きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.9.27 栃木・和紙の里




2008.10.13(月)


 日本詩人クラブ11月例会の案内状の版下を作成しました。あした印刷所に持ち込んで、1週間以内に印刷してくれるようお願いしてきます。来週の火曜日に何人かが事務所に集まって発送作業を行う予定です。それも印刷所に伝えますので、仕上がりは意外に早いかもしれません。封筒に入れるためにA4版を3ッ折りにもしてもらいます。3ッに折るだけですけど、これが思った以上に時間が掛かるのです。一人で1000枚を手折りすると、なんと3〜4時間も掛かってしまうのです。それが僅か1000円ほどのプラスでやってくれるというのですから、毎回頼んでいる次第です。皆さんの会費ですから節約するところは節約しますけど、費用対効果を考えて、必要なところには使わせていただいております。




山口賀代子氏詩集『海市』
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2008.10.25 東京都千代田区 砂子屋書房刊
 2500円+税

<目次>
蘚苔 10        茅星 14        海市 18
金魚 22        臨終 26        しだれる 28
油蝉 32        月の夜に 34      聖地 38
毒 42         遺伝子 46       桐の花 50
果樹園 54       地球 58        春の夢 64
浮橋 68        桜の園 72       花を買う 76
籠の中 80       吾亦紅(われもこう)84
. 理由(わけ)86
むぎわら帽子 88    舞人 92        贖罪 94
化石 98        不思議の国 100
.    榎の実 104
あとがき 108
装本・倉本 修




 浮橋

深夜男に逢いにいった
日本屋敷のふるびた六畳の部屋で
私は男と対峙している
男はなにもいわず時間だけがすぎてゆき
しばらくたって男がたちあがりのろのろと襖をたてる
隣の座席との境
縁側に面した襖をたて
部屋を閉めきると男は下座にすわり
身体をおり深く頭をさげたまま
ゆるしてください と言った

それがあけがたにみた夢のあらまし
ゆるしてくださいとはなにをゆるせというのだろう
夢のなかの男はぼんやりとして容貌も判別しないが
それが誰であるのか夢のなかの私はしっている
さめるころには男はみたこともない若い男の顔になっていて
そうしたことが怒りのわりには涙もながれぬまま
黙って部屋をでてきた理由かもしれず
それも夢のなかのことゆえ判然とせず

夜があけてから
きにかかり男の言葉の意味をかんがえた
ゆるしてくださいと言ったのは体のいい別れのことばとおもったが
あれはもしかすると永い決別の挨拶ではなかったか
いつそのときがきてもおかしくない男がいる

 12年ぶりの第3詩集です。タイトルポエムである
「海市」を始め、本詩集中の「金魚」「月の夜に」「遺伝子」「果樹園」「吾亦紅(われもこう)」はすでに拙HPで紹介しています。一部、初出からの改訂がありますがハイパーリンクを張っておきました。詩集『海市』の多くの作品像に触れていただければと思います。

 紹介した作品のタイトルは源氏物語・宇治十帖の「夢浮橋」から採っていると思います。源氏物語には詳しくないので、指摘だけにとどめておきますが、〈男〉を薫になぞらえることができるのかもしれません。この作品は最終連の〈いつそのときがきてもおかしくない男がいる〉というフレーズがおもしろいし、怖いですね。〈体のいい別れのことば〉ではなく〈永い決別の挨拶〉と採るところに、著者の〈男〉を見る眼の鋭さを感じます。海市とは蜃気楼のことだそうですが、そんな淡いものではない眼力を感じさせる詩集です。




詩誌『黄薔薇』184号
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2008.10.10 岡山県倉敷市
田千尋氏発行 500円

<目次>
星に供物を/山田輝久子 P1
ウメさん/吉田重子 P3          盆踊り/小林一郎 P5
ライバル宣言/柴田洋明 P9        芽をだしたナタ豆・川の字に寝ていたら/吉田博子 P10
蛇谷/井久保勤 P13            悪夢/木村真一 P17
秋、彼岸/麻耶浩助 P19          犬のこと/あおやますずこ P21
透かして見ると・海のこちらは/白河左江子
.P23

特集 水島睦枝詩集『菜の花』
詩 ヘヤー・インディアンは P25      あめをなめるように P27
詩集に寄せて
 篠田康彦P28 椎野満代P29 小舞真理P30 吉田博子P31 田千尋P32

垣間見る/椚瀬利子 P33          スクリーン/小舞真理 P35
枯れハス/岡田久美子 P37         風鈴・お盆まえのドライブ/一瀉千里 P38
ピリオドの季節に/井久保伊登子 P41    黄金の緑の神話/岸本史子 P44
土・あてもなく・はるか/境 節 P47    友だちの家/吉田貴博 P50
星月夜(七月)/田千尋 P51

同人の詩集他P4              随筆(吉田博子)P20 (柴田洋明)P34
詩集紹介 斎藤恵子詩集(境節)P52     永瀬清子生家保存会から(小林一郎)P53
永瀬さんと「月の輪古墳」(川越文子)P54  編集後記(境・高田)P55 同人名簿P56
表紙 近藤照恵




