きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
tsuribashi
吊橋・長い道程




2007.12.9(日)


 夕方から自治会隣組のおじいさんの通夜が葬儀式場で営まれました。同じ組内の私たちはお手伝いで、私は香典の記録を担当しました。職場や地域など4グループに分かれての分担で、そのうちの地域担当です。最近は告別式にはあまり来ないで、お通夜で済ます人が多くなりましたが、今回もご多分に漏れずその通りでした。戸数250軒ほどの小さな集落ですけど、その内なんと150軒の人が訪れて、驚きました。集落の6割ですからね、都会では考えられないことだろうと思います。亡くなったおじいさんはもともと地元の人でしたから、知り合いも多いというものでしょう。1時間ほどで150人もの住所と名前を手書きして、さすがに疲れました。でも、それだけ故人も慕われていた証ですから、ヘンな言い方ですけど、良かったなと思います。



うめだけんさく氏詩集『球体』
第6次ネプチューンシリーズV
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2007.11.30 横浜市西区 横浜詩人会刊 1200円

<目次>
<序> 伏流水 8
<T> 春の向こうに 10
満月 11       擬態 12       テラノザウルス 15
鶴よ 18       鶴よ<釧路にて> 21  病室にて 24
蜥蜴 27
<U> 球体 32
少女の目  35    砂嵐 38       彫像 42
ある夕景 44     崩壊寸前 46     街の風貌 48
上弦の月 51     チェリストの願い 54  九月の記憶 57
<V> ある夕暮れ 62
あばよ 64      崩れる山 66     白い月 68
風の夢 70      小糠雨 73      無言の風 76
鏡 81
初出一覧 84     あとがき 86



 球体

おんなが
こっちを見た
深い海の色をした目で
ぼくは
その瞳の奥に
執念を感じていた

宙を舞う球体は
昼と夜の間を
苦しげにぐるぐる回っているが
ぼくは仕事場を右往左往している
おんなの目を
背に貼り付けたまま
ときに
言葉をかけようとするのだが
吐き出された声は
けものの叫びに似たもので
悲鳴に近い

うまくはいかないものだが
両手にくるんで
温め
深い海の色をした
執念と疑いの目を
溶かすことができたら
ぼくはうれしくなる

だが おんなの喜ぶ顔を
まだ見ることができない
目を瞑ると
水をたたえた球体が
宙を
回っている

 著者は拙HPでも毎号紹介している『伏流水通信』の発行人で、多くの詩を拝見していますから気づかなかったのですが、驚くことに14年ぶりの第5詩集のようです。詩集を出すことだけが詩人の仕事とは思いませんけど、やはり、こうやってまとまった形で拝読するのは良いものだなと思います。
 紹介したのはタイトルポエムです。いろいろな解釈ができる作品ですけれど、私は「球体」は地球、「おんな」は神、しかも女神ではないかと感じました。そう考えると、唐突に出てくる「ぼくは仕事場を右往左往している」というフレーズの重要さが判ります。病んだ地球の上で生活する「ぼく」の思いと「おんな」の「執念」を感じ取ることができる作品ではないでしょうか。
 本詩集中の多くの作品をすでに拙HPで紹介させていただいておりました。
「伏流水」「春の向こうに」「満月」「鶴よ<釧路にて>」「無言の風」にはそれぞれハイパーリンクを張っておきましたので、合わせてうめだけんさく詩の世界をご鑑賞ください。



詩誌『方』135号
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2007.11.20 仙台市若林区
今入惇氏方・「方」の会発行 500円

<目次>
時評 東京の空 東京の水…笹子喜美江…表紙裏

朝の露…大沼安希子…2           和菓子/むべうたびとを…神尾敏之…4
虫の声…高木 肇…6            過ぎてゆく秋だから…柏木勇一…8
グレースケール…大手礼二郎…10       道を汚す小鳥…北松淳子…12
姿/カニ…佐々木洋一…14          赤い花なら…梢るり子…16
いとなみ…高澤喜一…18           四十年の光芒…砂東英美子…20
一本の白髪…笹子喜美江…22         紙芝居の上演方法…日野 修…24
一軒宿…木村圭子…26            ことば模様…今入 惇…28
詩集評
彷徨する魂の詩…柏木勇一…30        木村圭子さんの詩集「二人」を読んで…日野 修…31
あとがき…32                住所録…裏表紙



