きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.6.11 軽井沢タリアセン・塩沢湖




2007.7.25(水)


 夕方から神楽坂の日本詩人クラブ事務所に行ってきました。10月から月に一度、半年間開講される「詩の学校」の運営委員会です。事務所を使って、1講座の定員は20名ほどですが、会員・会友のみならず一般向けです。講座名は「世界の詩を愉しむ夕べ−思潮とポエジーの共有をめざして−」。日本詩人クラブ設立の目的である詩と詩学の興隆、国語の醸化とともに国際交流を進め、真の平和に貢献する≠ニいう趣旨のもと、世界各国の詩をめぐる状況および詩人の紹介、詩の鑑賞などを行います。

 講師は、一部これからの選定になりますけど、ほぼ固まっていて、世界各国言語での文学活動を行っている会員です。学校長は山田直氏、顧問に神品芳夫、中村不二夫、西岡光秋の各氏を迎え、運営委員として細野豊、谷口ちかえ(担当委員)、川中子義勝、中井ひさ子、船木倶子、そして村山の各理事が担当します。

 第1回を10月18日(木)の午後6時から8時まで開講し、以降毎月第3木曜日の同時刻で、来年3月20日までの6回講座です。参加費は6回通しで10,000円、1講座だけは2,000円、学生は半額です。詳細が決まったら全国の詩人団体、新聞社、商業詩誌にもお知らせを配布し、拙HP、日本詩人クラブHPでも宣伝しますので、世界の詩、もちろん日本も含まれますが、勉強してみたいという方は是非おいでください。定員20名を超えるようでしたら、事務所では無理なので他の場所になる可能性がありますけど、いずれにしろ都内です。お待ちしています。



瀬崎祐氏詩集『雨降り舞踏団』
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2007.7.4 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税

<目次>
生きがい 8                蛇の背骨 10
行商人の話 14               夢採り人について 18
約束の午後 22               妻待ち岬まで 26
故郷 30                  祭りごと 32
風都市についての断片記述 36
溢水
 ディープ・ブルー 40            曼珠沙華 43
朝の詩・奔流 46              天満宮 50
わすれもの 54
祭礼広場にて
 雨期の章 58                密偵の章 61
 家畜たちの章 65
胡椒舞い 68                蜜柑 72
透明な我が子 76              叛乱船 78
飛翔 80                  使者 82
海月の悲しみ 84              巡回楽団の記憶 88
雨降り舞踏団 92              波止場で愛を語ること 98
あとがき 102
写真=磯村宇根瀬



 雨降り舞踏団

 びしょ濡れの決意が
 あめ色の、筋肉痛のかけらになるまで
 ん 今夜は
 踊りつづけてみたいわ

だから 私は午後の間じゅう 岬の方角へ歩きつづけて
いた 夜になるころには 嘔気をともなう頭痛の理由に
ついては もう覚えてはいなかった 私がすれ違ったの
は きっと父ではなかったに違いない
夜ふけ 角のカフェでは舞踏団の団長が珈琲を飲んでい
った 今は団長も宿舎に戻り 大通りでは赤信号だけが
点滅を繰りかえしている ときおり 遠い島からの使者
が無表情に走りすぎる

ふいに強い風がベランダから吹きこむ 通信文が机の上
から舞いあがり 父は窓を閉めるために隣の部屋に姿を
消す
それが合図だったかのように 扉を開けて使者が入って
くる 彼は私には目もくれずに 父となにやら親しげな
会話を交わす まるで私はここにいないようだ と私は
思う
それは去年の夏のできごとだ 夜になり ふたたび雨

団長は あの島のことを話すように私に言う そして執
拗に質問をする 嵐はどの方角からやってくるのか 私
はとても恐ろしくなるのか と
私は父に語ったときのように説明をくり返す 嵐のとき
には島全体がとてもはげしく揺れるのだ まるで熱病に
冒されたときの私のようにだ と
そこで私はいぶかしく思う 私が島に戻りさえすれば
すべてがうまくいくのだろうか

