きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2008.7.11 玉原高原




2008.8.16(土)


 夕方から自治会の組長会議がありました。来月予定されている自主防災活動や自治会運動会などについて話し合いが行われました。中に、市に対する要望事項の回答もあって、私が要望していたカーブミラーも修復されたと報告がありました。台風でカーブミラーが破損たから直してね、と言っておいたものです。要望から2カ月近く掛かりましたけど、お役所仕事ですからそんなものでしょう。それよりも要望が素直に通ったことの方が驚きです。なかなかやるじゃん!

 でもね、ちょっと不満なんです。カーブミラーはT字路にあって、1本の支柱に2つのカーブミラーが付いています。1つは大きく破損していたましたから、これは新品に交換。もう1本は真ん中がちょっと凹んだ程度ですので、そのままとなっていました。見えないことはないんですが、ちょうどクルマが映ったところが凹んでいるので、見づらいのです。それも新品に換えてくれれば完璧だったんですけどね。ま、そのうち、ほとぼりが冷めた頃にまた提案してみます。



永井ますみ氏詩集『弥生の昔の物語』
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2008.8.10 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
(序章) 6      風に乗る 9     山からの贈り物 11
(いち)の日 14    家を造る 16     山繭採り 18
蕎麦の花咲く 20   新しい流れ 22    石笛に口をよせて 25
祭りの夜 28     まぐあう 30     山焼き 33
山焼きの日 36    機織り 39      告知 42
腹の子と 44     留守番 47      時代を切るもの 50
あおの邑
(むら) 52   ある男の話 55    蘇った男 57
幸せな夜 60     産み小屋 63     産み落とす 66
赤子と帰る 69    子守うた 72     入れ替わるように死ぬ時が来る 75
芽ばえる 78     山をおりる 80    おめみえ 82
わが家 85      新しいはじまり 88  からむし織り 90
なりわい 93     海の幸
(さち) 96    流れる 99
再生 102       報せ 105       口伝え 108
人狩り 111      赤い蛇 114      白い蛇 117
嵐のあと 119     復活 122      (終章) 125
あとがき 128



 (序章)

戦後の開拓に入った父が
鶴嘴
(つるはし)で木の根を掘り起こし
馬で鋤を掛けて
私たちが競って土器の破片を拾った所
うすい素焼きにひっかき模様
トタン屋根のあばら家の
暗い土間の隅っこに広げて
パズルのように組み立ててみる
雨の日の楽しみ

父が死に
兄が老いて
甥がトラクターで更に深く掘り起こす

黒い表土が払われて
今更のように
現われてくる
うっすらと円い暮らしの跡

火を絶やしたら いけんよ
火はわぁだちの命だから
何度も何度も焼き締められた
いろりの土があって
急峻な谷筋へ
獲物を追った親を待つ
幼い姉弟の不安が焦げ付いている

転んで手を折った
それから死んだ
ひとの魂が
今も漂っているというその谷の
恐ろしげな流れの音がどうどうと
笹の葉を叩く雨の音を凌いで
耳から離れない

 壮大な叙事詩集です。8年に渡って詩誌『
RIVIERE』に連載された詩の総集編です。ここでは冒頭の「(序章)」を紹介してみましたが、拙HPではすでにこれ以降の多くの作品を「(終章)」を含めて紹介しています。つまり、この詩集の主要な部分を読めるというわけです。下に列記しますので、合わせて鑑賞してみてください。なお、本詩集に収録するにあたって、著者は一部改訂や題名変更を行っています。旧題は( )に入れておきましたので、それで検索してみてください。
 「
まぐあう」、「山焼きの日(山焼き2)」、「蘇った男(知恵)」、「産み小屋」、「芽ばえる(発芽)」、「流れる」、「(終章)」。
 今回紹介した「(序章)」で判ることは、この叙事詩が単なる思いつきではないということです。〈私たちが競って土器の破片を拾った所〉が〈弥生の昔の〉地であったわけです。〈うっすらと円い暮らしの跡〉に触発された、書かれるべくして書かれた作品と云えましょう。拙HPで概略に接したら、どうぞお買い求めになって全編を読んでみてください。