 カニ/佐々木洋一

ぴき ぴき
カニが足を擦る

こいつを最初に喰ったやつは
勇敢だ

きぴ きぴ きぴ きぴ きぴ きぴ
あぶくも出る

カニが一匹

大海原の表層と
戯れる

 ふだん何気なく食べている「カニ」ですけど、改めてその姿を思い出してみると、確かに「こいつを最初に喰ったやつは/勇敢だ」と思いますね。ナマコも蜂の子もその類なんでしょうが、食べる頻度が違うので慣れてしまったのかもしれません。オノマトペーもおもしろく、「カニが一匹」でも詩になることを教わりました。



詩とエッセイ『沙漠』249号
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2007.12.10 福岡県行橋市
沙漠詩人集団・麻生久氏発行  300円

<目次>
■詩
柳生じゅん子 3 角が一本          柴田康弘 4 八月
  河上 鴨 5 母の背中         椎名美知子 6 反物
  福田良子 7 
(どくだみ)        犬童かつよ 8 つたの葉
 木村千恵子 9 祈り            秋田文子 10 百日紅
  坪井勝男 11 かなしみ          中原歓子 12 落ちる
  平田真寿 13 '007Xmas Eve        坂本梧朗 14 ボロボロのバイク
  麻生 久 15 同姓同名          風間美樹 16 初舞台
  原田暎子 17 ほら、よばれた。      宍戸節子 18 ちょっと違うだけで (13)かまぼこ
 おだじろう 20 晩秋・二題 透明なふくらみ・準備
  菅沼一夫 21 鳩と遊ぶ          光井玄吉 22 豊後水道
 千々和久幸 23 時雨            河野正彦 24 首をなくした石佛
■書評
  麻生 久 25 福岡県詩集2006年版/寸評(7)
■随筆
 木村千恵子 27 九州詩人祭参加雑記     中原歓子 28 第三十七回九州詩人祭宮崎大会に参加して



 落ちる/中原歓子

草に寝て
空の青さに落ちて行く
足から
吸い込まれて行く

青い海の底は暗いというが
青い空の底も暗いのか
暗い空の底をぬけていくと
又青い空があって
ここと同じ風景がさかさになってあるのかも
知れない

あの日
ひばりが吸い込まれて行った
麦畑も吸い込まれてしまった
むぎ のは たけ でふ たり あえばー
と歌っていた二人もいない

空の底の底の
さかさまの世界で
さかさまに雲雀は上り
さかさまに麦はそよいでいるのかも知れない

足から意識の遠のいて行く心地よさの中で
草いきれの中にいる

 「空の青さに落ちて行く/足から/吸い込まれて行く」という、逆転の視線がおもしろい作品です。「空の底の底の/さかさまの世界」は、この世の嫌なこともさかさまになっているとよいですね。「むぎ のは たけ でふ たり あえばー/と歌っていた二人もいない」というのは、嫌なことを無くしたかったわけではなく、過ぎ去って行ったことへの郷愁でしょうか。いずれにしろ「草いきれ」にはそんな作用があるのかもしれません。



個人誌『ポリフォニー』12号
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2007.12.1 東京都豊島区 熊沢加代子氏発行
非売品

<目次>

手 2        八月の日差し 4
サルビア 6     草むしり 8
珊瑚婚   10
コンサート・ホール/恩師は舞台をゆっくりと 12
アド・リビテュウム/墓参り 14
後記



 

曇天の秋
そんな日がある

庭の椿の木の何枚かの葉裏に毛虫がびっしり
葉を切り取りバーナーで焼き殺す
と書いて
その動詞の語彙のきつさに
一瞬たじろぐ
後味の良いものではない
だがそのとおりのことをしたのだ
今 書くことによって罪滅ぼしをしよう
としているのかも知れない

書くことがカタルシスになる
そんな時があった
いっぱいの不安を抱いて暗い川を渡っているような日々
喜劇より悲劇を好んだあの頃
だが
“生きる代わりに書いてはいけない”と
秀麗な詩人に諭された時から
書くことは手段ではなく目的になった

あれから何編もの詩を書いてきた
握っていた手のひらをゆっくり開くように
開いた手で何かを掴もうとでもするかのように
そうして
掴んだものが一つの喜びになれば
書き続けられる

 「書くことは手段ではなく目的になった」というフレーズは、大事な言葉だと思います。「書くことによって罪滅ぼしをしよう/としている」、「書くことがカタルシスになる」ということへの反語として“生きる代わりに書いてはいけない”との「諭」しもあるのでしょうが、これには諸説あるでしょう。詩人それぞれが一度は通る問題のように思います。要は「掴んだものが一つの喜びにな」るかどうかですね。良い投げ掛けです。折に触れて考えてみたいものです。



   
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