舞踏靴はテーブルの下に脱ぎすてられている 靴には埃
がうっすらとついている 靴は忘れられている 遠い島
にいた父のように
それから私はいそいで岬の方角へ歩きはじめる 私が行
方不明になると 別の使者があらわれる その使者は父
のことを知っているのか あの島の男たちは誰も文字を
知らないというのに
波止場で私は途方にくれる

物売りの声がすぎる 売っているのはこの地方の果物だ
ろうか それとも葉で編んだ籠のようなものか それに
何を入れようというのか 私は何も思いつくことができ
ない
父なら何か思いつくのかもしれない 父なら そう考え
はじめている自分に気づき驚く 父は島に置き去りにさ
れたというのに
私の位置はすでに遠い

ステップを踏む足どりはこんなにも軽い だから 私は
打ちひしがれていないと思う この転調の部分からリズ
ムは早くなる 部屋のなかには雨風が吹き荒れる 島の
記憶がまわるまわる
舞踏団は峠を越えることはしないだろう それにもかか
わらず 父は頑なに峠を越えようとしたのだろう そし
て ある朝ふいに川に沿って駆けおりたのだ それによ
って 島はますます遠ざかるばかりだというのに
舞踏団は ふたたび出発する

 びしょ濡れの想い出が
 岬を吹き抜ける風のかけらになるまで
 そう 明日まで
 踊りつづけてみたいものだわ

 5年ぶりの第4詩集です。タイトルポエムを紹介してみました。瀬崎詩の世界はかなり難しいのですが、なにが難しいかと以前のメモを取り出して考えてみますと、非現実の世界を現実の世界と対照させて、何かの喩を得ようとすると難しくなるのだと思います。あとがきでは「(医師として・村山註)人の生命の誕生や終焉が絶対的な意味を持つ現実世界では、言葉による追体験はなんの力も持たなかった」とあります。だから、肉体的な現象に匹敵するほどの仮想世界の構築を目指してきた、と続きます。さらに「夢やらなにやかやを利用してできるだけ遠くまで行こうとしてきた」とありますから、そういう意識を作品を読む必要があるでしょう。

 夢≠ニして読めば、それはそれで簡単なことだと云えましょう。しかし「可能な限り余分な感情を排して書こうとしてきた。それでもなお感情が残ってしまうことを感じるのだが、それこそが自分の中に生じたなにかが要求したものなのだろう」とあとがきは続きます。感情を排して、それでも残ってしまうもの、それが瀬崎詩なのです。簡単に夢≠ナ片付けられない由縁です。
 そういうつもりでタイトルポエムを鑑賞してみると、私には最初の連と最後の連がポイントのように思われます。「決意が」「筋肉痛のかけらになるまで」、「想い出が」「風のかけらになるまで」の時間、行為、思考がそれでも残ってしまうもの≠ネのかもしれません。

 本詩集中の作品は、拙HPですでに多く紹介していました。「
行商人の話」「祭りごと」「溢水・ディープ・ブルー」「朝の詩・奔流」「わすれもの」「祭礼広場にて・雨期の章」「胡椒舞い」などです。初出と一部違っているところもありますが、詩の本質としては変わっていません。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて瀬崎祐詩の世界を鑑賞してみてください。



月刊詩誌『柵』248号
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2007.7.20 大阪府箕面市
詩画工房・志賀英夫氏発行 562円+税

<目次>
現代詩展望 現代詩を支える詩誌の力 「Moderato」「コウホネ」など…中村不二夫 74
聖にして仙 各務豊和2 私の出会った詩人たち8…伊勢田史郎 78
審判(11)  中枢…森 徳治 82
流動する今日の世界の中で日本の詩とは32 池山吉彬『都市の記憶』原爆をめぐる詩人の仕事と使命…水崎野里子 86
薄田泣董と大阪(2) 大阪毎日新聞社の名コラムニスト…黒田えみ 90
風見鶏 小寺雄造 大畑 靖 鈴木理子 牧野美佳 西岡光秋 94
「戦後詩誌の系譜」46 落穂拾い2…志賀英夫 110