永井ますみ氏エッセイ集
『弥生ノート』
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2008.7.31 神戸市北区 私家版 非売品

<目次>
弥生の昔の物語について(リヴィエール46号) 5
新聞記事のスクラップ(リヴィエール52号) 7
消えてしまった言葉(リヴィエール55号) 9
青谷上寺地
(あおやかみじち)遺跡の古い脳ミソ(リヴィエール57号) 11
焼畑耕作について(リヴィエール58号) 13
考古ボーイズ七〇年に参加する(リヴィエール59号) 15
生理について(リヴィエール62号) 17
老母を巻き込んで石笛を吹く(リヴィエール63号) 20
何故弥生時代に注目したのか(リヴィエール64号) 23
青谷上寺地遺跡は日本のポンペイだ(新世紀5号) 25
カリエスという病気(リヴィエール66号) 29
今は学習する秋 31
またたびの籠(リヴィエール76号) 33
難産しています(リヴィエール69号) 35
立ち産の反響(リヴィエール71号) 37
弥生時代の家族のかたち(新世紀) 39
弥生の墓さまざま(リヴィエール74号) 43
淀江町歴史民俗資料館(リヴィエール79号) 45
第一回韓国遺跡旅行(リヴィエール75号)(DNAを感じた) 47
第二回韓国遺跡旅行(リヴィエール83号)(殯って?) 49
お墓事情(リヴィエール84号) 51
続・お墓事情(リヴィエール85号) 53
行ってきました小豆原
(あずきはら)埋没林公園(リヴイエール78号) 55
弥生の昔の、更に昔の物語(リヴィエール90号) 57
ルーツって? (リヴィエール91号) 58
因幡の白ウサギ・私見 61
昔のように(リヴィエール93号) 64
資料集 66
あとがき 70
スケッチ・石井寛治



 弥生の昔の物語について

 私の生まれ育った山陰の大山山麓は、畑を掘り起こす度に土器の欠片が出て、幼心に昔への思い喚起させるものがあった。近くの淀江という町に西暦七世紀末から八世紀初頭、白鳳時代の「上淀廃寺跡
(かみよどはいじあと)」という遺跡が発掘されて新聞にも大きく取り上げられた。この近くに「妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)」という弥生集落は発掘されている。
 資料によると標高一〇〇メートル位の尾根の上に竪穴住居(半地下式住居)三五八軒、掘立柱建物(平屋の建物、倉庫や作業所など)三五五棟あわせて七一三軒の建物跡が見つかって、しかも、これがまだ発掘の途上だという。
 ゴルフ場開発か保存かと、揺れたこの遺跡も、ようやく国史跡として、鳥取県が保存を決めたという。
 一九九八年夏に帰省した時、ここを見学して驚いたのはその風景であった。後ろに大山は当然の事として、前の日本海の美しいこと。祖国と思われる朝鮮半島迄はまさか見えないけれど、昔の人は眼が非常に良かったと言うから、もしかしてと思わせるものがあった。しかも、目の下に広がる田園地帯は昔は葦原や湿原・海であったという。この高台に大きな村があっても、全然不思議ではない訳だ。

 翌年の春、実家に帰った折りに兄が「弥生の住居跡が畑にあったぞ。」という。何を今更と言う気で、畑のその場所を見ると、収穫を得るために鋤や鍬で何度も掘り返した場所である。重機で掘り起こしたそこは新しい地面が現れていて、土はそこだけ円く黒々と変色している。そこから、つるつるの石が一個出てきたというが、何を意味するのか素人の私には分かるはずもない。ふっと目を転じて、妻木晩田遺跡の方角を見ると、くっきりその場所が特定できるのに驚いた。直線距離にして十キロ足らず、今までどうして気付かなかったのだろう。私の幼い頃と言っても高校まではそこで暮らし、畑の手伝いも大いにしたのだ。全国的に松枯病が大流行したとき、実家の周りも枯れ果てた。その松がようやく立ち枯れ、倒れ伏したのであろう、ぽっかりと空いた処に妻木晩田の遺跡からこちらへ向けて狼煙が揚げられたように思った。
 岩手県にお住まいの畠山剛氏になる『縄文人の末裔たち』という本を読んだ。昔の人たちがどんなモノを食べていたかを実証的に書いたものだが、そこで私達が「どんぐり」と言って育った樹が実は「コナラ」「ミズナラ」であった事も知った。そうして見回すとそこらじゅう「コナラ」の花の満開であった。
 松は昔からあったかも知れないけれど植生はこのようにして変換していくのであろう。
 せき立てられるように書き始めてしまったが、家族制度も言葉の解明も未だ為されない(認識が変化しつつある)弥生の昔の事である。ハッキリしているのは、人間同士の思いやりや、思想風土か。私なりの二〇〇〇年前を再現させたい。

