きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.8.2(土)
今日から10日まで夏休みです。明日から7日まで島根・鳥取方面に行く予定です。いただいた本をしばらく読むことができません。それでなくてもお礼が遅くなっているのに、恐縮する次第ですがご海容のほどを…。
というわけで、今日は下記の3冊を拝読しました。
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日本未来派叢書3 |
2003.6.30 |
東京都練馬区 |
日本未来派刊 |
1700円+税 |
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道は
道はさびしがりやだ
小学生が帰り
勤め帰りの人もすくなくなり
人通りがたえて
暗くなると不安になる
だれかが来るのを待っている
若いふたりがやってくるとほっとする
まばたきをおくる
少年が少女に近づき話しかけるのを待っている
ふたりの距離はちぢまらない
少年をはげましたくても
枯れ草をゆする以外には声が出せない
道はさむがりだ
川を越えて
冷たい風が枯れ草の上を忍び足でくると
ふるえあがる
みぞれに濡れるとき
心のしんまで冷える
だれかが
暖かい手を差し伸べてくれるのを
待っている
道は記憶力がよい
一度やってきた人を忘れることはない
だれも覚えていない昔から立ち尽くしているが
やって来た人の顔を忘れない
ひさしぶりで戻ってきた人に
草が手をふる
大勢の先頭に立って微笑で駅に向かって行った人の顔を
おぼえている
重い足取りの感触も
その顔が二度と戻ってこないことも
道には力がない
心臓の発作で白髪の女性がうずくまっていても
何もしてやれない
ただ見ているだけだ
じっとその小さい丸まった背中を
見ているだけ
だれかやってきてくれないかと
待つだけ
立ち上がり
とぼとぼとあるき出すのを待つだけ
一読して、読んだ記憶のある作品が多いことに気づきました。著者は『しけんきゅう』という同人誌にも参加していて、そこでの作品をこのHPでも紹介していたんですね。調べたら、この詩集に含まれている6作品を紹介していました。そちらもご覧いただくとこの詩集の全体像に少しは迫れると思います。
2000年4月6日の部屋の132号紹介で「干し物」、
2000年6月7日の部屋の134号「考えるジャガイモ」は本詩集のタイトルでもあります。2000年12月8日の部屋に135号「残暑」、2001年6月10日の部屋に136号「巻く」、2002年6月5日の部屋に138号「春の衣」、2002年12月1日の部屋に139号「地下鉄」がありました。また、本詩集には含まれていませんが2003年6月2日の部屋に140号「定年」、その他2000年8月1日の部屋には詩集『離陸』『木』、詩論集『イギリスの詩・日本の詩』の紹介がありますから、そちらも合せてご覧いただくと良いと思います。
さて、紹介した詩ですが、擬人法が見事な作品だと思います。実はそれ以上に作品上の「道」は著者そのものではないかと感じています。この3年間で著者のかなりの数の作品を拝読してきました。その決定版とも云うべき本詩集を拝読していて、著者には確固たる視点があることを改めて感じていたのですが、それが何なのかうまく言葉で言い表せないでいました。二度、三度と詩集を読み返すうちに、それは「道」だと気づいたのです。「まばたきをおく」ったり「少年をはげました」り、「やって来た人の顔を忘れない」でいたりしますが、基本は「何もしてやれない/ただ見ているだけ」、「立ち上がり/とぼとぼとあるき出すのを待つだけ」なのです。著者は女子大の教授と記憶していますが、教育者の基本姿勢として堅持しているのではないかと想像しています。それがすべての作品の根底にあるように感じられます。
そう書くと、何か著者が消極的で冷たい印象のように受け取られかねませんが、そうではないと思っています。何もしないけどそこに在る。在ることで他人を励ます。そういう「道」は本質的にやさしく温かいのだと思います。下手な説教を垂れてくる先生より、どれだけ頼りになることか。
ようやく著者の本質に少しは迫ることができたかな(たぶん錯覚でしょうが…)と、ひとりほくそ笑んだ詩集です。
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2003.7.20 |
東京都新宿区 |
土曜美術社出版販売刊 |
1400円+税 |
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戦争に美談ありますか
