった帯
のようなものが、 ものすごい速さでとんでくるのです。 荷物など、持って逃げられるわけがあ
りません。父は、子どもたちの衣類が入ったリュックを、どぶの中に沈めて逃げました。(中略)
あとで、戻って来てみたら、どぶの水は、やけどしそうなくらい熱いお湯になっていました。
(中略)東陽町の交差点に行ってみると、黒こげの死体だらけ。国民学校一年の私には、すぐに
それが死体とは分からず、「どうしてマネキンばかり捨ててあるのかな」と、思いました。
      (滝村忠臣手記「七歳の少年が見た東京大空襲」より 「語りつぐ昭和」新人物往来社一九九三)

何かを覚えていたくても覚えていられない。

現実の問題はどうにもならなくて、魂の問題にすりかわっていくことが多いものです。例えば心
霊学とは、大辞典によると「肉体を離れて死後などにも存在すると信じられている霊魂の現象に
ついて研究する学問」。川端康成「金塊」(「改造」一九三八・四)は、大正期を代表する霊能力者三
田光一をモデルにした小説なので一度読んでみてください。川端は、「笑うべきかな僕の世界観
は、マルキシズム所か唯物論にすら至らず、心霊科学の霧にさまよう」と述べています。川端の
出身地は大阪府。

うまい役者はこまりますね。 人をその気にさせるでしょう。 もし、山の手線内で暴動が起きて
も、所詮それは演技だ。演技に決まっている。あはは。ということばかりで、名刀は、飾ってお
くだけですよ。何の罪があるのですか。

何かを忘れたい。

 11年ぶりの第3詩集です。ちょっと難解な中島悦子形而上詩(と私が勝手に思っている)が満載の詩集です。ここでは、それらの詩群とは少し異質な「塩と客」を紹介してみました。中島さんは私より1回り若い女性ですから、もちろん〈戦時中〉のことや、ましてや〈昭和三年三月十五日三河島の花火工場が爆発〉したことなど体験していません。〈吉原〉の話と同様、詩人としての想像力が書かせたものだと思います。この作品で書きたかったことは最終連とその前の連に尽きるのではないでしょうか。知識や想像力で獲得したものであっても、あるいはそれだからこと〈何かを忘れたい〉のだと読み取りました。

 本詩集中の作品の幾つかはすでに拙HPで紹介しています。タイトルが変わったり、内容の一部が改訂されたりなどしていますが、ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて中島悦子詩の世界をお楽しみください。「序」の原題は
「マッチ売りの少女」でした。「乗りあげて」はそのまま。「石動」は「急行」からの改訂、「空腹について」は内容が一部改訂されています。



詩誌『どぅえ』XIX
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2008.10.1 京都市左京区
未踏社・有馬敲氏発行 700円

<目次>
村上 知久 2 持つもの          安森ソノ子 8 京舞の稽古場で
        なおす                   ペール・ラシェーズ墓地にて
        歳買い
        こっち
有馬  敲 14 厭世            井上 哲士 22 はずかしおすけど
        そうやなあ                 コンビニ
        脳ドック                  大映通り
        夢
根来眞知子 28 赤い靴           穂田  清 34 お婆ちゃんの茶飲み話 33
        春の病い                  お婆ちゃんの茶飲み話 34
        フランス女(2)               お婆ちゃんの茶飲み話 35
                              お婆ちゃんの茶飲み話 36
本多 清子 42 のうぜんかつら
        夏越の大祓               46 編集メモ



 持つもの/村上知久

なんでやねん
持ってないもんが持とうとすると
持ってるやつらは
持ったらあかん 持ったらあかん
持ったら つきあいせえへんで
持ったら いたいめにあわしたる
ゆうて おどすんや

持ってることが
あかんのやったら
持ってるやつらが まっさき
持ってるもんを ほかして
持ってないもんになるんが
いちばんなんやのに
持ってるもんは危ないもんやけど
ずぬけた力 あるさかいに
持とうとするもんに
あこぎなへりくつくっつけ
持ったらあかん持ったらあかん
ゆわはるんや

わるいんは持ってるやつらや
そやてな そやがな
そやかて そやけど
持ったがかちやさかいに
持とうとするもん つぎからつぎ

持ったら あかんのや

 京言葉の作品で創作する詩誌の、今号の巻頭作品です。もちろん核保有国への告発ですが、京言葉にするとずいぶんニュアンスが違いますね。声高にアジられるよりこの作品の方が胸にジーンと来ます。それにしても〈持ってるやつらが まっさき/持ってるもんを ほかして/持ってないもんになるんが/いちばんなんやのに〉、そんな簡単な道理が解決できない世界に失望します。しかし、失望するだけでなく、このように言うべきこと書くべきことを成すのもまた、詩人の仕事かなと思います。



個人詩誌『玉鬘』47号
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2008.8.20 愛知県知多郡東浦町
横尾湖衣氏発行 非売品

<目次>
◆詩「猪独活」
  「薄雪草」
  「野鶲」
  「日光黄菅」
◆御礼*御寄贈誌・図書一覧
◆スケッチ画
◆あとがき



 猪独活

今年の夏は
車山と伊吹山、乗鞍岳を歩いた

まず目に飛び込んでくるのは
天を突き刺すような
豪快な太い茎
人の背丈ぐらいまでのばして
その頂に咲く猪独活の花

大型の植物だが
小さな花たちが無数に
ぱっと開いた
花火のように咲いている
絹のレースのような
繊細さで

その小さな花を
よく見ると
一つ一つの花に
それぞれ五枚の
白い花びらがある
見上げると
そのまま雲になって
昇って行ってしまいそうだ

セリ科のシシウド属
シシウド属の学名は
Angelica
天使のことを表しているそうだ
シシウド属の植物には
薬効の著しいものが多く
その効き目を天使の力に
たとえたからだと聞く

この花の蜜をめざして
多くの虫たちが
寄り集まってきている
虫たちを受信する
夏のパラボラアンテナ
虫たちにとっては
ごちそうのテーブルクロス
そして私にとっては
雲のような日傘

高々と掲げて
そっと淡い影を
胸の辺りに
作ってくれている

 今号では〈車山と伊吹山、乗鞍岳を歩いた〉記録が作品化されています。ここでは巻頭の「猪独活」を紹介してみました。食用の独活は知っていましたが猪独活は知らず、どんなものかと思っていましたら写真が載っていました。これならよく見かけます。〈天を突き刺すような/豪快な太い茎〉、〈小さな花たちが無数に/ぱっと開いた/花火のように咲いてい〉て、〈一つ一つの花に/それぞれ五枚の/白い花びらがある〉と、写真を見なくても分かる説明には感心しました。〈見上げると/そのまま雲になって/昇って行ってしまいそうだ〉、〈虫たちを受信する/夏のパラボラアンテナ〉などのフレーズは植物図鑑では出てきません。詩人が植物を見るとこうなるのだという見本のような表現だと思いました。



   
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