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 こちらは同じく『
RIVIERE』誌で、詩と歩調を合わせるように書かれたエッセイを主としていました。ここでは冒頭の執筆の動機について書いたものを紹介してみましたが、前出の詩と対応して〈山陰の大山山麓〉に〈生まれ育った〉者の宿命のように書き進めたことが判ります。このあと著者は遺跡の現地調査グループに参加して、単なる想像ではなく学問的にも裏づけられる内容で書いていくことになります。〈私なりの二〇〇〇年前を再現させたい〉という思いの詩が、どのように成立していったかが判る好エッセイ集です。



会報『「詩人の輪」通信』23号
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2008.8.15 東京都豊島区
九条の会・詩人の輪事務局発行 非売品

<目次>
輝け9条!詩人のつどい in 福岡/赤木比佐江 1
「輝け9条!詩人のつどい in 福岡」参加者の声より
 アーサー・ビナード氏に接して/おだ じろう 2
 広く深く軽やかに/門田照子 3
 詩のことばで・平和への思いがさらに/外園静代 4

やってみて…/野田寿子 5         希求/中 正敏 5
赤い花/榎本愛子 6            水の織物/澤田康男 6
パイプで育てた自然薯/宍戸節子 7     狙われるな/磐城葦彦 7
[お便りから] 小沢千恵さん 8



 やってみて…/野田寿子

「やってみてわかったのだが
 俺はまったく兵隊にはむかんなあ…」

ポツリとつぶやく夫

やってみた≠フは五十年昔
シベリア捕虜の二等兵
背は低く 肩も小さく
銃がずり落ちてはビンタを喰った
二十歳の学徒兵

零下二十度
一日に黒パン一枚 粥一椀
往復二十粁 森林伐採の明け暮れ
大草原の黒い点をじゃが芋かと
よろけながら走りよってみれば
兎の糞

破れた服の縫目にあふれる虱を抱えて
まどろむ丸太小屋
嵐の吠える夜

死にかけたあいつを見捨てて移動する
虱の気配
その時俺は(毛布が一枚余る)と思う

吹雪の中の父の幻に
伐木の傾く方へよろめき出るその時
ひきとめた手があった

やがて 命ありて南下する朝鮮半島
コレラの兵の屍を荷馬車に積んでは運び
ソ連兵の銃口光る食料庫の扉を
一ミリずつ開けて盗んだ米をかじり
ぬすめぬ老兵の死に水を取り

流れる大河の泡のように
対馬海峡を渡り得た
この一つのいのち
のがれようもなかった苦しみの限りを
やってみて≠ニは言うか

わかった時は死んでしまった
無数の兵士たちの分まで
体中でつぶやく
年老いた夫

 今号は7月5日に開催された「輝け9条!詩人のつどい in 福岡」の特集が組まれていました。アーサー・ビナードさんの、山村暮鳥の詩「雲」をなぞらえた「おーい詩よ どこへいくんだい? 〜世界の詩人たちを見渡して〜」という講演が好評だったようです。
 詩の朗読には10名が参加し、紹介した詩はそのうちの1編。こちらも好評だったようです。〈やってみてわかった〉ことは〈俺はまったく兵隊にはむかん〉ということだったわけですが、この詩からは現在の日本の危機的な状況を思い浮かべてしまいます。私たちのように戦争を知らない世代が増えて、やってみなければわからないという意識を持つことです。憲法9条改悪の動きは、まさにそれを示しているように思います。〈わかった時は死んでしまった/無数の兵士たち〉になっては遅いのです。そんなところが好評の要因だったのではないかなと思いました。



   
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