宗 昇/号令 4              名古きよえ/隠したい 6
佐藤勝太/朝のひととき 9         中原道夫/老人ホーム 10
北材愛子/風に答えて 12          南 邦和/雀の不安 14
肌勢とみ子/びんぼう 16          大貫裕司/待ち人 18
江良亜来子/夕立 20            柳原省三/春の台所 22
西森美智子/焦燥からの離陸 24       平野秀哉/アホウドリ 26
山南律子/からす瓜 28           進 一男/輝かしい時に 30
野老比左子/詩人の愛 32          川内久栄/あぜみち今昔 34
小城江壮智/ひとつの生 36         織田美沙子/海のかなたの幸い 38
小沢千恵/透かし絵 40           前田孝一/天の橋立 他 42
松田悦子/風の街 44            小野 肇/青空を飲むコーヒー 46
北野明治/ゴキブリ 他 48         安森ソノ子/桜育て 50
門林岩雄/春の午後 他 52         若狭雅裕/八月の想い 54
月谷小夜子/光と風と 56          鈴木一成/老境さまざま 58
岩本 健/基地 他 60           川端律子/かおりうちわ 62
忍城春宣/中嶋さんちのお爺さん 64     山口格郎/若駒のいななき 66
今泉協子/猫の親子 68           山崎 森/二行詩の狂言 70
徐柄鎮/山寺の夜 72

現代情況論ノート(15) 湖底の村の物語…石原 武 96
世界文学の詩的悦楽−ディレッタント的随想(14) 和泉式部断章−挽歌を中心に…小川聖子 98
ベトナム現代詩人レ・パム・レの詩3 風は…水崎野里子訳 102
中国古典詩英訳(2) 李白…郡山 直 104
コクトオ覚書223 コクトオの詩想(断章/風聞)種々3…三木英治 106
東日本・三冊の詩集 田島道『シスターの靴』 只松千恵子『赤い紐でしばられ』 宗昇『記憶のみなわ』…中原道夫 114
西日本・三冊の詩集 山本万里『撫順』 くにさだきみ『静かな朝』 佐古祐二『ラス・パルマス』…佐藤勝太 118
受贈図書 124  受贈詩誌 121  柵通信 122  身辺雑記 125
表紙絵 中島由夫/扉絵 申錫弼/カット 野口晋・中島由夫・申錫弼



 号令/宗 昇

街なかを散歩していると
いきなり分隊長の号令がかかった
「ホチョートレー」
肩まで振り上げた手と平行になるほどに
反射的にひざを上げて歩調をとり
次の号令に備えて緊張する
真っすぐに前をみつめている頬が引きつってくる
「カシラー ミギ」
ほとんど直角に頭を右に向けた視線の先に
あのころ
配属将校の鎌のような目があった

いまはそこにだれもいない
そこは久しく空席のままだ
いや空席のままのはずなのだが
何故か号令をかける分隊長はいる
あれから何年も何十年もずーっといる
だからちょっとしたきっかけで
たとえば街宣車などに出会っただけで
いきなり号令がかかってしまうのだ

散歩しているはずなのに
反射的にひざを上げ
歩調をとる
「カシラー ミギ」
すると
空席のはずだったそこに
いつのまにか鎌の目が光っている
もう永久に空席であったはずなのに
あの目がいきいきと甦っている