 星月夜(七月)/田千尋

ブロック塀を曲がると
いつもの小川が流れ
水を迎えながら職場に向かう

流れてくるのは丸い花
灯をともした灯籠の
小さな恋人たちの舟のよう

蝉が鳴いている
黒い蝶も舞っている
花の辺りがほのかに明るみ

自転車が追い越してゆく
ペダルを踏む高校生
四十年も前の私

人生の枠というものはあるのか
枠の中で私は変化しているのか
欲望にばかり振り回されて

水が小さな渦をつくる
川に水が流れ
水は川を壊そうとして

ノウゼンカズラの花が
枝から離れて 落ちる
水が受け止め 少しへこむ

 作品は「星月夜」というシリーズのようです。第2連の〈流れてくる〉〈丸い花〉は、最終連の〈ノウゼンカズラの花〉と採ってよさそうです。〈ペダルを踏む高校生〉であった〈四十年も前の私〉とありますから、作者は私と同年代なのかもしれません。第5連はその面もあってか、共感しています。たしかに〈欲望にばかり振り回されて〉きた40年だったなと思います。
 最終連の〈水が受け止め 少しへこむ〉というフレーズが美しいですね。この繊細な感性に魅せられました。




詩誌SPACE82号
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2008.11.1 高知県高知市
大家氏方・
SPACEの会発行 非売品

<目次>

四十年ぶりに昔の投稿仲間と会った/中上哲夫 2
コスモス/日原正彦 4           顔を売る店/ヤマモトリツコ 7
砂浜(五)/指田 一 10           五丁目電停札所−終電/萱野笛子 12
即興の王/利岡正人 18           部分/大石聡美 22
秋の深さ/弘井 正 24           千駄木挽歌・雨の晩夏/葛原りょう 26
紫式部幻想/南原充士 30
  §
するどい口笛/豊原清明 56         晩夏/山川久三 58
日々/内田紀久子 60            ムシ歯の発生と進行/かわじまさよ 62
ヤカン/中口秀樹 64            人を喰った話/山下千恵子 67
睥睨される/さかいたもつ 68        回り燈籠の絵のように(7)/澤田智恵 70
未来形 他6編/秋田律子 79

俳句 秋田律子 78
詩記 山崎詩織 15
エッセイ
.最期のコンサート/内田紀久子.88  夏の終わりと秋の初めの間に……/山沖素子 90
小説『ワイルド・ラブズ』(二)/豊原清明
.92. 行列 その二/大家正志 99
評論 連載XV『<固我意識と詩>の様相』〜補遺(2)〜/内田収省 36
編集後記・大家 108
表紙写真 無題(制作・指田一)2006年 段ボール、木、着物地、ほか 40×134×15




 五丁目電停札所/萱野笛子

  終電

たまに最終の路面電車に乗ることがある

街の線路ぞいの人びとの 闇にうずくまる一日の疲れを
吸いとって 総て世は事も無しと咲いた紅薔薇のような
最終の印の赤いランプをかざして わたしに迫ってくる
終電に乗る いつものことなのだが ガラスの箱のよう
な車体は空き家になっていて 人が乗ることでわたしが
乗ることではじめて 電車は電車になるのだが

浴衣を着た少女が二人金魚の入った袋を下げて
団扇を持って 緑色の長椅子に座った その横にわたしも
冷房がよくきいていて寒いくらいだ

腰かけたのに
もう一人の私は入口のドアに佇んで外をみている
浴衣を着た私は影のようにひっそりしている
命のみえないそれでいて生きている 羽化したばかりの
昆虫のように
透明な羽をたたんでひっそりと
羽をたたんでいるのは開く可能性があるのだ
ひっそりと弱弱しいのは 強くなる可能性があるのだ
未来がみえるのだ
電車の入口にひっそり佇んでいる私に向かって 咽に痛み
を感じながら 未来がみえるでしょと
声にならないものを叫んでいるのだが

賑やかな通りの電停から お祭り帰りの人びとが乗って
きた 入口の私は動かない
五丁目電停が近づくと
入口の私は運転手のいる出口に向かって歩きだした
わたしも後をついてゆく
電停で降りた私は 空き家のような顔をしている
わたしはその空き家に入った
街の少し南の空に一つだけみえている 星をみながら
信号が青になるのを待っていた

誰もが自由に出入りできる空き家
そこに入ると確かに自分と言う存在がみえる

空き家

信号が青になった

 シリーズ「五丁目電停札所」の「終電」を紹介してみました。〈わたし〉と〈私〉の使い分けがおもしろく、それを〈空き家〉へつないだ点が見事だと思いました。〈誰もが自由に出入りできる空き家〉でありながら〈そこに入ると確かに自分と言う存在がみえる〉というのは、現代人の自己喪失感を現しているのかもしれません。〈人が乗ることでわたしが/乗ることではじめて 電車は電車になる〉、〈羽をたたんでいるのは開く可能性があるのだ/ひっそりと弱弱しいのは 強くなる可能性があるのだ〉というフレーズにも魅了された作品です。



   
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