農村の男たちが
天皇の軍隊になってから
敗残兵となって
鬼畜日本兵になった
信じないかもしれない
普通の日本人が
追いつめられて
虐殺をしでかすというイヤな話
ガマの中で銃を持つという姿勢
象徴的な意味がある
銃を持たない日本兵の姿勢
真実に背くことになるのだ
ガマに雑居する住民
死ぬ運命の日本兵も
命の火をそなえて
砲弾の昔に 身も心も抜き取られ
泣きじゃくる幼児
黙らせろ! と怒鳴る
出て行け! と叱りとばす
共に死ぬ運命に 逆らおうとして
敗残兵の 皆が皆
残虐行為をしたのならば
現地召集の防衛隊も
日本兵だった
軍民入り乱れて阿鼻叫喚……
戦争が終わったとき――
ガマの中から ぞろぞろと
年寄りと女子供が ぞろぞろと
ぞろぞろと何万人も這い出てきた
あの無差別な艦砲射撃のあとなのに
あの鉄の暴風のあとなのに
救援物資・掠奪・暴行……
明暗の日々と共に
ある議員が言った――
日本兵のなかには何パーセントかは
善いことをした人たちがいたはずだと
その比率が 知りたいと
美談はありませんか
理解者になりたいのです
現実の問題が遠い何かを遮って
想像力もにぶくなって
嘆かわしい言葉だった
八対二とか 七対三とか
比率は虚飾にまみれて
さらに美談はありませんかと
問いかけてくるとは
耳をふさいで 目を閉じて
人里離れた所へ出かける
茫々とした草むら 草むらの
陰に埋もれし死者たち
骨の道 白い骨が草むらから
語りかけてくる
あれから半世紀経って
過ぎ去った時間と 空間が
風の中からくるくると
くるくる舞い下りてくる
錐もみの中へ くるくると
著者53歳時の第一詩集『砂漠の水』、1989年刊行の『誘発の時代』、1993年『死者のプロムナード』、2001年『パナリ幻想』、そして未刊詩集から計90編ほどの詩作品と3編のエッセイが収められてありました。第一詩集の発行は遅かったのですが、20代に準備した原稿が紛失するという事態があった末の発行だったようです。詩集発行は遅かったものの同人誌への参加、美術批評等の執筆が多かったようで、その中で井伏鱒二、佐江衆一、埴谷雄高、赤瀬川原平などの小説家、山之口獏、草野心平、関根弘、瀧口修造、田村隆一、金子光晴らとの交流があったようです。
著者は沖縄県那覇市生れ、17歳から34歳までを東京で過し、現在は沖縄県浦添市在住。紹介した作品は第四詩集からの全行転載です。「ガマ」は沖縄の言葉で洞窟≠ニいう意味だそうです。沖縄戦当時の著者は12歳。学童疎開で難は逃れたものの「美談はありませんか」と問いかけてくる者への憤りは、沖縄に生を受けた人間としては計り知れないものがあろうと思います。現在でも「白い骨が草むらから/語りかけてくる」と何かで読んだ記憶がありますが、そんな沖縄と県民の心をうたった秀作と思いました。本詩集には沖縄に関する作品が多く収録されており、今の日本の方向を考えると、もう一度原点に帰る意味でも読むべき詩集と云えましょう。
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2003.8.1 |
大阪府豊中市 |
叢生詩社・島田陽子氏
発行 |
400円 |
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余熱の日日 吉川朔子
終の住処は
なだらかな坂の上にある
買い物の袋を両手に持って望むと
丘へのびる数本の電線に沿って
雀が四羽 五羽と音符の形で飛び交い
楽譜から 春の唄が 流れてくる
☆
南国には珍しい昨夜の雪が
朝の光にすべて溶けたのに
家庭菜園で巻いた菜の奥底にだけ
最後の白い花となって残っている
はかない命への迫真の時の芯が
今までの わたしにあっただろうか
☆
何冊も積み重なった記録帳
ずいぶん長く生きてきたと思う
その頁を一気にめくりながら
人の世は流星の速さだとも思う
保存していた 織りなす物語りを
シユレッダーにかけると
結実のない花片となって宙に消える
☆
かかえきれない想念が
内奥に燃え続けている
その火を止めて
たとえばジャガ芋 たとえば人参を
冷めきらない熱気の
琺瑯鍋でゆっくりと煮込む
そんな余生を 見つける日
最終連の「琺瑯鍋」でタイトルの「余熱」の意味が判りました。人生に対してそういう見方もできるのかと驚きました。私も「ずいぶん長く生きてきたと思」いますが、まだそこまでの実感はありません。いずれこの作品を思い出す日が来るのでしょう。ちょっと淋しいけど避けて通れない道。しみじみとしたいい作品だと思います。
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