 作者はおそらく戦時中は中学生で、軍事教練を受けさせられたのでしょう。私などには想像もつかないことですが「肩まで振り上げた手と平行になるほどに/反射的にひざを上げて歩調をとり/次の号令に備えて緊張する」というのは身に染み付いてしまっている動作なのかもしれません。
 そんな時代、「配属将校の鎌のような目があった」「そこは久しく空席のまま」のはずだったのに、いま「あの目がいきいきと甦っている」。いずれ席が埋まるのは時間の問題ではないだろうかと問い掛けられています。私たちは先輩のその問に応えられるかどうか、それも問われている作品だと思いました。



詩とエッセイ『解纜』135号
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2007.7.10 鹿児島県日置市
西田義篤氏方・解纜社発行 非売品

<目次>

反転…池田順子…1             「誕生死」…石峰意佐雄…5
エッセイ 桜…石峰意佐雄…9

黒いショールの詩人へ…村永美和子…16    つられる…村永美和子…18
誰…村永美和子…19
エッセイ「小さな窓から」 中国人・日本人…中村繁實…21

ねこ…中村繁實…23             異邦人…西田義篤…28
「魯迅文学論」
その現代的意義を再び問う…中村繁實…36
編集後記
表紙絵…石峰意佐雄



 「誕生死」/石峰意佐雄

お腹の中で死んだ子を 出産する
ということがある
「死産」とか「流産」といいならわしてきた
死んで生まれる 死を産む 死の誕生――

じっさい わが身にそれが起こった母たち
おのれをつらぬいたこの逆説 ――だが
そのいのちの体験が抗うように そのようないいかたに違和をとなえる
それを 死の誕生とはいわない

「誕生死」
これは 切実の 母たちのことばだ
誕生して死んだ もしくは
誕生がそのまま死であった と

「誕生」はあったのだ
死ぬまでは生きていた
生きた だから死があったのだ

  だが うつろになった母は慰められなければならない
  周りの者たちは気づかってなぐさめる
  はじまりを消せば忘れられる と
  なかったことにしてあげよう
  それはあまりにもはかないはじまりだったから

  「若いんだから またすぐさずかるわ」
  「つらいでしょうけど 時が解決してくれる」
  母たちもそれにこたえようと
  さびしいほほえみを返す

けれど
はじまりはもうはじまってしまっていて
忘れることも ごまかすこともできない
じぶんでも忘れようとして 忘れたつもりでいて
かえって深いところにかかえてしまって 苦しい

  「悲しいことは忘れなければならないのだろうか」           ※
  「時間が経てば経つほど口にできなくなる赤ちゃんへの想い」      ※
  「いまも変わらない想いがあるのに記憶のなかでぼやけていく子どもの顔」※

母とは何という深い現象か
母とは なんというほんらい的のもの

  「かかわってあげられなかったぶんだけくるしい」
  「この手に抱いてあげることもできなかった」

いのちというものは
はじまればもう生きている
はじまってしまえばもう そのとき
完全なものなのだ
  (それにかかわらなかったというマイナスの大きさが
   絶対値として 母を苦しめる)

いのちの受容そのもの が 母という愛なのだ
母とはいのちの受け皿であって だから
いのちとは皿のかたちそのものなのだ
ああ 母の 母胎の このどうしようもないかなしみが
いのちのふるさとなのだ

生きて生まれれば そのうつわはみたされて
そのかなしみは気づかれない
皿は満たされて 皿のかたちはわからない
かなしみはそのままいとおしさとして
いっぱいに 母をみたす

母とはこの うつろ のことだ

 『忘れられない小さな命・誕生死した我が子へ』 NHK総合
 ※『誕生死・想 262通のハガキにつづられた誕生死』 三省堂

 「誕生死」という言葉を初めて見ましたけど、現実には意外に多いのかもしれません。乳幼児の死亡率は話題にもなりますが「誕生死」の割合というのは調査もされていないのでしょう。第4連の「死ぬまでは生きていた/生きた だから死があったのだ」というフレーズによって「誕生死」が定義づけられると思います。最終連の「母とはこの うつろ のことだ」は、直接的には「誕生死」を経験せざるを得なかった母親のことですが、第12連を含めて考えると、一般論として受け止めることができるでしょう。重いテーマです。もう少しじっくりと考えてみたいと思います。



詩とエッセイ『すてむ』38号
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2007.7.25 東京都大田区
甲田四郎氏方・すてむの会発行 500円

<目次>
【詩】
産み月■長嶋南子 2            黴の話■赤地ヒロ子 4
干支■青山かつ子 6            R■川島 洋 8
空の破片、詩の破片、■松岡政則 10     キャッチボール/臭い■井口幻太郎 14
雲の猫/小鳥の声■田中郁子 18       鑿■坂本つや子 22
とぐろを巻く■松尾茂夫 26         杭のうた(Mへ)■閤田真太郎 28
ウドンダヨ■甲田四郎 30          銃も歌もなく■水島英巳 34
【エッセイ】
God Bless You,Mr.Vonnegut■水島英巳 37
トマトについて■閤田真太郎 40
すてむ・らんだむ 42
同人名簿 52
表紙画:GONGON



 雲の猫/田中郁子

老人の多い小さな村のことである 夫の葬式が終わるの
を待ちかまえるようにして 老婆は入院した わずかな
田地を守る農婦だったが かつては動物を飼うのが何よ
りの喜びであった ながく牛を飼っていたがいつも話か
け 背中にブラシをかけながら誰にも言えない心の内を
聞いてもらうのが 一日の終わりの楽しみだった しか
し 老いには勝てず売り払ってしまった 次に犬を何処
からかもらってきたが あまり吠えもせず寝そべること
が多かったから いつの間にか見えなくなった そうし
て次にタヌキを飼った どこかで傷つき倒れているのを
拾ってきたのだが いっこうになつかなかった またい
つの間にか見えなくなった そして今度は猫を拾ってき
た 猫はよくなつき胸に抱き長く話しかけることができ
た しかし 近所の台所をよく荒らしまわった そこで
「家の猫はそんなことはしやーしません」と誰彼に弁解
した 生涯田地を耕しながら 道路工事の土方にも出か
ける働き者だったが強い酒も飲んだ 山間の営みはえん
えんと繰り返されたが ある朝足にマヒがきて 夫を見
送ると同時に 一つの家の物語は終わった しかし 猫
が残された わたしがその猫と出会う所は決まっていて
畦草のムラサキサギゴケの咲く道だった 白地に目の周
りが黒い猫だ 時に待ちかまえていたようにひょいとあ
らわれる わたしの目をじいっと見つめて動かない
いつでも逃げ去れる体勢で 危険か安全なのか伺ってい
る わたしは猫の名前を知らなかった 名を呼ばれたい
のか 餌が要るのか 保護して欲しいのか 野良でいた
いのか ふと この姿勢が山間の村であり老婆であり
牛や犬やタヌキであり わたしたちなのだと思いはじめ
る 存亡の危機にそれでも山桜は美しく咲く あれから
猫はわたしと出会うたびに小さくなり薄汚れていった
五月の空を見上げると ふんわりした雲が一瞬猫の形を
したが すぐさま首も尻尾も引きちぎられて流れていっ


 「名を呼ばれたい/のか 餌が要るのか 保護して欲しいのか 野良でいた/いのか ふと この姿勢が山間の村であり老婆であり/牛や犬やタヌキであり わたしたちなのだと思いはじめ/る」というフレーズに説得力があるように思います。結局、私たちは何をしたいのでしょうか。深く考えると、実は何もないのかもしれません。誰かが決めてくれたこと、示された方向をに向かって動くだけ…。誰か≠ニは時の権力者であったり上司であったりするのでしょう。小さく「誰にも言えない心の内を/聞いてもらう」だけで満足してしまう…。声高ではありませんけど、そんな私たちの性癖を見事に捉えた作品だと思いました。



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